書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

侯外廬主編 『中国思想通史』 第4巻下冊 「南宋元明思想」

2012年01月25日 | 東洋史
 (「上冊」より続き)

 この世のすべての物質が“五行”とよばれる元素でできていると見る立場を唯物主義と呼ぶのはいいが、それが原子をこの世のすべての元素とみる西洋の唯物論とどうちがうのかは説明しなくていいのかという疑問。原子論も、ながらく単なる仮説にすぎなかったことは、五行説(本巻では冒頭朱子の理気説が説明されて、五行のさらに元にある存在として、“気”とその運動原理たる“理”が設置される)と同じである。しかし原子論は、それを証明すべくさまざまな実験が、あるいはそれを公理としてさらなる仮説の構築とその検証が、えんえんと積みかさねられてきた(とくにルネッサンス以降)。ところが中国の五行説は、最初から真理として、検証どころか疑問をさしはさむことすら許されなかった。これがどういうことかという視点は、思想史を掲げるなら必須ではないかと思うのである。しかし、これは無い物ねだりというものかとも思える。儒教からマルクス・エンゲルス、レーニン、そして毛沢東主義に頭のなかの“真理”を置き換えただけの人間が書く思想史(全巻におびただしい引用)というのはこういうものなのだろう。だから、浅くて、詰まらない。

 追記。だから、明末清初めのマテオ・リッチを初めとするキリスト教宣教師によってもたらされた西洋の科学・技術や思想の特質を、それまでの伝統中国になかった科学的思考方法(観察・推論・実験)とただしく認めながら、当時の科学は「神学(宗教)の婢女だった」からというまた借り物のテーゼでもって、だから「影響はたいしたことはなかった」としてしまう。幾何学・天文学といった、方法論や術語の輸入といった明示的な――つまり一目で分かる――分野についてはさすがに言及があるが、自前の分析視角による独自の掘り起こしはない。繰り返し、言っても詮ないことだが。馬鹿だから仕方がない。一言で言えば。「上部構造は下部構造によって決まる」と決まっているから、そこから独立した心性や思考様式の変化を捉える感覚など最初から持ち合わせていないのである。
 もっとも、明末清初という時期も悪かった。16世紀末~17世紀前半という時代は西洋ではまだ原子論が科学界で市民権を得ていない。アルキメデスの考え方を引き継いだ正真正銘の原子論者ガリレオ・ガリレイが、やはり地動説を唱えたことにより、幸いに殺されこそしなかったものの、やはり異端審問所によって沈黙を強いられたのは1633年のことである。ニュートンが『自然哲学の数学的諸原理(プリンキピア)』を出版するのは1687年である。古典力学もまだ確立していなかった。キリスト教宣教師のマテオ・リッチ(1610年没)ほかは、原子論はおろかニュートン力学も認めていなかっただろうし、中国人に伝えることもしなかっただろう。だろう、というのは、この本には何も書いてないからだ。

(北京 人民出版社 1960年4月)