書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

寺田寅彦 「子規の追憶」

2014年05月29日 | 抜き書き
 『青空文庫』所収。

 ある時西洋の小説の話から始まってゾラの『ナナ』の筋も私に話して聞かせた。それから、何という表題の書物であったか、若い僧侶が古い壁画か何かの裸体画を見て春の目覚めを感じるという場面を非常にリアルな表現をもって話して聞かせた事があった。その時の病子規は私には非常に若々しく水々しい人のように感ぜられた。

何兆武 「明清之際中国人的科学観――以徐光啓為例」

2014年05月29日 | 東洋史
 北京行政学院学報 2004年第4期、2004-08-10、69-74頁。

 明末清初の中国に西洋科学技術が与えた影響はそれほど大きいものではない、徐光啓は科学知識と科学者としての技倆において、当時来華していた宣教師の誰よりも優れていた、徐の科学者・思想家としての水準はベーコン、ガリレオ、デカルトに比肩するという主張。ならば自分で『幾何原論』を訳すどころか著せばよかったであろう。

 『子規全集』 第19巻 「書簡」

2014年05月29日 | 文学
 図書館で手に取り、何の気なしに開いてみると、そこはあの「僕ハモーダメニナツテシマツタ」で始まる、漱石宛の手紙だった。これには何の不思議も神秘もないのであって、それだけこの巻ではこの手紙を読もうとする人が多いということであろう。

  やまといもありかたくそんし候 つまらぬ御くわしすこしさし上候 小づゝみにて 東京上根岸 正岡常規

 明治三十五年「八月十八日 長塚節殿」、葉書、〔東京上根岸 正岡常規〕〔自筆〕の注記。660頁。
 短いが私にはいかにも子規らしい文面と。

  やまべといふ肴山の如く難有候 但し盡くくさりて蛆湧き候は如何にも残念に存候

 明治三十五年七月三十一日 長塚節宛封書。659頁。
 なるほど夏とはものが腐る季節であるとあらためて思った。
 ところでこの後が面白い。

  量は左迄澤山ならずとも腹をあけて燒いて日に干してといふだけの手間を取てもらうとよかつた

 原文は“腹をあけて”から“日に干して”までの部分、横にことごとく〇印が打ってある。子規は、念者(ねんしゃ)であるから。

(講談社 1978年1月)

土居健子(談) 「叔父秋山真之と子規の御家族」

2014年05月29日 | 日本史
 『子規全集』17「俳諧研究」(講談社 1976年2月)、「月報」所収。同8-10頁。

 土居女史は秋山好古の次女であられる。その談話によれば、日清から日露戦争までの間、好古は6年間天津に居っぱなしで、多美子夫人も彼地へ行っていたため、その間女史は叔父である真之の家に預けられて育ったという。

ぬやま・ひろし 「子規とその世界観についての覚書」

2014年05月29日 | 文学
 正岡忠三郎編集代表『子規全集』16「俳句選集」(講談社 1975年8月)所収、同書649-662頁。本巻の「解説」として。

 「『無常感』がないという点で、子規の文学は『万葉集』に対応する」の一句は、その警抜な着眼点に感嘆するのだが、それ以外の物の見方(たとえば歴史観など)は、江戸時代の農民をためらいもなく農奴であるとしたり、型通りのコミュニストといった印象が強い。