カテキズムを「公教要理」と訳したのは何時の誰だろう。「要理」という詞は『諸橋大漢和』『辞海(1979年度版)』にない。ただし崇禎十七(1644)年刊の𦫿儒略(Giulio Aleni)の著作に『聖体要理』というものがある。
「第五章 “度数之学”与以数学为基的思想」の「三、“不用为用,众用所基”的数学思想」と、「第六章 “格物穷理”与近代科学先驱的眼光」の「四、近代科学幼芽的萌动」とが、自分の関心に重なっていて面白かった。
(南京 : 南京大学出版社 2006年8月)
(南京 : 南京大学出版社 2006年8月)
明末清初の中国における科学的思考様式の出現について、限界があったとか独自の歴史的発展によるとか過去の関連研究のようないじましい留保をつけずに当時宣教師を通じて流入してきた西洋の科学技術の影響によると綺麗に認めているのは進歩といえば進歩だが、こんどは反対に、その時代に生きていたからというだけの理由で徐霞客の業績までを無条件にそうとしてしまうのはどうであろうか。傍証のみで直接証拠が提示されていない(この著者連の手法ではできない)。根拠なしの肯定はいつでも根拠なしの否定に転じうる。
(南京 : 南京大学出版社 2006年8月)
(南京 : 南京大学出版社 2006年8月)