原題:陆凌霄『越南汉文历史小说研究』
『百度百科』による紹介。
「自序」で越南漢文小説の書かれた言語たる漢語を「漢文化の貴重な歴史文化遺産」「東洋人(東方人)の智恵」(3頁)と表現しているところで続く本体部分の内容に危惧を覚えたが、実はそうではなく、別の、「矛盾」が弁証法的な意味(辞書でなら毛沢東の『矛盾論』の用例が例として示されるであろうところの)で、また単なる「対立」(階級間、民族間のそれ)の意味で、頻繁に使用される種類の論旨であった。そのゆえに当然と言っていいのかどうか、どうも「漢文は漢文」ということで、文体論や語彙表現構文の特徴の有無(あるのだが)に対する言及や分析はない。また『平呉大詔』を取り上げながら(104頁)、この「呉」は何を指すか、なぜ「呉」なのかの説明がないが、この叙述上の基本的な疎漏は専門家としての配慮、専門書就中概説書ならば概説書としての水準を疑わせるものである。
(北京 民族出版社 2008年8月)
『百度百科』による紹介。
「自序」で越南漢文小説の書かれた言語たる漢語を「漢文化の貴重な歴史文化遺産」「東洋人(東方人)の智恵」(3頁)と表現しているところで続く本体部分の内容に危惧を覚えたが、実はそうではなく、別の、「矛盾」が弁証法的な意味(辞書でなら毛沢東の『矛盾論』の用例が例として示されるであろうところの)で、また単なる「対立」(階級間、民族間のそれ)の意味で、頻繁に使用される種類の論旨であった。そのゆえに当然と言っていいのかどうか、どうも「漢文は漢文」ということで、文体論や語彙表現構文の特徴の有無(あるのだが)に対する言及や分析はない。また『平呉大詔』を取り上げながら(104頁)、この「呉」は何を指すか、なぜ「呉」なのかの説明がないが、この叙述上の基本的な疎漏は専門家としての配慮、専門書就中概説書ならば概説書としての水準を疑わせるものである。
(北京 民族出版社 2008年8月)