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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

宋莉華著 鈴木陽一監訳/青木萌訳 『宣教師漢文小説の研究』

2018年03月19日 | 地域研究
 「宣教師漢文小説」とは、キリスト教の普及、あるいは中国人の思想に影響を与えるために、西洋から渡来した宣教師が、自ら白話中国語ないし読み易い文言漢文を用いて著した小説や翻訳作品を指す。 (出版社による紹介文

 書中、「白話」と「文言」は、一種記号としての役割を果たしているのみであることは、個人的には残念だった。

(東方書店 2017年12月)

G.ウィリアム・スキナー著 今井清一訳 『中国王朝末期の都市』

2018年03月14日 | 地域研究
 原題の"The City in Late Imperial China"を「中国王朝末期の都市」と訳すことに、私はひどく違和感を覚えるが、この分野の専門研究者のあいだでは、べつに問題ではないのかもしれない。「あれはちょっとおかしい」という陰口は耳にしたことはあるものの、表だってはっきりと「誤訳だ」と指摘する声は聞いたことはない。あるいは裏も表も、大意が取れればそれでいいということだろうか。だがすくなくともこのタイトルとその意味するところに関しては大意も取れていないと思う。後期と末期は全く違う。

追記
 この著書を30年振りに通読して、これは語学センスのいらない研究方法、学問分野だと思った。史料からはあらかじめキー概念として設けてある語と数値データといった、己の理論的な枠組みに必要・該当する情報だけ拾えばいいのである。漢語はできなくともよい。それ以上が必要なら、誰かできる者に読ませて翻訳させればよい。ニーダムは王鈴にこれ(史料の読解と英訳)をやらせて意訳がすぎた結果、飛躍した内容理解と立論とを招いたが、この研究分野ではそれで方法論上、また学問上何の問題もない。史料とそのテクスト読解はその程度の位置づけである。

(晃洋書房 1989年4月)

「公私混同」「アルバイト」は当たり前 中国人の驚くべき職業倫理 デイリー新潮

2018年02月27日 | 地域研究
 https://www.dailyshincho.jp/article/2015/10090900/

 いまだに基本同文同種の頭かと感嘆しきり。「公(」「)私」と同じ漢字をつかうなら中身も同じとどうして無条件に見なすのだろう。溝口雄三先生や源了圓先生をはじめとする研究は結局、一般大衆と専門家とを橋渡しするはずのジャーナリズムにはなにも根付いていないらしい。すくなくともここにはその痕跡もない。


中国と延々と渡り合ってきたベトナムに日本は学べ 川島博之

2018年02月21日 | 地域研究
 『JBPRESS』2018年2月20日

 宋が中国大陸を統一するとベトナムに攻め入った。その際は、今でもベトナムの英雄である李常傑(1019~1105年:リ・トゥオーン・キエット、ベトナムでは漢字が用いられてきた)の活躍により、なんとか独立を保つことができた。ただ、独立を保ったと言っても冊封体制の中での独立。ベトナムは中国の朝貢国であった。
 中国大陸に新たな政権が生れるたびに、新政権はベトナムに攻め込んだ。朝貢していても安全ではない。相手の都合で攻めて来る。


 越―中関係の歴史と関係とを、外在的な枠組みで、しかも簡略化しすぎではないか。だいいち、冊封体制と日本語で言うような“体制”は、それを唱えはじめた学者とその追随者の頭の中以外に、現実の東アジア世界には存在しなかった。そしてベトナムは東アジア世界でさえない。

田中信彦「覚醒する中国人のプライバシー ~デジタル実名社会で揺れる個人の権利意識」

2018年02月08日 | 地域研究
 https://wisdom.nec.com/ja/business/2018012301/index.html

 「個人」も「権利」も、伝統的な中国において類似・相当する概念と実態とが、近代(西洋)のそれらの仕様のうえに成り立つ現在の国家と国際社会の制度体制のなかで、“ハコ”のほうに中身のほうが合わせようとしている最中、その過程と見る。→関連する文章

杉勇/屋形禎亮訳 『エジプト神話集成』

2018年01月20日 | 地域研究
 出版社による紹介

 巻末「解説」で、「生活に疲れた者の魂〔バー〕との対話」について、そのなかで「バーが人間に説く内容において、〕現世を嘆くのは神を冒涜する理性に反する行為にたとえられている」と説明してある(591頁)。
 古代エジプト(これは中王国時代の文学作品)に、現代日本語で“理性”と形容する概念(内包と外延)に当たるものがあったのか。もしそうなら驚きである。しかし本書収録の同作品の翻訳を読んでもそのような個所もしくは内容は見いだせない。

(筑摩書房 2016年9月)

マンフレート・ルルカー著 山下主一郎訳 『エジプト神話シンボル事典』

2018年01月20日 | 地域研究
 出版社による紹介

 あるシンボルがなぜその本体のシンボルであるのかの説明があまり十分とはいえないが、これは量・質ともに史料的な制約があるのだろう。古代エジプト人にとっては自明の事柄、当たり前の大前提で、わざわざそれを考えるために話題として取り上げたり文字にしたりはしなかっただろうからだ。現代人とは世界観も推論の形式も異なると指摘されているが、それもまた確証のない仮説にとどまっている。

(大修館書店 1996年6月)


魯迅の『域外小説集』について

2018年01月16日 | 地域研究
 ある面において、2013年10月02日「厳復 『天演論』「訳例言」」より続く。
この本で同作につき「特殊な文語」という先達(川本邦衛氏)の形容があったので読んでみた。読んでみると、これは文言文ではなくて、私の定義では書面語(当世の新事物の語彙を受け入れた文言文)である。訳文に魯迅兄弟の思う格調高さを求めるのは白話では――少なくとも彼らの当時駆使できた白話では――無理で、だから書面語にしたのだろうと考えた。純粋な文言文では翻訳できないコトとモノがある。
 1909年の初版から十数年後に白話で書かれた周作人の改訂版「序」と合わせ読むと、その書面語の採用もほかに選択肢がなくて仕方なくではなかったかという印象を与えられる。
 その改訂版「序」で、周作人は意識してかせずか、文言文では不可能、書面語でも表現困難な内容(具体的にはこのアンソロジーの作成・編纂・紹介の理由)を、白話文で語っている。いま(1921年)の白話文ならあるいは努力すればできるかもしれない、もしそうならこの書を再版する意義はなくなるとも。


梁啓超 『中国仏教研究史』(2018年1月5日補注)

2018年01月05日 | 地域研究
 私が彼の意見を叩きたかった二点について、ちゃんと書いてあった(「九 翻訳文学与仏典」)。さらにもう一点、思いがけず述べられていた(「十 仏典之翻訳」)。(補注)
 この最後の一点、私が断定を下すに躊躇するところを彼は断定しているのは、両者の時代・意識の隔たりと依拠する史料・先行研究の広狭多寡と、そしてそれらすべての結果としての視野の差か。

2018年1月5日補注
 ①仏典翻訳の過程と結果において、それ以前の漢語では使われない字・語・表現・文法構造(倒置、強調)が出現したこと。また文法構造を除くその逆。
 ②文体が分析的となり、行文が組織的体系的になったこと。
 ③因明によって漢語に論理の概念がはじめて入ったこと。

 ちなみに彼は因明(仏教論理学)の論理と西洋の形式論理学の論理とを同一視している(“逻辑”という語を用いているのがその証拠)。これも一言でいえば時代差か。

(中国社会科学出版社 2008年6月)