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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

山脇東洋 『臓志』

2011年01月13日 | 自然科学
 2010年11月29日「石田秀実 『中国医学思想史 もう一つの医学』」より続き。
 三枝博音編『日本科学古典全書』第8巻(朝日新聞社 1948年5月)所収のテキスト。原文旧漢字、旧かなづかい。 
 「屠者をして之を解かしむ」と、はっきり書いてある。自分で腑分けしたのではない。「余をして就いて観せしむ」(どちらも本書154頁)。

青木靖三/横山雅彦編訳 『科学の名著』 5 「中世科学論集」

2011年01月11日 | 自然科学
 解説横山雅彦。収録内容は以下。いずれも14世紀の著作。

 ジャン・ビュリダン 「天体・地体論四巻問題集」(青木靖三訳)
 ジャン・ビュリダン 「『自然学八巻問題集』第八巻第一二問」(横山雅彦訳)
 ニコール・オレーム 「『天体・地体論』からの抜萃」(横山雅彦訳) 

 物質について、“重さ”と“軽さ”の概念が共存している。この世には重いものと軽いものがあるという。

(朝日新聞社 1981年1月)

矢島祐利 『アラビア科学の話』

2011年01月06日 | 自然科学
 同じ著者の『アラビア科学史序説』(岩波書店 1977年3月)と併せて読む。
 ハワード・R. ターナー『図説 科学で読むイスラム文化』でも感じたことだが、物理学といいながら、そのなかに力学(動力学)分野の業績が皆無にひとしい。これはアラビア科学(イスラム科学)における力学的発想の不在を意味するか。書中の記述を見る限り、原子論に関する関心もほぼ皆無のようである(注)。

 注。イスラム哲学には原子論は真空の概念ともども存在していた(しかし原子は神によって造られたということになっていた。このことと真空の存在を認めることとの論理的整合性がわからないがそれはさておく)。イスラムの科学者は哲学者とは思想や教養の根底が違っていたのかも知れない。

(岩波書店 1965年2月第1刷 1991年10月第5刷)

ハワード・R. ターナー著 久保儀明訳 『図説 科学で読むイスラム文化』

2011年01月06日 | 自然科学
 中世後期〔15-16世紀〕のイスラム文化の凋落は、知識に対するヘレニズム的なアプローチが、歴史の変遷とともに、科学を、イスラムの天啓に規定されている救済への道筋を照らす実用的な「道具」として限定するイスラム的な観念に席を譲っていくプロセスに対応していると考えることもできる。 (「13 中世後期のイスラム」本書245頁)

 中世ヨーロッパは、教会がふりかざす教義と、知性の解放を求める一種の人道主義的、個人主義的な要求の間の絶え間のないせめぎ合いによって支配されていた。だが、一つの決定的な条件が中世以降の西洋の文明の形成に影響力を及ぼすことによって、西洋の文明は、イスラム文明とは異なった道をたどることになる。西洋では教会が争いにおける主導権を失ってしまったのだ。だが、イスラム世界においては、正統派の宗教的権威がその支配力をさらに強化していった。 (「15 新たな西洋」本書263頁)

 おなじ宗教(一神教、しかも同じ神と経典を共有するいわば兄弟関係)でありながら、イスラム教では、なぜ正統派の「宗教的権威がその支配力をさらに強化していった」のか、それが西洋(キリスト教)では教会が「主導権を失ってしまった」のか。それに答えなければ歴史研究にならないだろう。コペルニクスより先に地動説がイスラム世界にあった(15世紀。本書138-140頁参照)というのであれば、なおさらであろう。
 この本、「著者略歴」もなければ「訳者あとがき」でも著者についてまったく言及がない。仕方がないので自分で調べてみた。
 ここに原書の紹介ととも著者についての簡単な紹介があった(以下引用)。

  Howard R. Turner is a documentary and educational film and television writer who served as Curator for Science for the major traveling exhibition "The Heritage of Islam, 1982-1983."

 どうもテレビマン(ライター)であって、専門の研究者ではないらしい。それなら仕方がないといえばいえないこともないが、しかしおなじテレビマンでも『河殤』の蘇暁康(彼も専門家ではなく映像作家だった)は問いを設け、設けるだけでなく、答えを出した。結局は個人の資質に帰せられるべき問題だろう。

(青土社 2001年1月)

伊東俊太郎/広重徹/村上陽一郎 『〔改訂新版〕思想史のなかの科学』

2011年01月06日 | 自然科学
 『中国はなぜ「軍拡」「膨張」「恫喝」をやめないのか』(文藝春秋)所収の拙論(注)執筆時に読んでいなかった本。あの小論は、この数年間ずっと考えてきたことをあらためて自分なりに調べ直して纏めたものだが、この人類の科学通史を読んでみて、科学・科学史の専門家から見てもそうそう変なことは言っていないようなので安心した。

 注。「中国ではなぜ“科学的&民主的”思考が根付かないのか―日中の“理”概念の違いから見る」(同書207-240頁)

 『九章算術』はギリシアのユークリッドの『原論』に比すべき中国の最古の数学書であるが、その内容は甚だ異なり、公理から出発する幾何学的演繹体系ではなく、面積や体積の計算と、算術・代数が中心である。ここですでに負数の計算が示されており、ギリシアに比して論証という面では劣っているが、計算技術の面ではこれをしのいでいる。 (伊東俊太郎「I 『科学革命』以前の科学」本書75頁)

 一般に中国の自然思想は、一個の自然学として独立せず、つねにそれが人間の倫理と結び付いていたところに特色がある。自然と人間とが分離されず、自然の法則が同時に人倫の理法であり、この逆も真であった。 (伊東俊太郎「I 『科学革命』以前の科学」本書76頁)

 個々の人間が社会の究極的な単位であって、この単位のもつ固有の権利に対しては、国家社会は干渉と制限とを極小にとどめるべきである、というロックの政治哲学は、政治理念としてはアメリカの独立宣言、フランス革命を直接予示するものであったが、その発想の根底には、人間に対する「原子論」的な把握様式があったことを忘れてはならない。 (村上陽一郎「IV 原子論の系譜」本書154頁)

 マルクス以後のマルクス主義では、政治・経済・社会現象の「科学的」把握と唯物論的観点とを一つの思想体系にまとめ上げる努力が重ねられ、善くも悪くも科学と哲学とが非常に強く結びつくという特徴がのこされたが、一般に哲学は科学から離れてしまったのである。 (村上陽一郎「XII 自然科学を中心とする学問の再編」本書256頁)

 ただ、“一九世紀の末から今〔二十〕世紀の初めにかけてまず物理学で始まった巨大な革命”により、物理学では“量子論の展開のなかでは、従来の因果律が危うく”なり、“相対論のそれでは、時間・空間という、およそ人間にとってもっとも基本的な概念枠についてのそれまでの考え方に大きな動揺が起こった”。また数学の分野においても、“公理主義思想”が“数学的「真理」とは何かという根本問題に波乱を投じるとともに、集合論を土台にして、哲学の一部としての論理学に強烈な影響を与えた”(本書256-257頁、村上陽一郎執筆)という部分には、筆が及んでいない。もっとも結論にはいささかも影響しないが。これは、数学については別として、ひと言でいえば物理法則の階層性の問題であるからだ。

(平凡社版 2002年4月)

石田秀実 『中国医学思想史 もう一つの医学』

2010年11月29日 | 自然科学
 2010年11月08日「小さな山脇東洋」より続き。というか、訂正と補足。

 中国では16世紀にすでにアモイでヨーロッパ医学にもとづくヨーロッパ式病院が建設されていた。ただしそれは当地に滞在するヨーロッパ人を対象としたものだったらしい。
 一般中国社会には(といっても朝廷および知識人社会だったが)、体系的な西洋医学理論は明末のマテオ・リッチとジュリオ・アレニによってもたらされた(前者による『西国記法』、後者による『性学觕述』)。1621年に来明したヤン・テレンツはアモイでヨーロッパ式の病理解剖を実施し、『人身説概』を著してヨーロッパの人体解剖術を中国に紹介した(1643年出版)。
 しかし王肯堂の『証治準縄』に“骨骼説”として影響を残した以外、当時宣教師によって中国にもたらされた西洋医学は、殆ど中国医学に影響を与えなかったと著者は結論する。その理由は、当時の中国伝統医学に比べて、いまだ細菌病理学が成立する以前の16-17世紀ヨーロッパ医学は、少しも水準が高くなかったからだとする(本書297頁)。さらには、宣教師たちの伝えた医学がヒポクラテス--ガレノスの流れを汲む、当時のヨーロッパ医学よりもいっそう古いもので、当時の中国医学よりも格段に理論的・体系的に脆弱だったことがあるという(本書298頁)。そのため、せっかくの精密な人体解剖図も、「二次的な『場としての身体地図』にすぎず、肝腎の生きて動く人の生理を解明するにはさして役立たぬものと考えられた」(同)。
 なお本書でも言及されているが、中国では宋代からいまの言葉で司法解剖に当たるものは行われていた(ただそれがまともな人体解剖図として結実しなかった)。そのことに関して本書で教えられたのは、清代に、王清任(1769-1831)という中医が公共墓地で“死体観察”を行い、その結果を『医林改錯』(1830年)として著して、唐宋以来の伝統的な「五臓六腑図」の誤りを大いに正したという事実である。“死体観察”とは他人に解剖させての人体内部の構造を観察することであるが、それなら山脇東洋も、腑分けは(こちらは1754年で少しく早いが)みずから手を下したものではない。同じである。
 
(東京大学出版会 1992年7月)

斎藤憲 『ユークリッド「原論」とは何か 二千年読みつがれた数学の古典』

2010年11月29日 | 自然科学
 なぜ古代ギリシアでのみ論証数学が発達したか。著者はその答えをこの著のなかで述べている(本書71-73頁)。その内容を私なりに言い換えれば、こうだ。
 論証という概念と技術は法廷弁論で発達した当時のギリシアは民主政で、市民が司法・立法・行政を直接担当していた。当然裁判も公開である。不特定多数の相手を説得するために、客観的証拠に基づいた、誰でも納得できる整然とした論理をもった弁論が発達した。ソフィストの議論である。その手法が、数学の公理から定理を導き出すための論証に適用された(具体的にはキオスのヒポクラテスによって。時代的には紀元前440年頃)。
 古代ギリシア(たとえばアテネ)では、法律というのは市民が知っているものであった(作り手で執行者でもだったのだから当たり前だが)。しかし、同時代の中国では、法律は基本的に王と官吏だけが知っていて、一般大衆は法の条文を知らなかった(実際には知られていたが、法は官のものであって民のものではないというのが通念=原則だったので、判決に不服で上告はできても、法の解釈や適用に異議を唱えることは許されなかった)。つまり人民にとっては裁判とは裁かれるだけのものであり、そのプロセスに主体的に参加することはなかった(これは清代まですっとそうであった)。要するに論証の発達する必要も土壌もなかったのである。著者の主張が正しいとすれば、なぜ少なくとも中国で論証数学が誕生しなかったかは、これで一応説明がつく。

(岩波書店 2008年9月)

小さな山脇東洋

2010年11月08日 | 自然科学
▲「asahi.com」2010年11月8日9時11分、赤井陽介、「アリジゴク、おしっこする 千葉の小4が通説覆す発見」(全2ページ)。(部分)
http://www.asahi.com/science/update/1104/TKY201011040161.html
http://www.asahi.com/science/update/1104/TKY201011040161_01.html

「アリジゴクは排泄(はいせつ)しない」という「通説」が覆されるかもしれない。千葉県袖ケ浦市の小学4年生、吉岡諒人(りょうと)君(9)が夏休みの自由研究で、アリジゴクの「お尻」から黄色の液体が出たことを確認した。吉岡君から質問を受けた日本昆虫協会(東京都千代田区)は「通説や本、インターネットの情報をうのみにせずに発見した、価値ある研究」として今年度の「夏休み昆虫研究大賞」に選んだ。6日に表彰式があった。

 こどもの頃からのアリジゴク好きでそのアリ地獄を見つけるたびにしゃがんで長時間観察している者としては、見逃せないニュースだ。それにしてもこんな通説があるとは知らなんだ。あれだけ食ったら(主として他の虫の体液=液体だが)、排泄しないなんてことはないだろう。

 アリジゴクはウスバカゲロウ科の幼虫。一部の種はさらさらの砂地にすり鉢状のくぼみを作り、落ちてきたアリなどの体液をあごから吸う。幼虫期は肛門(こうもん)がほぼ閉じていて、成虫になる羽化時にため込んだ糞(ふん)をまとめて出す。日本昆虫協会によると、本やネット上では、羽化時まで「排泄しない」と記されたものが多いという。
 吉岡君は、近所の植え込みの下でアリジゴクを見つけて採集し、7月から約1カ月、生態を観察した。当初はアリ以外も食べるかなどを実験。しかし、アップの写真を撮ろうと白い紙の上にアリジゴクを置いた時、黄色い液体を出したのに気づいた。「プクーって出た後にはじけて、黄色い染みが広がった」という。
 「おしっこやうんちはしないはず」と思い、染みの写真をインターネットの質問サイトや日本昆虫協会などに投稿して質問したが、納得のいく答えは得られなかった。


 〔吉岡諒人君は〕学校に提出するため、リポートをA4判55枚にまとめたところ、協会から「協会の賞に応募しては」と声がかかり、漫画家のやくみつるさんや昆虫研究家ら審査員9人の全会一致で「夏休み昆虫研究大賞」に選ばれた。協会の木村義志理事は「尿が実際に確認されない中、『排泄しない』という記述があふれ、『糞だけでなく尿もしない』という通説が広まっていたのに、流されなかったのはえらい」と話す。

 尋ねられた側もさぞ困惑したのだろう。普通は「通説ではこうだから」でそれ以上は考えないから。
 しかし中にはそうでない人もいる、あたりまえのことだが。行う側にも、認める側にも。通説を「本当にそうか」と疑う姿勢。自分の目と手で確かめてみるまでは鵜呑みにしない態度である。

 江戸時代中期の漢方医山脇東洋(1706年- 1762年)は、処刑された罪人の体を解剖して(実際は他人に剖かせたらしいが)、実際の人体内部の様子がそれまでの医学書(中国伝来の医書、およびそれにもとずいて書かれた日本の医書)にかいてある説明と違うというので、そのままを写生して『臓志』として出版した。
 近代解剖学は16世紀半ばのヨーロッパで始まった。わが国の山脇東洋による人体解剖は、それに遅れること約200年である。
 伝統中国(つまり革命前の王朝時代中国)でも、同様の機会に恵まれた医者はもちろんいたらしいが、彼らは、自分の目にする現実を否定して、教えられた通説を堅持した。その判断理由は、「これは罪人で悪い奴だから普通の人間とは人体の構造が異なっているのだ」というものだったと、何かの本で読んだ覚えがある。この説明の信憑性は知らないが、伝統中国では『蔵志』に類する精密な人体解剖図がついに出現しなかったのは事実である(注)。

 。清朝末期に出た西洋の解剖学書類の中国語訳は除く。

 ちなみに、尖閣ビデオを見て、「捏造だ」ではなく、「中国の領海を日本側が侵犯したことがはっきりした」「日本の船が漁船の進路をふさいだ」という反発は、この種の客観的現実を認識できない心性に由来するものと見るべきであろう。こういう前近代的で蒙昧な心性を、福澤諭吉は、「惑溺」と呼んだ。そろそろ「脱亜論」ばかり、それも遠山茂樹が引用した部分だけでなく、福澤のほかの著作文章も(身を入れて)読んでみたらどうかね。内外の方々。

「Chinese Supercomputer Is Ranked World’s...」

2010年06月01日 | 自然科学
▲「The New York Times」Published: May 31, 2010, By JOHN MARKOFF, 「Chinese Supercomputer Is Ranked World’s Second-Fastest, Challenging U.S. Dominance」〈部分)
 〈http://www.nytimes.com/2010/06/01/science/01compute.html?ref=world

  But China appears intent on challenging American dominance. There had been some expectation that China would make an effort to complete a system based on Chinese-designed components in time for the June ranking. The Nebulae is based on chips from Intel and Nvidia.

 チップは国産品ではない由。このことはBBCの報道では触れられていなかった。

南方熊楠 『南方熊楠全集』 10

2010年03月05日 | 自然科学
 2010年03月01日「南方熊楠著 飯倉照平監修 『南方熊楠英文論考 〔ネイチャー〕誌篇』」より続き。

 本巻収録の英文論考('Nature' および 'Notes and Queries' ほかに寄稿したもの)は、校訂者の岩村忍氏によれば、基本的に掲載誌に掲載された文章を底本としているとのこと(本巻所収、岩村氏「英文著作解題」)。つまり原稿ではない。よって原文がどれほど編集部によって変改されたかはわからない。原文で熊楠がどのような英語を書いているかを知りたかったのだが。
 ただ、ひとつ分かったことがある。それは、帰国してからの熊楠の日本語論文/論考の多くは、英語ですでに発表していたものの翻訳・抄訳であり、その日本語文章が原本たる英語のそれにくらべてややもすれば冗舌で、しばしば脱線し、ときに没論理とさえ見うけられるのは、海外に比べて低い(と熊楠は思っていた)日本の関係学界の水準にあわせてのことだった(同上、岩村氏「南方熊楠の英文著作」)。

(平凡社 1973年11月初版第1刷 1991年11月初版第11刷)