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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

小倉金之助 「中国数学の特殊性」

2016年06月03日 | 自然科学
 『小倉金之助著作集』3「中国・日本の数学」(勁草書房 1973年12月)所収、185-205頁。

 論理性の欠如のために、重要な原則や理論は詳しく説明されず、時には卒然と公理的に与えられ、時には特殊問題の解法中に暗示される、定義の不正確はもちろんのことである。かくて中国において、数学が厳密な論理体系を持ち得なかったこと、また機械的計算による算術、代数の方面が、比較的に論理的考察の追究を要する幾何学に比して、優位を占めたのも当然であった。
(本書201-202頁)

 馮友蘭は『中国哲学史』第一篇(注)で、「中国の哲学者は実践こそが最重要で、それが叶わぬときに不運のなかでのやむを得ぬ便法として著述をなすのであるから、最初から周到にそれを行うつもりもなければ、他人に懇切丁寧に自説を説こうという気もない。だから論理も行文も不注意となった」という論旨の議論を展開しているが、いま引用した部分の挙げる問題を解釈するうえでのひとつの視点になるかもしれない。

 邦訳は柿村峻/吾妻重二訳『中国哲学史 成立篇』(冨山房 1995年9月)。紹介した議論は「第一章 緒論」同書12頁に見える。

佐野由佳/橋京子/水上元/金原宏行 『薬草の博物誌 森野旧薬園と江戸の植物図譜』

2016年03月04日 | 自然科学
 本書所収、金原宏行「江戸時代の植物図譜を辿る 博物学の発展と写生への情熱」(66-68頁)によれば、日本の博物誌・植物図譜の写実化には、西洋画の影響と自発的な発展の系譜との二筋の背景があるという。後者の契機となったのは明・李自珍『本草綱目』(16世紀末成立)の挿絵の由だが、そうすると、やや記号化しているにせよ、あそこに見られる写実性・写生の精神はどこから来たのかという別の問題が、こんどは出来する。

(LIXIL出版 2015年12月)

山下正男 『新しい哲学 前科学時代の哲学から科学時代の哲学へ』 (その2)

2015年06月08日 | 自然科学
 2015年05月16日より続き。

 ギリシア的自然観はこのようにして東洋的自然観と多くのものを共有しているのであり,とくにその反技術性という点で大きな共通点をもつ。しかしギリシア人の自然観は観想の立場をとり生産や労働をおろそかにはしたが,この観想という立場できわめて合理的な理論体系をつくりあげることに成功した。とくにデモクリトス(c. 460-c. 370 B.C.)のアトミズム(原子論)はギリシアの自然哲学の最高の形態であり,近世ヨーロッパの自然科学は、ある意味でこのギリシアのアトミズムの復活であり,延長であるといってもよいのである。そしてこのギリシアの自然科学のこの理論性,合理性という点が西洋と東洋の自然観の決定的な相違点だということを忘れてはならない。 (「2 哲学の歴史的背景」“ヨーロッパ的自然観”186頁)

 板倉聖宣『原子論の歴史』(仮説社2004/4)と相互に参照すること。

 ギリシア人は自然が人間にとってよそよそしい得体の知れぬものでなく,人間と同質のものであり,人間は自然の内部にはいりこみ,自然を十分理解できるのだという確信を抱いていた。人間はロゴス(理性)をもつ動物であるが,そのロゴスはまた宇宙を貫く客観的原理でもあったのであり,内なるロゴスと外なるロゴスは本来同質のものだったのである。〔略〕人間はこの理性をもつが,しかし宇宙それ自体もまた理性的なものである。そして人間理性と世界理性の同一性の確信がすなわち,ラショナリズム(rationalism, 合理主義)にほかならなかった。 (同上186-187頁)

 ここで述べられる人間理性と世界理性のありようは、朱子学における性と理のそれ(理一分殊)に酷似している。

 それはこういうふうにも言うことができよう。つまりいったん分化,分別へと向かった方向がヨーロッパにおけるように徹底的に遂行されたのではなく,その途上でコースが曲げられた,いやさかさまにひっくり返されたのだと。東洋でも古代ヨーロッパにおけると同様,はじえは神も人間も自然に内在していた。しかしもちろん超越への萌芽はあったし,超越はある程度遂行された。しかしこの超越はとことんまで遂行されはしなかった。この超越の方向は逆転され内在がめざされた。しかしその結果得られた内在はかつての内在とは質の違ったものだったのである。 (「2 哲学の歴史的背景」“東洋の思想と西洋の思想”276頁)
 
 これは下から明かなように、主として仏教を指して言われた指摘であるが、仏教の影響を大いに受けて成立した新儒学(宋学)にも当てはまる内容であろう。
 
 仏教でよくAと非Aが別であり,しかも同一であるといった独特の表現が使われる。主観と客観が別であってはいけない,つまり二元であってはいけないのであり,不二でなければならないが,しかし不二であるためには二元的な対立があらかじめなければならない。二元であってしかも一つである。たんなる未分化,無差別でもいけないし,たんなる分化,差別でもいけない。こうして結局未分化の状態にもたらされた分化,無差別の状態にもたらされた差別が仏教の真にめざすところだといわざるをえないのである。/このようにして仏教では未分化から分化へとまっすぐに進むのではなく,未分化から分化へ,そしてふたたび未分化へと進む。
 (同上277頁)

(培風館 1966年3月)

山下正男 『新しい哲学 前科学時代の哲学から科学時代の哲学へ』

2015年05月16日 | 自然科学
 中国の古典的人文学とヨーロッパのそれとの相違点は,ヨーロッパの人文学には数学が含まれているということにある。数学は現在ではあたかも自然科学の一分科のように考えられているが本来は人文学科,つまり精神科学に属していたのである (「2 哲学の歴史的背景 ギリシア哲学の基本的性格」107-108頁)

 古典文化のなかに数学を含んでいるかいないかということが,ヨーロッパの古典文化と中国系の古典文化とのもっとも大きなちがいなのであり,結局これがその後近代科学をみずからの手で有無か生まないかと決する要因の一つになったと考えられるのである。 (108頁)

 ところでヘーゲルによって駆使された弁証法はマルクスおよびエンゲルスにより唯物論的弁証法という形で継承される。つまりヘーゲルの観念論的・ロマン主義的色彩は払拭されはするが,しかし弁証法という反数学的・反合理主義的・全体論的な性格はそのまま維持されるのである。そしてそれはマルクス・レーニン主義としてソヴィエト・ロシアの公認の哲学となり、さらに中国の公認哲学ともなる。こういった非数学的・全体論的な思考方法はイギリスとかフランスといった先進国ではあまり歓迎されず,また実際に根をおろすこともなかった。弁証法というものがドイツのような後進国で生まれ,そこで発展し,やはり後進国である一時期の日本とかソヴィエト・ロシア,中国で受容されたということは弁証法の性格の秘密を解く鍵となるものであろう。
 (同章「近代の二つの思考法―分析論理と弁証法―」228頁)

 さらに弁証法的つまり非分析的・有機体的考え方が物理学の領域においては.ほぼ駆逐されてしまっているにもかかわらず,生物学の領域ではその後も長く生きのびていること,そして社会科学の領域でも現在なおかなり有力であり,また実際相当大きな仕事をしているという事実も注目に値いしよう。しかし後進科学が後進科学でなくなったときの弁証法の運命はどうなるかということも同時に注目に値する問題といえよう。近代科学の発展において世界の最先端を歩むようになってきたソヴィエト・ロシアで今後弁証法がどう処遇されるようになるかという問題は,そういった意味できわめて興味あるものだといわなければならない。
 (229頁) 

 最後の一段、ここで名を挙げられたうちソ連は崩壊消滅したが、中国は今日も存在する。問いはいま、中国へと向けられる。

(培風館 1966年3月)

坂出祥伸 「沈括の自然観について」

2015年02月05日 | 自然科学
 『東方学』39、1970年3月収録、同誌74-87頁。

 沈括は、大陸の生成を、河川による土砂の運搬と堆積によるものとしたうえで、それを「理としての必然(理所必然)」と呼んだ〔引用者注・『夢渓筆談』四三〇条〕。
 つまり彼は自然現象の因果関係の説明について「理」という言葉を用いた。坂出論文は、この点を指摘している。

 「理」は、自然界の存在や現象の説明について用いられ、しかも、それぞれに一つの理があるという個別的な性格のものである。 (83頁。原文旧漢字、以下同じ)

 つまり沈括は、彼より後になるが、南宋に出た朱熹が唱えた「理一分殊」をすべて否定している。

 沈括の語る「理」には、倫理的な色彩は全く感じられない。かなり人倫にことよせていると思われる次の例〔引用者注・『夢渓筆談』五十四条〕でも、「理」は道理というほどの意である。 (83頁)

 この理由について、坂出氏は、

 沈括の「理」は自然界の存在や現象について語られるのであるから、程伊川のように、「理」が道徳的意味を帯びてこない。 (83頁)

 と、解釈している。私も同解釈である。
 
 ただ、以下の主張には異論がある。

 沈括は、あらゆる存在と事象〔略〕に、「理」を認めたにもかかわらず、その「理」は一物一物についての「理」にとどまつている。万物を一元的に支配する「理」については何ら語らなかつたし、また綜合的に関連づけてゆく方向での自然研究ではなかつた。 (83-84頁)

 しかし当時の科学・文明の水準で万物を一元的・総合的に語ろうとすれば、坂出氏もその例として挙げられる程伊川(程頤)のように、また既出の朱熹のように、その「物」には「人倫日常の諸事象も含まれ」(83頁)ることとなり、つまりは「倫理的な色彩」を帯びることになったのではないか。
 また、これも氏が引かれる張載のように(程頤もだが)、みずからの知り得ない世界にまで憶測を逞しくて「一気によって物の存在や現象を説明する」ことにもなったのではないか。だが彼は「不可知な世界にのみ気のはたらきを限定している」のである。

 人はただ人境中の事を知るだけだ。人境の外については、事は無限なのだ。区区たる世智常識で至理を窮測しようとするのは、むずかしいことだ。 (『夢渓筆談』三四七条、84頁)

 沈括の特徴は、坂出氏も最後に総括されるように、「今日の言葉でいうと、科学者の目ではなくて、すぐれた技術者の目で、あらゆる自然に臨んでいた」所にあり、それは却って勝れた点であったのではないか。

マイケル・S・ガザニガ著 藤井留美訳 『“わたし”はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義』

2014年12月08日 | 自然科学
 中山元『正義論の名著』(筑摩書房 2011年6月)を読んで、人間社会の起源や人の精神、なかんづく道徳観念の成り立ちを実証的に考えるには人類学とくにサル学に通暁することが必須ではないかと思わされたのだった(過去の思想家が設ける古代社会の前提はほとんど夢想の範疇だから)。この本を読んで、あと、それに加うるに脳科学かと。素人考えではあるけれど。

(紀伊国屋書店 2014年9月)

渡辺慧 『認識とパタン』

2014年10月18日 | 自然科学
 子供に限ったわけではなく、大人でもたいていの概念は、実例、もっともっともらしくいえば、「範例」(パラダイム=paradigm)を通して学ぶのであって、内包だとか外延などは学者の無用の産物にすぎません。 (本書29頁)

 「無用の産物」は言い過ぎではないかと思うが、興味深い指摘であり研究である。

(岩波書店 1978年1月)