『小倉金之助著作集』3「中国・日本の数学」(勁草書房 1973年12月)所収、185-205頁。
論理性の欠如のために、重要な原則や理論は詳しく説明されず、時には卒然と公理的に与えられ、時には特殊問題の解法中に暗示される、定義の不正確はもちろんのことである。かくて中国において、数学が厳密な論理体系を持ち得なかったこと、また機械的計算による算術、代数の方面が、比較的に論理的考察の追究を要する幾何学に比して、優位を占めたのも当然であった。(本書201-202頁)
馮友蘭は『中国哲学史』第一篇(注)で、「中国の哲学者は実践こそが最重要で、それが叶わぬときに不運のなかでのやむを得ぬ便法として著述をなすのであるから、最初から周到にそれを行うつもりもなければ、他人に懇切丁寧に自説を説こうという気もない。だから論理も行文も不注意となった」という論旨の議論を展開しているが、いま引用した部分の挙げる問題を解釈するうえでのひとつの視点になるかもしれない。
邦訳は柿村峻/吾妻重二訳『中国哲学史 成立篇』(冨山房 1995年9月)。紹介した議論は「第一章 緒論」同書12頁に見える。
論理性の欠如のために、重要な原則や理論は詳しく説明されず、時には卒然と公理的に与えられ、時には特殊問題の解法中に暗示される、定義の不正確はもちろんのことである。かくて中国において、数学が厳密な論理体系を持ち得なかったこと、また機械的計算による算術、代数の方面が、比較的に論理的考察の追究を要する幾何学に比して、優位を占めたのも当然であった。(本書201-202頁)
馮友蘭は『中国哲学史』第一篇(注)で、「中国の哲学者は実践こそが最重要で、それが叶わぬときに不運のなかでのやむを得ぬ便法として著述をなすのであるから、最初から周到にそれを行うつもりもなければ、他人に懇切丁寧に自説を説こうという気もない。だから論理も行文も不注意となった」という論旨の議論を展開しているが、いま引用した部分の挙げる問題を解釈するうえでのひとつの視点になるかもしれない。
邦訳は柿村峻/吾妻重二訳『中国哲学史 成立篇』(冨山房 1995年9月)。紹介した議論は「第一章 緒論」同書12頁に見える。