アラビア科学には、シリア系キリスト教徒を通じてだけでなく、ペルシアからもギリシア科学文献は翻訳されて入ってきていた。ペルシアはササン朝の時すでにギリシア科学を受容していたからである。のみならず、インド科学もペルシアからイスラーム圏へと伝わった(「付録Ⅱ イスラム科学の発展過程の一考察」中「イスラム科学におけるペルシアの役割」)。
またアリストテレスが真空の存在を否定したのにたいし、アブル・バカラート(12世紀)は、アリストテレスの自然学を金科玉条とすることなく、それに反駁し、真空の存在を肯定した(「付録Ⅴ イスラムにおけるアリストテレス研究」)。
(岩波書店 1977年3月)
またアリストテレスが真空の存在を否定したのにたいし、アブル・バカラート(12世紀)は、アリストテレスの自然学を金科玉条とすることなく、それに反駁し、真空の存在を肯定した(「付録Ⅴ イスラムにおけるアリストテレス研究」)。
(岩波書店 1977年3月)