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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

矢島祐利 『アラビア科学史序説』

2014年09月20日 | 自然科学
 アラビア科学には、シリア系キリスト教徒を通じてだけでなく、ペルシアからもギリシア科学文献は翻訳されて入ってきていた。ペルシアはササン朝の時すでにギリシア科学を受容していたからである。のみならず、インド科学もペルシアからイスラーム圏へと伝わった(「付録Ⅱ イスラム科学の発展過程の一考察」中「イスラム科学におけるペルシアの役割」)。
 またアリストテレスが真空の存在を否定したのにたいし、アブル・バカラート(12世紀)は、アリストテレスの自然学を金科玉条とすることなく、それに反駁し、真空の存在を肯定した(「付録Ⅴ イスラムにおけるアリストテレス研究」)。

(岩波書店 1977年3月)

山田慶兒 『気の自然像』

2014年09月19日 | 自然科学
 一般に中国の科学理論は類型化された概念を多用する。〔中略〕これは中国(および中国思想を受容した東アジア)と西洋における理論の構成のしかたの違いを反映している。西洋における論理の厳密さ(定義された概念、演繹的推論など)に代わる役割を果たしたのが、中国では単純な原理にもとづく概念の類型化とその多用であった。そしてそのぞれぞれが、両者の理論における「精密さ」の指標とみなされたのである。両者のひどく異なった理論「体系」がそこに成立する。 (「4 運気論はどう理解されたか(2)」本書36-37頁)

 非常に興味深い。これは中国の科学理論に形式論理は存在しないと言っているのに等しい。ただ帰納の存在は認めているらしい点には留意。

(岩波書店 2002年11月)

ヴィクター・J・カッツ著 上野健爾ほか監訳 中根美知代ほか訳 『カッツ 数学の歴史』

2014年09月02日 | 自然科学
 出版社による内容紹介。

 「1.4 1次方程式」、本書21頁。
 
 中国でも,連立1次方程式にも関心を持っており,それを扱うのに二つの基本的なアルゴリズムを用いた。〔中略〕中国人の著者はこのアルゴリズムにどのようにたどり着いたかを説明していない。

 それは知っている。盈不足法である。この解法が『九章算術』にあることも。ただ私は、その事実と「盈不足法」の名だけを知って、その内実を知らなかった。この書で初めて教えられた。「この方法論は,バビロニア人たちが最初にこうかもしれないという解を『推測』し,この推測に調節を加えて正しい解に最終的にたどり着くのと似ており,中国でも線形関係という概念を了解していたことがわかる」 『九章算術』の成立は前1世紀から後2世紀にかけてだが、盈不足法の出現はいつだろう。
 中国の暦法は、紀元前300年頃に西欧のカリポス暦法が伝わって四分暦に進化したという小嶋政雄氏の説がある(「春秋の暦法に就いての試論」)。氏は同時に、バビロニアから六十進法による占星術も伝えられて、それが干支紀日となったのではないかという可能性を指摘しておられる。屋上屋の上にさらに屋を架すことになるが、この時にくだんのアルゴリズムも伝わった可能性はないか。

(共立出版 2005年6月)

追補

 『塩鉄論』に出てくる「散不足」はおそらく「羨(=盈)不足」の誤りだという宮崎市定氏の説がある。この書は前1世紀の出来であるから、この語彙と概念が見えても不思議ではない。さらに言えば「羨不足」は戦国時代の『管子』にも現れるけれども(第73「国蓄」)、この書は最終的な成立が前漢時代までずれこむから古い来歴の根拠とはなりにくい。一部、2012年08月27日「宮崎市定 『中国における奢侈の変遷 羨不足論』(『史学雑誌』51-1、1940年1月)を読み直して」から議論を引き継ぐ。

Jean-Claude Martzloff, "A History of Chinese Mathematics"

2014年08月21日 | 自然科学
 出版社による内容紹介
 ベトナムの数学の歴史について、中国数学との関わりにおいて言及されている。

 15世紀に『九章算法』と『立成算法』という名の数学書がベトナム人の科挙合格者によって編纂された。その2世紀後、明・程大位の『算法統宗』が中国からもたらされた。17世紀から19世紀にかけては、中国でイエズス会宣教師により翻訳された西欧天文学の書籍が伝わった。(要訳
 ('10. Influences and Transmission', 'Contacts with Vietnam', p.110.) 
 
 『九章算法』と『立成算法』については内容に関する説明がないが、『九章立成算法』という書籍をこちらで見ることができる。
 これが本書で言う『立成算法』と同じものかどうかは判らない。ただ、この『九章立成算法』は、漢語で書かれている。両者もし同一物であれば、もうひとつの『九章算法』も漢語で書かれていた可能性がある。

(Springer Verlag, 2006)

寺地遵 「徐光啓の自然研究に関する覚書 除蝗論と幾何学をめぐって」

2014年06月09日 | 自然科学
 『古田敬一教授頌寿記念中国学論集』(汲古書院 1997年3月)所収、同書391-407頁。

 徐の「除蝗疏」にみえる「自然研究での法則追求から原因追求へという思考転換」は、ヨーロッパ自然学の影響であるという主張がなされている。
 その証拠として、マテオリッチほかの西洋宣教師と接触していない時期には、「河川管理のごとく、法則把握と予測の段階に止まっていたのだが、接触以後は中国測量法・暦法はともに『故』を語っていないと非難していた」という事実を挙げている(「二」)。さらには法則把握から一歩さらに進めて「縁」の追求に向かったと。
 じつに興味深い。この主張を検証するには、私にはまず、「除蝗疏」を読むところから始めねばならないが。

村田全 『日本の数学西洋の数学 比較数学史の試み』

2014年04月22日 | 自然科学
 私は元来『数学』という学問を理系の一分野であるとは思っていない。数学は少なくとも自然学ではなく、文系の領域までを覆う不思議な学問と考えている。 (「文庫版あとがき」本書268頁)。

 数学を自然学(科学)と分類することになんとなく違和感があったのだが、当の専門家にもそう考えている人がおられることを知る。

(筑摩書房 2008年9月)

R・G・コリングウッド著 平林康之/大沼忠弘訳 『自然の観念(新装版)』

2014年04月15日 | 自然科学
 難しい。巻末索引で自分の関心ある事項事項で読んでいって、あとで自分なりに総合して全体像を構築したほうがこの著の理解にはよさそうな気がする。
 そして、アリストテレスの四原因説は、作用因を含めて「時間的に結果に先立つ出来事と見なされているものはない」(「Ⅱ ピュタゴラス学派」115頁)という指摘は、本当なのか。

(みすず書房 2002年8月)