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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Sir Ernest Barker "Traditions of Civility: Eight Essays"

2013年12月19日 | 西洋史
 2013年10月05日同名欄より続き。
 著者が何を言っているのか、ようやく全編を通じて把握できた。米国部分の議論に、理屈は別として、納得するのに時間がかかった。
 つまりcivilizationでもcivilityでも、現象そのものを俯瞰的に眺めるならば「文明」、それを構成する人間から捉えれば「市民道」であり、そしてその根幹を成す要素は「公共意識」、何が「公共」であり「公共」でないかを測る基準をどこにおくかで「文明」と「市民道」はありかたを変える、さらにいえば、個人の概念がないところでは「文明」と「公共(の意識)」はありえるが、「市民道」は存在しない。

(Cambridge University Press, in March 2012, originally in 1948)

菊谷忠治 「アメリカ合州国にみる『共和政』という政体~『公共哲学』の試み~」

2013年09月12日 | 西洋史
 『地中海歴史風土研究誌』37、2013年4月、7-24頁。

  "res publica"=公共に関わること、という言及がありながら、「合衆国」=共和国republicの訳であることあるいは「合衆united独立statesの訳」であることという史実あるいは事実を無視するのはどういうわけだろう。文中説明はない。もっとも内容はタイトルと余り関係はない。論文ではなくて、時事評論である。 

Беляков А. - Чингисиды в России XV-XVII веков

2013年09月12日 | 西洋史
 副題:просопографическое исследование.
 タイトル日本語訳:「15-17世紀ロシアにおけるチンギス・ハーンの子孫たち プロソポグラフィ的考察」。

 ジョチ・ウルスその他、のちのロシア帝国領域内においてチンギス・ハーンの、主として男系子孫達が受け継ぎ名乗りつづけた「ハーン(ロシア語でツァーリ)」の称号を、どうしてモスクワ大公国の公(クニャーシ)のちにはロシア・ツァーリ国そしてロシア帝国の君主もが名乗るようになったのかについては、書かれていない。興味深いのは反対にチンギス・ハーンの子孫たちでクニャーシを名乗った者が一人もいないという事実だ。どうやらリューリク朝、そしてそれを継いだロマノフ朝の系統の人間しか名乗る資格がないという考え方があったのではないかと、著者は説明する。
 興味深いことだが、この時代のチンギス・ハーンの男系子孫(Чингисиды)より正確にはジョチ・ウルス(つまりジョチの子孫たち)は、身分あるいは社会的な地位待遇は、リューリク朝の皇族より上だったそうな(373頁)。

(Рязань: МПСИ, 2011.)

В.А. Тишков - Российский народ.

2013年08月05日 | 西洋史
 副題「История и смысл национального самосознания.」

  "русские"は民族としての「ロシア人」、"россияне" は "Население России" つまり「ロシア(連邦)の住民」、そして著者がタイトルに掲げる "российский народ" は「ロシア連邦国民」。「中華民族(=中華人民共和国国民)」と概念としてよく似ているようだが、内実はいまだよく理解できない。
 中国の場合と違い、ロシア連邦におけるロシア人:非ロシア人の人口比から考えて、ロシア語話者化はできても文化的なロシア人化は無理だろうと思うが。

( М: Наука, 2013.)

ニッコロ・マキアヴェッリ著 佐々木毅全訳注 『君主論』

2013年07月18日 | 西洋史
 君主が信義を守り、狡知によらず誠実に生きることがいかに称讃に値するかは、何人といえども知っている。しかしながら経験によれば、信義のことなどほとんど眼中になく、狡知によって人々の頭脳を欺くことを知っていた君主こそが今日偉業をなしている。そして結局信義に依拠した君主たちに打ち勝ったのである。 (「第十八章 君主は信義をどのように守るべきか」本書141頁)

 そこで闘争の方法には二つのものがあることを知る必要がある。一つは法によるものであり、他は力によるものである。第一の方法は人間に固有の方法であり、第二のそれは野獣に特有な方法である。しかしながら第一の方法ではしばしば充分でないため、第二の方法が援用されることになる。それゆえ君主は野獣と人間とを巧みに使い分けることを知る必要がある。 (同上)

 それゆえ君主にとって必要なのは上に述べたような資質を有することではなく、それを持っているように見えることである。〔略〕 君主、とくに新しい君主は、人間が良いと考える事柄に従ってすべて行動できるものではなく、権力を維持するためには信義にそむき、慈悲心に反し、人間性に逆らい、宗教に違反した行為をしばしばせざるをえない(同、143-144頁)

 憎悪を招くのはすでに述べたようになによりも強欲で臣民の財産や婦女子を奪う行為であり、君主はこのような行為を自制しなければならない。 (「第十九章 軽蔑と憎悪とを避けるべきである」本書147頁)
 
 つまり君主には正義などは必要ではなく、公正も公平も法の支配も無用である。ただしおのれの支配にとり必要もしくは有利であれば、手段あるいは口実として用いよと云う。ここに支配者が自身の権力をいかに維持するかということしかテーマはなく、その権力を維持した果てに何があるのか、何をするのかは一切語られない。つまり公共の精神がない。いったい何のための権力なのであろう。
 
(講談社 2004年12月)

カール・マルクス著  植村邦彦訳 『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日〔初版〕』

2013年05月11日 | 西洋史
 原注がまったくないのだが、マルクスの言うことは頭から正しいと信じなければならないのだろうか。訳注も、ここで述べられる主張の根拠となる事実関係の確認にはまったく不足である。柄谷行人氏の付論も、そこには触れるところがない。

(平凡社 2008年9月)

アニーシモフ 『18世紀中葉におけるロシアのヨーロッパ外交』

2013年04月17日 | 西洋史
 原書名:Анисимов М.Ю.- Российская дипломатия в Европе в середине XVIII века.

 まさにタイトル名のとおりで、それ以外の地域は出てこない。個人的に中央・東アジアにたいするそれが少しでもでていないかと期待したのだが。
 ただし、対オスマン帝国外交は、あった。この時期両者の緩衝地帯となっていた(主としてオスマン帝国側からみてロシアとの)クリミア・ハン国についても、専門研究書を引いての言及あり。

(М: КМК, 2012.)

マルク・ブロック著 新村猛/大高順雄/森岡敬一郎/神沢栄三訳 『封建社会』 全2巻

2013年02月05日 | 西洋史
 封建制とは「中世北西部欧州社会特有の支配形態」(ウィキペディア「封建制」項)であり、マルクス主義歴史学の言うような世界史の基本法則ではない、ただし日本においては類似の制度が歴史上存在したという今日の通説を再確認。

(みすず書房 1973年9月/1977年1月)