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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

井川義次 「イントルチェッタ『中国の哲学者孔子』に関する一考察」

2014年09月05日 | 西洋史
 『筑波中国文化論叢』12、1992年、同誌19-38頁。

 この論考では、題名に掲げられた当該書中『大学』の翻訳はクプレではなくイントルチェッタになっている(25頁)。参考2014年09月03日、石川文康「ドイツ啓蒙の異世界理解―特にヴォルフの中国哲学評価とカントの場合」

 彼ら〔イントルチェッタやクプレほか〕は第一質料が『太極』に当たると見、それの同義語である『理』および『道』が、ある種の理性ないしは形相であると考え、ひいてはそれが理性(ratio)つまり神のロゴスと重なる部分があるのではないかと考えたのである〔略〕。すなわち『理』は、純粋質料であることは『太極』と等しいものの、むしろ理性ないし形相的な特質を有することに目を向けるべきだとしたのである。 (32頁)

 だから西欧人の「理」理解は、人によって理性であったりはた物質であったりという分裂した解釈となりえたのかと分かる。

石川文康 「ドイツ啓蒙の異世界理解―特にヴォルフの中国哲学評価とカントの場合」

2014年09月03日 | 西洋史
 副題「ヨーロッパ的認知カテゴリーの挑戦」。
 中川久定『「一つの世界」の成立とその条件』(国際高等研究所 2007年12月)所収、同書73-91頁。
 本日「堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』上下、就中下を読後」より続き。
 
 この論考において、石川氏もライプニッツとヴォルフの中国哲学理解について、堀池氏と同様の評価を下している。

 右の『大学』のラテン語文面〔引用者注・「修身斉家治国平天下」のクプレ訳〕の連鎖式にも、明示されているのは明らかに前後関係だけであって、因果関係ではない。それにもかかわらず、ヴォルフの思考過程は充足理由律という『認知カテゴリー』によって原文の真意を汲み取り、そこに因果関係(充足理由の連鎖)を見抜いているのである。とすると、これこそがヨーロッパ的『認知カテゴリー』がかぎりなく『存在のカテゴリー』と一体化した典型例であるといえよう。 (82頁)

 なお同論文によれば、カントは「中庸」の考え方を、「論理学、すなわち『真か偽か』という二者択一が問題になる領域において」、「蓋然性の論理」として取り入れた由(87頁)。
 
 。関連する研究として、堀池信夫総編集『知のユーラシア 1「知は東から」(明治書院 2013年5月)、また中川久定/J.シュローバハ編『十八世紀における他者のイメージ アジアの側から、そしてヨーロッパの側から』(河合文化教育研究所2006/3)あり。これらも大変に興味深い論文集。

 9月23日補注堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』下では、『中国の哲学者孔子』における『大学』のラテン語訳の訳者は、イントルチェッタになっている。井川義次「イントルチェッタ『中国の哲学者孔子』に関する一考察」およびKnud Lunbaek "The First European Translations of Chinese Historical and Philosophical Works"と同じ。「第六章 中国古典の翻訳紹介と影響 第一節 クープレとイントルチェッタの『中国の哲学者孔子』」同書211頁。

堀池信夫『中国哲学とヨーロッパの哲学者』上下、就中下の読後感

2014年09月03日 | 西洋史
 2014年08月13日「堀池信夫 『中国哲学とヨーロッパの哲学者』 上」より続き。

 イエズス会による経典翻訳、教義紹介以来、ながらく西洋人は、儒教の「理」を、あるいは「理性」「理法」「この世の根本法則」「原因」と見、あるいは「神」とし、また「道」を、「自然法」あるいは「倫理」と看做してきた。それらはすべて、自分たちの尺度にひきよせて解釈したものだった。

(明治書院 2002年2月)

後藤末雄 『中国思想のフランス西漸』1・2

2014年08月17日 | 西洋史
 「1」で、イントルチェッタ『大学』羅語訳の仏語訳が、「経一章」の初句「大学之道在明明徳」を訳していない事実を指摘している(285-286頁。漢仏両文を並列表示、仏文は邦文直訳付)。私見だが、この句を訳していないのは翻訳として論外ではないかと思う。

(平凡社東洋文庫版 1969年8・10月)

堀池信夫 『中国哲学とヨーロッパの哲学者』 上

2014年08月13日 | 西洋史
 この浩瀚な研究のなか、リッチの『中国キリスト教布教史』がなぜイタリア語で書かれたかについての説明がある。

 『中国キリスト教布教史』はもともとイエズス会への儒教研究報告として書かれたものであった。当時のイエズス会総会長はイタリア人のクラウディオ・アッカヴィーヴァであった。それゆえリッチはこの報告を、アッカヴィーヴァの母国語イタリア語〔原注・リッチの母国語でもある〕で書いたのである。トリゴーによると、リッチはこの報告をまず最初に総会長自身が読み、その承認を受けた後に一般に公開しよう望んでいた〔ママ〕。そのため、他の人物に読まれる可能性の高いラテン語では書かず、まずイタリア語で書いたのだという。 (「第二節 リッチの祖述者――ニコラ・トリゴー」 同書459頁)

 このくだりには根拠となる出典の注が付されている(原注6)。
 さらに、堀池氏は、それに基づく自身の推測として、「そこには、おそらく中国において、土地の環境に配慮しながら、儒教と妥協的に布教を進めるという方法について、一般に公認されうるものか否かの懸念について、打診の意図もあったのであろう」(同上)と続けている。

(明治書院 1996年2月)

Christian Wolff, "The Real Happiness of a People Under a Philosophical King"

2014年07月22日 | 西洋史
 2014年07月10日「井川義次 『宋学の西遷 近代啓蒙への道』」より続き。
 ウィキペディアの著者の項(「クリスティアン・ヴォルフ」)に、「ライプニッツ流の退屈でもったいぶった文体をドイツの学界に広めた」とある(“業績”条)。
 私にはドイツ語の原文はわからないが、読んだ英訳からは、かなり「もったいぶった」文体であるとは感じた。退屈かどうかは知らない。
 浅いとは思った。なぜならここで紹介され賛美される中国は、伏羲も神農も堯も舜も孔子も、おのれの哲人政治論を説くうえで恰好の(と本人が考えた)例、もしくはダシ、にすぎないからだ。自身の哲学における諸概念や議論の必要要素に見立ててそれらを当てはめているだけである。単なる記号だ。

(London: M. Cooper, 1750)

井川義次 『宋学の西遷 近代啓蒙への道』

2014年07月10日 | 西洋史
 すべては美しき誤解だったということか。就中ヴォルフの、中国ではライプニッツ以前に充足理由律が認識されていたという主張など、噴飯物でさえある。彼はそこに己が見たいものを見ただけだったのだ。そして彼が依拠したノエルとクプレによる中国古典のラテン語訳と解説もまたあまり正確ではなかった。

(人文書院 2009年12月)

Темиргалиев Р.Д. - Казахи и Россия.

2014年06月12日 | 西洋史
 テミルガリエフ『カザフ人とロシア 18-19世紀におけるカザフ人領地のロシア帝国編入史』(「日ソ」の訳題による

 注があまりない。本文中に引かれる文献や史料は巻末に一括してあげてあるが(総205冊)、引用時に当該章や頁の指示はない。読む側からすれば、非常に使いづらい。

( М.: Международные отношения , 2013.)

T.L. ヒース著 平田寛/菊池俊彦/大沼正則訳 『復刻版 ギリシア数学史』

2014年04月22日 | 西洋史
 内容もさることながら、表紙の訳者名表記が「平田寛+菊池+大沼訳」となっているのが興味深い。平田氏の前書きによれば主たる訳者(全18章のうち12章の途中まで訳した)という意味らしいが。もとの版では平田氏の名前だけが掲げられていたらしい。同じく「訳者のまえがき」による。扉もそうなっている。

(共立出版 1998年5月)

ウィリアム・V・バンガート著 上智大学中世思想研究所監修 『イエズス会の歴史』

2014年01月08日 | 西洋史
 追補部分執筆者:クラウス・シャッツ
 翻訳担当者:岡安喜代、村井則夫(追補部分翻訳)

 極東部分しか見なかったが、自身の活動が、中国や日本の歴史や思想にどのような影響を与えたかという視点は、“イエズス会の歴史”という主題上、全くなかった。西洋技術や科学の紹介は、あくまで布教のための道具にすぎなかったという認識である。それが現地においていかにして受け入れられたか、あるいは受け入れられなかったかに、筆者の関心はない。

(原書房 2004年12月)