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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ヒューマニズム - Wikipedia

2015年05月20日 | 西洋史
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 ルネサンス期における「ヒューマニズム(人文主義)」とは、主として古典研究、フマニタス研究を指すが、20世紀にはいると、この古典研究の意味から離れて合理主義的解釈が施され、以下のような極端なとらえ方がなされる場合がある。善や真理の根拠を、神でなく理性的な人間の中にみいだそうとした、と。その延長上として「人間中心主義」と訳出する場合があるが、この「人間」とは、西欧近代的な価値観に基づく「理性的」な人間であり、理性中心主義・西欧中心主義に通じる概念である〔略〕、と。この解釈は、啓蒙主義以後の観点であり、ルネサンス人文主義とは明確に区別されるべきであろう。 (下線は引用者)

 なるほど。
 同項の記述は以下のように続く。

 14世紀イタリアのペトラルカ以降、古典古代(ギリシア・ローマ)への関心が高まるルネサンス期になると、スコラ学的なアリストテレス哲学に基づく論理体系に対して、キリスト教以前の古代のギリシア・ローマの詩歌、歴史、修辞学の中に倫理の源泉を見いだそうとする動きが生じた。この点で、神中心のカトリックに対する人間中心主義とも言われるが〔後略〕


 ここまでは腑に落ちる。ギリシア・ローマは、多神教とはいえ神が存在したからだ。彼らの自体の「理性」もまた、やはり神とつながりがある。だが、そのあとはやや解りづらい。

 論理体系・視座において新たな姿勢を打ち出しただけで、キリスト教そのものを否定したわけではないし、必ずしもカトリックとの対立を伴ったわけではなかった。古典を研究し、教養ある人士の生き方、生活様式が人文主義者(ユマニスト)の身上とされた。


 倫理の源泉をキリスト教の唯一神から外すことはたしかに「キリスト教そのものを否定したわけではない」かもしれない。しかし、「論理体系・視座において新たな姿勢を打ち出しただけ」で、果たして済むのだろうか。

岡道雄訳 『キケロー選集』 8 「哲学I 国家について 法律について」

2015年05月16日 | 西洋史
 友愛がそれ自体のために尊ぶべきものだとすれば、人間同士の交わりも、平等も、正義も、それ自体のために求めるべきである。もしそうでなければ、およそ正義というものは存在しない。正義の報酬を求めることは、もっとも不正なことだからである。 (「法律について」(第1巻)、十八、212頁)

 平等と正義とが別の概念として捉えられている。そして平等もそうだが、正義は利益や代価とは関係のない存在とされている。

(岩波書店 1999年5月)

山口義久訳 『初期ストア派断片集』 3

2015年05月10日 | 西洋史
 ロゴス的能力は、人間の魂に固有のものであるので、それはロゴスなき動物と同じ仕方で衝動を働かせる必要はなく、もろもろの表象に判断を下して、それらの表象と一緒に引きずられずにいるべきだという。 (クリュシッポス「理性のない動物について」七一四、本書99頁)

 この個所の訳者注。「すなわち、行為の前に判断が入るのが人間の特徴だということである」。ちなみに引用した前の部分では、植物は魂もなく、ただピュシス(生育力)をのみ分け持っているとされる。

(京都大学学術出版会 2002年9月)

稲垣良典 『トマス・アクィナス哲学の研究』

2015年05月04日 | 西洋史
 トマス・アクィナスの倫理学的著作のうちには、倫理の領域における理性の役割を強調するテキストが随所に見られる。「理性は人間的〔=倫理的〕行為の原理である」「人間の善とは理性に適うということである」「人間であるかぎりにおいての人間の善とは、理性が真理の認識において完全であり、理性の規則にしたがって低次の欲求能力が規制される、ということに見出される」〔略〕右の言葉は、理性的能力を備えていることがそもそも倫理的に行動しうるための必要条件である、ということを意味するものと解されるであろう。 (「第二部第十章 倫理学における理性」、本書253頁)

 つまりアクィナスは人間にはだれでも理性が先天的に備わっていると自覚的に言っているということ。

(創文社 1970年3月第1刷 1976年11月第2刷)

B. スネル著  新井靖一訳 『精神の発見 ギリシア人におけるヨーロッパ的思考の発生に関する研究』

2015年04月29日 | 西洋史
 「第12章 ギリシア語における自然科学的概念の形成」。その一因(それも大いなる)として、著者は、ギリシア語においては早くから定冠詞が発達していた事実を挙げる。定冠詞のおかげで「~というもの」「~であること」という、事物の総称化・抽象概念化が可能になったことに由ると。ラテン語はその方面の発達が遅れ、キケロはギリシア語の総称・抽象名詞をラテン語に翻訳するのに苦労していると指摘している。
 であるならばなぜギリシア語に定冠詞は出現したのであろうか。

(創文社 1975年2月)

濱本真実 『「聖なるロシア」のイスラーム 17‐18世紀タタール人の正教改宗』

2014年11月01日 | 西洋史
 カシモフ皇国に関してРахимзяновのКасимовское ханство. (1445-1552 гг.) Очерки истории.を引用している(ただし引用は2001年版から)。 
 Рахимзяновが同著で指摘する、ヴァシーリー二世が即位時にウルグ・ムハンマドから任命の勅書を受けている事実については言及はなし。

(東京大学出版会 2009年3月)

J.J. Clarke, "Oriental Enlightenment: The Encounter Between Asian and Western Thought"

2014年10月30日 | 西洋史
 'II-3 China cult: the age of Enlightenment' . の1節。

  (Leibniz's) hermeneutical engagemant with the I Ching was based on a misunderstanding of the text, an interest that was not renewed until the twentieth century." (p. 49) 

 まったく身も蓋もない。しかし『維基百科』のライプニッツ(戈特弗里·莱布尼茨)項も、相当なことを書いている。

  事实上,说莱布尼茨看到阴阳才发明二进制完全是断章取义,相反手稿标题全文是:《1与0,一切数字的神奇渊源。……这是造物的秘密美妙的典范,因为,一切无非都来自上帝。》,而且莱布尼茨自己写给若阿基姆·布韦的信中莱布尼茨写到的是:“第一天的伊始是1,也就是上帝。第二天的伊始是2,……到了第七天,一切都有了。所以,这最后的一天也是最完美的。因为,此时世间的一切都已经被创造出来了。因此它被写作‘7’,也就是‘111’(二进制中的111等于十进制的7),而且不包含0。只有当我们仅仅用0和1来表达这个数字时,才能理解,为什么第七天才最完美,为什么7是神圣的数字。特别值得注意的是它(第七天)的特征(写作二进制的111)与三位一体的关联。” (「6 萊布尼茨與中國文化」)

(NY: Routledge, May, 1997)

ティモシー・ブルック著 本野英一訳 『フェルメールの帽子 作品から読み解くグローバル化の夜明け』

2014年10月09日 | 西洋史
 フェルメールの絵をテキストに、例えば『春秋』に擬えれば、この書は『左氏伝』の如し。或いは『三国志』に対する裴松之注の如し。テキストで示された情報を取り上げ、その周囲の語られざるを補う。

(岩波書店 2014年5月)

Knud Lunbaek, "The First European Translations of Chinese Historical and Philosophical Works"

2014年09月12日 | 西洋史
 Thomas H. C. Lee (ed), "China and Europe: Images and Influences in Sixteenth to Eighteenth Centuries", Chinese Univ Pr., Jun. 1991, pp. 29-43.
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 イントルチェッタ『中国の哲学者孔子』の『大学』の翻訳者はイントルチェッタであるとしてある(p. 38)。ほか『論語』の一部とおそらくは『中庸』の訳者も。クプレは翻訳作業には関与したかどうかは不明とする。参考として注でクプレ本人の1687年12月4日付けChristian Mentzel宛て手紙にある「自分が中国で研究(study)したのは四書のひとつだけだ」という発言を引いている(No. 12, p. 42)。
 この発言が証拠になるのかどうかはわからない。そのかわりに関与したという積極的な証拠もないらしい。