http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0
ルネサンス期における「ヒューマニズム(人文主義)」とは、主として古典研究、フマニタス研究を指すが、20世紀にはいると、この古典研究の意味から離れて合理主義的解釈が施され、以下のような極端なとらえ方がなされる場合がある。善や真理の根拠を、神でなく理性的な人間の中にみいだそうとした、と。その延長上として「人間中心主義」と訳出する場合があるが、この「人間」とは、西欧近代的な価値観に基づく「理性的」な人間であり、理性中心主義・西欧中心主義に通じる概念である〔略〕、と。この解釈は、啓蒙主義以後の観点であり、ルネサンス人文主義とは明確に区別されるべきであろう。 (下線は引用者)
なるほど。
同項の記述は以下のように続く。
14世紀イタリアのペトラルカ以降、古典古代(ギリシア・ローマ)への関心が高まるルネサンス期になると、スコラ学的なアリストテレス哲学に基づく論理体系に対して、キリスト教以前の古代のギリシア・ローマの詩歌、歴史、修辞学の中に倫理の源泉を見いだそうとする動きが生じた。この点で、神中心のカトリックに対する人間中心主義とも言われるが〔後略〕
ここまでは腑に落ちる。ギリシア・ローマは、多神教とはいえ神が存在したからだ。彼らの自体の「理性」もまた、やはり神とつながりがある。だが、そのあとはやや解りづらい。
論理体系・視座において新たな姿勢を打ち出しただけで、キリスト教そのものを否定したわけではないし、必ずしもカトリックとの対立を伴ったわけではなかった。古典を研究し、教養ある人士の生き方、生活様式が人文主義者(ユマニスト)の身上とされた。
倫理の源泉をキリスト教の唯一神から外すことはたしかに「キリスト教そのものを否定したわけではない」かもしれない。しかし、「論理体系・視座において新たな姿勢を打ち出しただけ」で、果たして済むのだろうか。
ルネサンス期における「ヒューマニズム(人文主義)」とは、主として古典研究、フマニタス研究を指すが、20世紀にはいると、この古典研究の意味から離れて合理主義的解釈が施され、以下のような極端なとらえ方がなされる場合がある。善や真理の根拠を、神でなく理性的な人間の中にみいだそうとした、と。その延長上として「人間中心主義」と訳出する場合があるが、この「人間」とは、西欧近代的な価値観に基づく「理性的」な人間であり、理性中心主義・西欧中心主義に通じる概念である〔略〕、と。この解釈は、啓蒙主義以後の観点であり、ルネサンス人文主義とは明確に区別されるべきであろう。 (下線は引用者)
なるほど。
同項の記述は以下のように続く。
14世紀イタリアのペトラルカ以降、古典古代(ギリシア・ローマ)への関心が高まるルネサンス期になると、スコラ学的なアリストテレス哲学に基づく論理体系に対して、キリスト教以前の古代のギリシア・ローマの詩歌、歴史、修辞学の中に倫理の源泉を見いだそうとする動きが生じた。この点で、神中心のカトリックに対する人間中心主義とも言われるが〔後略〕
ここまでは腑に落ちる。ギリシア・ローマは、多神教とはいえ神が存在したからだ。彼らの自体の「理性」もまた、やはり神とつながりがある。だが、そのあとはやや解りづらい。
論理体系・視座において新たな姿勢を打ち出しただけで、キリスト教そのものを否定したわけではないし、必ずしもカトリックとの対立を伴ったわけではなかった。古典を研究し、教養ある人士の生き方、生活様式が人文主義者(ユマニスト)の身上とされた。
倫理の源泉をキリスト教の唯一神から外すことはたしかに「キリスト教そのものを否定したわけではない」かもしれない。しかし、「論理体系・視座において新たな姿勢を打ち出しただけ」で、果たして済むのだろうか。