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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

YouTube 「ジブリはこうして生まれた (Ghibli Backstage) 1998 NTV_1/2」

2011年07月11日 | その他
http://www.youtube.com/watch?v=NqHx74RD4aw

 ええ、もちろん2/2も見ましたよ。鈴木プロデューサーの若い頃を映像化するなら、岡村隆史さんに演じてもらいたいと思う。
 それから最初なんで家弓家正さんがナレーションなのかわからなかったが、途中で突然理解した。クロトワだからですかぁっ! 

足立由美子 『バインミー ベトナムのおいしいサンドイッチ』

2011年07月08日 | その他
 これは、おいしいよ~。まずバゲットがむちゃくちゃうまい。バゲットにかぎらず、ベトナムはパンが美味しいらしい。フランス植民地時代に本格的なフランス式パンの製法が入ってきたからだそうである。実際美味かった。ハノイで泊まっていたホテルの毎朝のバイキングの食パンも、ものすごくうまかった。パンがこれほどおいしいと思ったのはひさしぶりだ。「ウィキペディア」によれば、ベトナムのフランスパンには米粉を加えるそうだが(→こちら)、そのことが関係しているのかどうかはわからない。とにかく、数年前に食べた某パン屋(日本)のベーグルを除けば、シベリア鉄道(ナホトカ―ハバロフスク間)の食堂車で出たパン(黒パンも含め)以来である。米国で食べたパン(グリンネル、デモイン、シカゴ、ニューヨーク、ワシントン、シアトル)は、バサバサで、どれも美味くなかった(注)。カナダのパン(ビクトリア、トロント、バンフ、ナイアガラフォールズ)は、まあまあ。オーストラリア(ブリズベーン、メルボルン、シドニー、パース、アデレード、ゴールドコースト、アリス・スプリングス)は、かなり美味しかった。もちろん以上は私個人の味覚の判断です。

 。アマナコロニー(アイオワ州)を除く。

(文化出版局 2010年7月)

トウェン P. T. 著 青木由希子企画・撮影 『ベトナムの料理とデザート』

2011年06月12日 | その他
 ハノイでは旧市街・36街の真ン中にある、伝統家屋(町屋)を改装したホテルに泊まっていた。ホテルのパンフレットを見ると、開業時9室だったのが(そりゃ最高3階、間口3メートルの伝統家屋を二軒潰して改装したらそのくらいがせいぜいだろう)、現在45室というのでこわくなった。どんな違法建築だ。
 だが外から側面を眺めると、そうそう粗雑な造りはしていないようなので安心して、毎朝、最上階8階のレストランで早朝のハノイの景色を楽しんだ(附近でもっとも高い建物だったので素晴らしい眺めだった)。そのホテルは、内装はすばらしいコロニアルスタイルである。本当に素晴らしかった。シンガポールのラッフルズ・ホテルを想い出させるほどといえば、少しは伝わるだろうか。従業員のマナーとサービスも、私にいわせれば満点といいたいほど、神経が行き届いていた。
 ええと、私は何を書いているのかな。いまある翻訳の仕事をとにかく今日の分は終えて(これがまた難しくて神経切れそう)、ストレス発散に夜中にジョギングし、シャワー浴びて汗を流したあと、ベトナムの焼酎ネプ・モイでしたたかに酔っているところである。そうだ、ホテルのドアマンと仲良くなって、地元の人間がよく通うベトナム料理レストランを教えてもらって、夜そこへ出かけたことを書こうとしているのであった。
 そしてそこで私は、この本で紹介されている料理やデザートを実際に賞味したのである。
 そのレストランは、広い敷地内に、体裁としてはわざと屋台村みたいにしてある所だった。二日続けて行ったが、どちらも盛況だった。その気楽さは、客を無用に緊張させないためのレストラン側の気くばり、演出であることはすぐわかった。静かに食事を楽しみたい客は、敷地中央に建てられた、これもコロニアルスタイルの建物の中のしつらえれられたテーブルに座ればよいのである。ただちに気に入った。
 最初の日、偶々となりあわせになった二人組が、ホーチミンシティからの出張独身ビジネスマンで、英語を話すので会話が盛り上がったのはよいが、よからぬ遊びに誘われた。ご好意に感謝しつつ鄭重にお断りした。それはさておき、彼らのおすすめの料理で、嘗してみたのがバンセオ(ベトナム風お好み焼き・78頁)とデザートのチェー・クァ・ハン(フルーツとタピオカのココナッツミルク風味パフェ・49頁)である。バ(イ)ンセオは西村ミツル/かわすみひろし『大使閣下の料理人』で名前と一緒に大体どんなものかは知っていたが、実際に食してみると絶品だった。美味し美味し。チェー・クァ・ハンも同じく。

(PARCO 2001年8月)

中島岳志 『中島岳志的アジア対談』

2011年06月11日 | その他
 そもそもは坪井善明氏との対談(「共和主義者、ホー・チ・ミン」)を読むために図書館で借りたのだが、開いてみると山内昌之氏との対談も収録されていた(「ムスリム共産主義者の夢」)。その他、興味の赴くままに拾い読み。
 学界内のうけ狙いを専らにするのが学客なら、一般社会のうけを狙うのは学商か。前者にはまだしも学問をする、しなければならないというまがりなりにも研鑽へのインセンティブがあるが(門戸を張るうえで最低限度の常識はわきまえておく必要がある)、後者になると、それすらなくなって、ついには勉強しなくなる。マスコミの振り付けどおりに、そこで「学者」の役を演じるタレントになるのである。(だから昔は「タレント教授」と言ったのか?)
 さて、この人はどちらなのだろう。対談相手の選択については、「毎日新聞」学芸部の鈴木英生氏とご本人の話し合いによる結果だというが(鈴木氏「序」)、私にとっては一般向けのいま言った意味での“タレント”としか思えない人々が混じっている。浮き世の義理でつきあっているのか本気で意気投合しているのか。それとも私のほうがこれらの人々を見損なっているのか。

(毎日新聞社 2009年10月)

YouTube 「宇多田ヒカル&ダウンタウン トーク」

2011年05月30日 | その他
 〈http://www.youtube.com/watch?v=LK1Ih9gRvT4&feature=related

 有名な、倉木麻衣さんについてのコメントの回。だが正直言って、どこがわるいの?という感じ。浜ちゃんの煽りに、宇多田ヒカルさんのほうは応じないばかりかかえって抑えようとしているほどである。
 ただし「アレッ、あたし?」だけは、彼女の立場(名声と影響力)からして、やりすぎだったのかもしれない。一般人なら何の問題もなかったろうが。(因みに松っちゃんの「俺しらんからな~、わからんな~」以下の台詞は、もしかしたしたら場の行き過ぎを抑えるためのおとぼけだったのかもしれないと思ったりする。)

『アジア語楽紀行』「旅するベトナム語」

2011年05月22日 | その他
 ベトナム行きの下準備。言葉はいまからではとてもとても付け焼き刃も無理、どんなところか風景と雰囲気を、腰だめの見当としてすこしでも知ろうと。しかし舞台は南部のホーチミン市にメコン河流域、そして中部のホイアン市。私が行くのは北部ハノイ市周辺なのだが。というわけで明日23日から行ってきます。27日に帰宅します。向こうでもインターネットメールは毎日チェックできる(はず)です。

(バップ 2005年12月)

YouTube 「テキサス親父 中国漁船の巡視船への衝突ビデオが流出(字幕付き)」

2011年05月16日 | その他
http://www.youtube.com/watch?v=ncjObXGgJaw&feature=related

 字幕がときにうるさいが、内容のおもしろさはそれを補って余りある。
 "commie"(アカ)なんて言葉、ナマの人の口から聞くのは久しぶりだ。『キャノンボール2』(1984年)以来か(バート・レイノルズが言っていた)。いや『JFK』(1991年)でも誰か言っていたかな。ジャック・ルビーあたりとか。
 とにかく、1990年代の初めに私が居た米国中西部の町は、黒人は一家族しかおらず、日本人を含む東洋人は町にある唯一の私立の大学の構内にいるだけで町の人々とは日常接点はなく、町の住民はほとんど100パーセント中欧・東欧からの移民の子孫(つまり白人)で、文化的に均質度がたかく、他民族や他人種は、テレビや雑誌、本の写真でしか知らない存在だった。相手がいないのだから差別は起こりようもなく、当然、その種の差別用語も、まず聞くことはなかった。まったくなかったとは言わない。一度子供に"Jap!"と、石を投げられたことがある。  

YouTube 「テキサス親父が築地市場の旅行者締め出しを語る(字幕) 」

2011年05月15日 | その他
http://www.youtube.com/watch?v=2oN0orbmGGU&feature=related

 前項の訂正。
 この人、明らかにイタリア人、Italian-American だよ。喋りといい、身振りといい。しかも間投詞にイタリア語が交じっている。
 実は、昔オーストラリアでこのオッチャン(敬意を籠めてこう呼ぶ)に外見そっくりのイタリア人に会ったことがあって、最初から多分そうだろうとは思っていたが。