子規はもともと左利きだったそうな。御母堂の談(「子規居士幼時」)。「病気中寝て居た時も元来左がきけたので重宝で御坐いました」。しかし「年が行てからは直りましたが」という八重の言い方には自然にそうなったような響きもあって少し可笑しい。粟津則雄編『子規の思い出』(増進会 2001年11月)。
また、この『子規の思い出』に収める瀾水若尾庄吾による子規追想(「子規子の死」)は、筆者が認める子規の凶德=「冷血」および「狭量、嫉妬、我執」を列挙・指摘するものである。そしてそれを知らずあるいは知りつつ外界に対してはその欠点を隠蔽糊塗し宗匠の美化に努める「お有難連」「お菰連」に対する攻撃。
また、この『子規の思い出』に収める瀾水若尾庄吾による子規追想(「子規子の死」)は、筆者が認める子規の凶德=「冷血」および「狭量、嫉妬、我執」を列挙・指摘するものである。そしてそれを知らずあるいは知りつつ外界に対してはその欠点を隠蔽糊塗し宗匠の美化に努める「お有難連」「お菰連」に対する攻撃。