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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

子規はもともと左利きだったそうな。・・・

2018年08月17日 | 思考の断片
 子規はもともと左利きだったそうな。御母堂の談(「子規居士幼時」)。「病気中寝て居た時も元来左がきけたので重宝で御坐いました」。しかし「年が行てからは直りましたが」という八重の言い方には自然にそうなったような響きもあって少し可笑しい。粟津則雄編『子規の思い出』(増進会 2001年11月)。
 また、この『子規の思い出』に収める瀾水若尾庄吾による子規追想(「子規子の死」)は、筆者が認める子規の凶德=「冷血」および「狭量、嫉妬、我執」を列挙・指摘するものである。そしてそれを知らずあるいは知りつつ外界に対してはその欠点を隠蔽糊塗し宗匠の美化に努める「お有難連」「お菰連」に対する攻撃。

トーマス・マンのトルストイ論(直接には『アンナ・カレーニナ』を題材とした)・・・

2018年08月03日 | 思考の断片
 トーマス・マンのトルストイ論(直接には『アンナ・カレーニナ』を題材とした)、ドストエフスキー論、チェーホフ論は、それに賛同するにせよしないにせよ、丹念にして重厚な思索と考察の賜であることは間違いない。新潮社『全集』Ⅸ、所収。あるいは小林秀雄の類似の評論よりも“考えるヒント”として有益かもしれない。

卒論で沙陀部族のある人物を扱ったのだが、・・・

2018年07月25日 | 思考の断片
 卒論で沙陀部族のある人物を扱ったのだが、そのときは当方アホで気も付かなかったが、沙陀が地名で、自分の部族名もしくは集団名を、なんらかのゆかり(アイデンティティのよりどころ)がある地名から採るというのは、漢語的発想のようにも思える。
 これは沙陀もしくは彼らが同心円で同胞と感じる周辺もしくは上位集団の文化的思考様式でもあったのか、それとも彼らが漢語世界と交渉するうちに多少とも漢化して(漢語を使用するようになったと言うくらいの意味)、そういう思考法を取るようになったのか、それとも彼らとは関係なく、記録する漢語世界のほうでそう、いわば勝手に彼らを“名づけ”(=世界を分節)たのか。

『戦国策』秦策一「衛鞅亡魏入秦」を読んでの疑問一つ

2018年07月04日 | 思考の断片
 テキストはウィキソースから。

 號曰商君。商君治秦,法令至行,公平無私,罰不諱強大,賞不私親近,法及太子,黥劓其傅。

 太子本人を黥劓しなくて何が“公平無私,罰不諱強大”かと思うが、傅という太子にとって近しい(親しい)存在を罰することで、面子を潰して辱めるというやり方での罰なのかもしれない。でないと太子にあそこまで恨まれるという理由がよくわからない。ひとつには衛鞅に取って代わられる可能性を危惧したということはあるものの。

 孝公已死,惠王代後,〈姚本惠王,孝公太子也。〉蒞政有頃,商君告歸。〈姚本懼惠王誅之,欲還歸魏也。 鮑本懼誅歸商。〔後略〕

薄田泣菫『茶話』をざっと見返して・・・

2018年07月03日 | 思考の断片
 薄田泣菫『茶話』をざっと見返して「演説の用意」、有名なウィルソン大統領の「十分間の演説の準備には二週間かかる」の話も慥かに面白いが、その前の話は更に面白く感じられる。「ゲエテだつたか、『今日は時間が無いから、仕方なく長い手紙を認める』と言つたが、これは演説にもまたよく当てはまる」


佐々木毅先生の『よみがえる古代思想』(講談社学術文庫)を読んでいると、・・・

2018年06月28日 | 思考の断片
 佐々木毅先生の『よみがえる古代思想』(講談社学術文庫)を読んでいると、十七世紀に近代哲学から目的因が消えていくという指摘がある(114頁)。この時期に「自分/我」という存在を指す語が例えば英語ではobjectからsubjectに変わり(いわば視角が反転し)、そしてこれも英語だが、いくつかの形容詞の意味が、外見のそれ、もしくは他者から見える状態の形容から、内面の、その原因となるもとの状態(=作用因)を形容する意味へと変わるのもたしかこの頃の筈だが、何か関係はあるのだろうか。

 記憶に頼っての思考のため、あとで改めて書き直す。

現代漢語の「眞心/真心」を「まごころ」とだけ説明している某中日辞書を見て・・・

2018年06月15日 | 思考の断片
 現代漢語の「眞心/真心」を「まごころ」とだけ説明している某中日辞書を見て呆れている。訓読以下である。いいもわるいもその人のありのままの心、本心・本性が「眞心/真心」だろう。せめて「ほんね」と訳せないか。
 そして、「品性」を「品性」とこれはもうそのまま。説明にもなっていない。漢語(乃至漢語の分節する世界)の「品」は、日本語の「上品」「下品」の品ではなく、ある教条の知悉度=その人間の価値及び身分の等級のことである。日式漢式をこき混ぜて言えば、彼の地では下品な上品もいれば上品な下品もいるのである。