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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

石川淳 『森鷗外』

2018年08月20日 | 文学
 この著者はこんなに虚喝の甚だしい文章の書き手であったかとしばし戸惑う。取り上げた対象の事実とその背景を踏まえなければならない行文に、そのために必要な知識がついていっていない。
 「焼け跡のイエス」「処女懐胎」「狂風記」「至福千年」、その疾走感が私のひそかな憧れとなったが――調べたこと過去にあらかじめ考えたことを書いていくのではなく、未知の未来へ現在を奔っていくという読中感――、あれは現代物や、あるいは時代物でも、作者の想像や創造に負う部分の多い作品だからこそ生きた筆法であったのか。

(岩波文庫版 1978年7月)

中野好夫 『シェイクスピアの面白さ』

2018年08月17日 | 文学
 なるほどわかりやすくて面白い。『アラビアのロレンス』もそうだったように。行文が面白いというのは目の付け所が違うということで、それを表す言葉遣いが周到だからわかりやすくもなる。時代や土地の設定はどうあれシェイクスピアは当時におけるイギリス現代劇(人物の衣装外見、小道具、そして内面の精神、考え方、感情の動きすべてにおいて)なのだから、翻訳は当然のこと現代日本語であるべきだという立論は明快にして正論だろう。

(講談社文芸文庫版 2017年10月)

ロシアの某SF作品を邦訳で読む。一人称の主人公が・・・

2018年07月03日 | 文学
 ロシアの某SF作品を邦訳で読む。一人称の主人公が「ぼく」であるべき理由が判らず(56歳で「ぼく」? しかもひらがなで? 私なら作中の言動から判断してたぶん「私」にする。「俺」は不適かと考える)、従ってその後の役割語がことごとくこれじゃない感をもたらし、逓増し果ては気持ちの悪さとなって苛まれることになった。

エイモス・チュツオーラ著 土屋哲訳 『やし酒飲み』

2018年06月29日 | 文学
 出版社による紹介

 「だ・である」調と「です・ます」調がランダムに入り交じる不安定きわまりない文体(訳文だけでなく原文〔英語〕がそうらしい)。それでいて、ペン先が軸よりも前(未来)に位置し、そのままそれ以外のすべてを引っ張ってぐんぐん疾走してゆく感じは、石川淳の作品の読中感に類似する。これとは反対に、ペン軸を頭にし、ペン先を後に引きずりつつ、前もって整頓準備されたものを紙の上に圧して書き付けさせているというふうの、鈍重で、それでいていかにも予定調和な感じは、まるでしない。

(岩波書店 2012年10月)

ウィキペディア「楊家将演義」項

2018年06月24日 | 文学
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E5%AE%B6%E5%B0%86%E6%BC%94%E7%BE%A9

 私の持っているのは明・熊大木編とされるものの活字本だが、遼を示す言葉が「番」になっている。(維基文庫の版でもそうだ。)「蕃」でも「蛮」でも「狄」でも「戎」でも「胡」でもないのはなぜか。
 ライトノベル化されたと同項にはあるが、原作自体がある意味、挿絵こそないが(私の持っている版にはない)、私の知る演義物のなかではある意味ライトノベルに属する。文体も相応にライトで読みやすい。場合によっては段落ごとに「却说」(ところで)とあっ、気息奄々といった趣きもある。

リディア・アヴィーロワ著 『チェーホフとの恋 』

2018年05月31日 | 文学
 ワルワラ・ブブノワ絵/小野俊一訳/小野有五解説他。
 
 あまりの面白さゆえに単なる創作ではないかと評された時期もあるが、現在では44年の生涯で唯一真剣と言われるチェーホフのもう一つの真実を伝える作品と評価されている。/1952年の名訳(角川版)が挿絵と共に現代語で甦る。 (出版社による紹介

 シェークスピアが話したとおりの彼の言葉がもしこんにち記録に残っていても、それを彼の劇作の登場人物の科白と同じ調子で訳そうとは誰も思わないだろう(彼の作品は時代劇だからとか、韻文だからという次元においてではなく)。チェーホフもまたそうではないか。彼の戯曲(現代劇で、しかも散文だ)で描かれる人々の誰かと似た口調で日本語に訳されたら、それは彼に対して敬意を表したことになるのか、あるいは・・・。小林秀雄大人(うし)の創造/想像にかかるチェホフ像が今度はその反対側に控えているということもあり、ここはなかなか難しいところか。

(未知谷 2005年2月)