反訓に関して、白川氏が
そんなものは存在しないという立場であることは知っていたが、この著では、例えば「乱」について、本義は「乱れているものを治める」であって「乱す」とするのは後世の解釈の誤りだとする(「2」、37頁)。
(平凡社ライブラリー版 2003年7月)
付記。
「1」で、清・趙翼の『陔余叢考』巻21に中国史における左右の尊卑を論じた条があることを教えていただく(77頁)。同書を早速閲してみると、「尚左尚右」という項である。ややこしい。時代によって左が貴ばれたり右だったり、また同時代でも冠婚葬祭・平時有事の別によって異なってくる。ややこしい。
また同じく元・周密『齊東野語』巻10にも
論じたくだりがあるとの由、調べてみるに、ますますややこしいかぎり。たださきの趙翼はこの書を覧たうえで自論を組み立てているのか、内容的に重複する部分が多い。
それから清・銭大昕『十駕斎養新録』巻10についてもこの件に関し言及があることをご教示いただいた。調べてみると「尚左尚右侍左待右」および「左右」の条である。これがいちばんわかりやすいような。宋以後、元代を除き左を上とすることが少なくとも官制においては確定したらしい。
さらに脱線するが、左右大臣の序列というと私などはすぐ菅原道真の右大臣と藤原時平の左大臣の例を思い浮かべるのだが(時平の左大臣のほうが上)、あの順序はどこから来たのかと思っていたのだが、やはり唐制の輸入だろうか。唐も左を尊んだと『十駕齋養新錄』の「左右」に指摘がある。ちなみに「左遷」は左が右より下にあるという通念のうえになりたつ漢語表現だが、これは『漢書』が初出らしい(巻83「朱博傳」)。漢代は右の方が上だったと『陔余叢考』の彼条に云う。