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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

島田虔次 「體用の歴史に寄せて」

2017年07月01日 | 東洋史
 塚本博士頌寿記念会編『塚本博士頌寿記念仏教史学論集』(1961年2月)所収、同書416-430頁。

 島田先生は「体」は「身」(根本的・第一性なもの)、「用」は「身のハタラキ」(派生的・従属的・第二性なもの)であり、両者の関係は「相関的に(お互いを)意味すべく用いられている」(429頁)とされた。なるほどこれであれば、私自身の理解(後述)ではやや捉えきれない「中体西用」も、きれいに説明がつく。 現代以前の漢語――というより朱子学における――「体」と「用」との各々は、「本質」と「現象」という説き方をされることもあるが、そういう面もあるものの、より近くは、「形相(因)」「結果」ではないかと私は考えている。「原因」「結果」とすれば、「作用因」を先ず第一に原因とみなす私を含む現代人の耳にはなじみやすいが、体と用には必ずしも時間の観念は介在していない。例えば「中体西用」のごとくである。ただこの場合、中国的なるものが形相因で結果が西洋製の武器や物品というのは話の辻褄が合わなくなるが、島田先生は、根本的―派生的・従属的、第一性―第二性の、西洋式の本質―現象に囚われない枠組みを持ち込むことによってこの問題を解決された。時間の観念が乏しいのは仏教(論理学)由来であると考えれば納得がいく。

陳柱 『中國散文史』

2017年07月01日 | 東洋史
 史料から関係する史実の紹介・引用あとは印象批評である。歴代の種々のジャンル・作品に対するきらびやかな形容語はあれど、その形容を成り立たせる分析はない。

(もと商務印書館 1937年、台湾商務印書館 1972年2月第3版)。

王永 『金代散文研究』

2017年07月01日 | 東洋史
 「第三章 金代散文的分体〔ママ〕研究」は、「中华民族多元文化观念的深化带来了开阔的学问视野。」と劈頭始まるものの、漢語を母語としない金人の言語が当時の漢語に与えた影響如何という観点も議論もない。お題目だけだったのだろうか。

(中国社会科学出版社 2011年9月)

谷川理宣  「『大無量寿経』と中国思想 翻訳語を通して」

2017年06月24日 | 東洋史
『印度学仏教学研究』38-2、1990年3月掲載、同誌230-236頁。

 「格義」それ自体は、どの言語のどの外国語翻訳の際にも起こる、いわばテクニカルな現象であり話柄にすぎないが、この論文は、中国の“格義仏教”の本当の意味と、それが中国仏教史上また宗教・哲学・思想史上において持った意義について、“格義”、“格義仏教”といった概念や用語を全く使うことなく(正確には最後に「格義仏教(中国独自の仏教)」と1度だけ名が挙がる)、解き明かしている。量的には小編だが、問題の核心を一挙に指し示す大論考と謂うべし。

陳鋭/高袁 「素朴的技巧:《法律答問》中的法律解釈方法」―法学在線 北大法律信息網

2017年06月16日 | 東洋史
 原題:素朴的技巧:《法律答问》中的法律解释方法 -陈锐 高袁 - 法学在线 - 北大法律信息网
 http://article.chinalawinfo.com/ArticleHtml/Article_70181.shtml

 私が『法律答問』を読んでこの史料の内容的な特徴のひとつとして認識したことを、同じようにそれとして指摘してある(「1.语词定义」)。これをどう評価するかはべつとして、そういう事実を事実として共有する視角は私以外にもあるわけだ。そして教えられたのはここのみに止まらない。

小林正美 『六朝仏教思想の研究』

2017年06月01日 | 東洋史
 おおいに学ばせていただいた。そして「序」の著者による当分野の一種“安易な”学問的風潮に対する苦言、もしくは釘を打ち込むような厳しい指摘には、みずからの周囲のあれこれを思い合わせて、おおいに頷いた。

 換言すれば、中国仏教を研究する場合にはサンスクリット語原典での語法や意味を、安易にそのまま中国人仏家の使用する仏教語に当てはめて解釈してはならないということである。サンスクリット語原典での用法からみれば間違いと言える解釈を中国の仏家たちはしばしば行い、その間違った解釈に基づいて独自の仏教思想を構築しているのである。この場合に、その思想をインド仏教の側から見て、それは正しい仏教思想ではないと断定すると、中国には正しい仏教は存在しないことになる。 
(xi頁。原文旧漢字、以下同じ)

 六朝仏教にかぎらず、中国仏教を研究する場合にわれわれが常に忘れてはならないことは、中国仏教がインドのサンスクリット語や諸方言、あるいは西域の諸言語から漢語に翻訳された漢訳仏典に基づいて、漢語を使用する中国人が自己の感性と思惟によってそれを理解し解釈して形成した宗教である、という事実である
 (x頁)

(創文社 1993年12月)

馬祖毅 『中国翻訳簡史 “五四”以前部分』

2017年05月16日 | 東洋史
 原題:马祖毅『中国翻译简史 “五四”以前部分』。

 冒頭レーニンの言葉が掲げられるのに半分くらい読む意欲を削がれたが、翻訳を通じて漢語に与えられた外国語の影響の分析が、語彙と表現の“破格”レベルに止まっていることで、残りの半分の個人的興味もほぼ失われた。

(北京:中国对外翻译出版公司 1984年7月)

村元健一 『漢魏晋南北朝時代の都城と陵墓の研究』

2017年05月08日 | 東洋史
 出版社による紹介。

 再読。
 「第二篇 魏晋南北朝期の都城と陵墓 第一章 曹魏西晋の皇帝陵」で、西高穴二号墓について取り上げられている(第一節)。これを曹操の墓とする根拠は、曹操墓が副葬品・規模において「博葬」であったという記述に合致することと、ただし「葬送儀礼の際にもっとも目立つ墓道の規模のみは後漢の諸侯王墓陵に比して著しく巨大化していること」(268頁)である。その他の根拠についても288頁の注4で触れられている。ただ、その注4にも挙げられる件の石碑の“魏武王”および“常所用”の字句については、「筆者も解釈しがたい」とし、しかしながら「公表されている資料から見る限り、これを高陵〔曹操本人の墓〕以外のものと考えることは困難であると考える」(265-266頁)と結論する。
 何を言っているのかわからないし、これで通るのがいっそうわからないが、要はそういう世界なのである。この理屈がわかったら自分にはかえってよくないだろうと、いまは思っている。

(汲古書院 2016年8月)

土肥祐子 『宋代南海貿易史の研究』

2017年05月01日 | 東洋史
 出版社による紹介。

 おもしろい。本編ももちろんだが、斯波義信氏の「前言」がまた、私個人的には非常に興味深い。そこで言及される方法論が、氏と私は研究対象も研究視角も実際・具体的の研究手法も異なるにも関わらず、そのさらに根本の思考様式において期せずして一致する部分がある。

(汲古書院 2017年2月)

加藤繁 「漢代に於ける国家財政と帝室財政との区別並に帝室財政一斑」

2017年03月30日 | 東洋史
 『支那経済史考証』上(東洋文庫 1952年3月)所収、同書35-156頁。

 前漢時代はそうであるが、後漢以後はそうでなくなるという。しかしその理由は説かれない。国家財政に属する財源は此々で、支出項目は此々、帝室財政についても同様に此此々々であると列挙される。しかしその区別のあった所以は説かれない。また或収入がどうして国家財政に属しまた或者は帝室財政へと属するのか、その考察はまったくなされない。加藤という人は案外思考回路の偏った人だったのかもしれない。何(誰)が・何時・何処で・如何に、は堅牢だが、どういうわけか何故か、が抜けている。