JAL 会社更生法申請

2010-01-20 | 政治・経済

今日の新聞

JALが「こうはならないだろう」と思っていた破綻に至りました。
残念です。


井門札幌ビル 2009-03-26

JALプラザが入居していたのですが、2009-03-31限りで閉鎖されてしまいました。


シンプルなフロアガイド


入口、閉鎖のお知らせが貼り出されています。


コンサドーレのロゴ、キャラクターも消えてしまうことに・・・

会社案内等用ビル写真も撮り直さなくてはいけません。(大した問題じゃないですが)

例えば昔「昭和50年12月14日C57135蒸機最終客レが走る」こんな時は2日程北海道に滞在しただけです。 こんな短い滞在時はスカイメイトで往復してしまいました。

その時千歳空港からバスに乗って着くのは札幌駅ではありません。
バスは日航札幌支店に着きました。
「そんなモノ」が自社のビルに引っ越してきた時は大喜びでした。
本当に残念です。

札幌支店撤退の理由はネット利用の拡大など言われていたりしますが、当社には日航自体の苦しい事情と言うことは伝わっていました。



国民がある程度破綻したJAL再生のために負担しなくてはいけないかも知れない(「税→国費」投入)と言う話も聞こえて来ます。

JALに破綻の原因があった(少し「国策」、大きく「過去」が原因です)とはいえ、直接の原因は1000円高速だと思います。
1000円高速によって他の交通機関の戦略や、家族個々の行動も変わったからです。

この1000円高速を続ける以上、血税を投入しても無駄です。


なぜ公共交通機関を虐め、個人的交通を優遇しなくてならないのでしょうか?

確実に二酸化炭素排出増大というマイナス面が大きいのにも関わらずですよ。

首相個人の数十億円のブリジストン株式、毎週数億円の浮沈は有ると思います。
合理的な理由としてはこれに結びつかざるを得ないのにどうして平気なのでしょうか?


国が1000円高速で破綻させたJALを再生させる為の国費

ガソリンが160円を超えてしまった場合の暫定税率部分の税収不足

これら皆我々国民から税という形で徴収する以外には絶対にないのです。

もっと最悪なのは将来の世代に押っつける事ですが・・・・



自動車は使ったもの勝ちですか?




公共交通機関利用コストの30%を国費で補填で如何でしょう?

土日だけでも結構じゃないですか。(其れによって土日が混むなら1000円高速とこれまた一緒です)
自動車優遇をするのであれば、其れをしなくては国家権力による競争阻害です。
資本主義、自由主義社会なのですから競争者の片方に政策で肩入れするなら納得のいく説明が成されなくてはいけません。

過激なことを言っているように見えますが、当然至極な事でしか有りません。

誰もそういった発言をしないので堪りかねて言っているだけのことです。



「民主党が嫌い」と言われる事が心外なので言いたくないですが、民主党、余りにも幼稚極まると思います。
(当の1000円高速は自民党が始めたことですが)

野党気分丸出しで「あなたまかせ」の八方美人総理も含め、一日ゆっくり「どうあるべきか」考えて貰いたいです。

事業仕分ショーも詐欺罪で訴える者が居ないのも不思議なくらいです。
(国民の欲求不満を少しでも満たす為にやった只のショーですか?それならそうおっしゃい!)

自民党も酷いですが、民主党は更に数段酷い、このままでは日本は潰されます。
前原さんにはいつか総理になって貰いたいですが、民主党と心中して貰いたくないです。
「陰の大統領」が逮捕されるともっと呆れるような酷い政策を打つようになると思います。


「井門、お前そこまで言うなら何かやる気はあるのか?」と言う人も居るかもしれません。
そういわれた場合、答えは決まっています。

「私は日本より鉄道模型が大事です」





IMON’Sカード

2010-01-19 | 鉄道模型ではない仕事
IMON’Sカード会員の皆様にはLIFEから「3月末でサービス終了」のご案内が届いていることと思います。


IMON’Sカード
通常のクレジットカードで有ると同時に、IMONで現金並みのポイントバックが魅力です。

提携先会社LIFEがその親会社アイフル共々「事業再生ADR」による再建を目指すことから事業の整理を進めている一環でIMON’Sカードの継続が出来なくなったのです。

LIFEに替わる提携カードのご案内がこの後届くと思います。


新IMON’Sカード
まだ「生カード」(ホンモノのプラスチック製カード)は出来ていませんのでこれは紙に印刷された見本です。

法定金利が低く抑えられてしまったため、クレジット会社は余裕がありません。
条件が僅かに悪くなりました。

①IMONが負担する手数料は上がりました。→これはIMONがやせ我慢です。

②新IMON’Sカードの「年会費無料」は「初年度」だけです。
→ただし、2年目以降も年額10万円以上利用すると「年会費無料」となりますので「実質的には変わらない」ことになると思います。

提携先が替わったものの、継続出来る様になったIMON’Sカード!

これからもどうか宜しくお願い致します。





ラグビー東京戦

2010-01-18 | ラグビー

高田馬場から西武新宿線に乗ります。

渋谷
|(10:03)
|JR山手線外回り
↓(10:14)
高田馬場
|(10:17)
|西武新宿線急行・拝島行
↓(10:54)
玉川上水
|(11:00)
|多摩モノレール
↓(11:03)
上北台


多摩モノレールで北端の上北台へ、旅のお供は四男慧士朗です。


「かぶりつき」が空いて最後の一駅だけ先頭へ行けました。


中学1、2年生だけのチームは「子供」という感じで可愛らしいです。


中学ラグビー都大会新人戦です。


慧士朗は日記の題材探しに上北台までお兄ちゃんを見に来たわけです。ママもすぐ後合流しました。




実は相手が一人足りなく正式には不戦勝ですが、メンバーを一人貸して練習試合をしました。
スコアは111対0で勝利でした。とりあえず良い出だしです。

ここから親子三人の転進です。 (撤退じゃなくて本当の転進です)
上北台
|(12:15)
|多摩モノレール・多摩センター行
↓(12:28)
立川北

|徒歩
↓(12:32)
立川

立川
|(12:33)
|JR中央線中央特快・東京行
↓(12:59)
新宿

新宿
|(13:03)
|JR埼京線快速・川越行
↓(13:14)
十条(東京都)


東京朝鮮高校グラウンドです。 観客席付の立派なグラウンドにびっくり!!学習院大学より立派です。

高校ラグビー都大会新人戦4回戦です。
鵜の木の学校と闘う為に「此処へ来た」というのは、この立派なグラウンドを使うレベルに来た事を表わしているのでしょうか。
ここまで3つ、危なげなく勝ってきましたが、今日の相手は格上です。


東京高校、先月「花園」に東京第二代表で出場していた強豪です。
竜之助はベンチスタートです。
先制しましたが、既に逆転されていました。


後半10分程から竜之助も出してもらいました。


フォワードバックス共に相手が少し上回るのでじりじり引き離されます。




サイズが小さい相手FWですがスクラムで押されます。


こういう点差になってしまいました。


試合終了、エールの交換です。トーナメントですから新人戦はこれで終わりです。


FWのサイズの違いを見れば、我々が充分鍛えればフォワード戦で圧倒出来る相手と思えます。
竜之助はプロップからロックへ転職中で転職に際しての職業訓練が怪我で不充分、まだあまり使えません。

今日闘った東京高校が都大会新人戦を制する事を期待しましょう。


凄いところに来たような気がして校門脇で記念写真です。


私は此処からJAMの理事会へ向かいます。
今日の日曜日も様々な人に会い、色々忙しい日曜日になりました。




05003

2010-01-15 | 鉄道模型
05 という機関車をご存知ですか?
実は私も余り知りません。
日本でも詳しい人は居ないでしょう。
更に言えばご当地ドイツでも割合忘れられている機関車じゃないかと思います。

3両しか作られなかった機関車です。
動輪径2300mmと、近代的な蒸汽機関車では最大の動輪を持っていたハドソンです。
シンプル3気筒、グレズリー式ではなく、3揃いのワルシャート式バルブギヤを持つ3気筒機関車です。
ドイツでは05デビュー直前に同じ動輪径のタンク機61を作っています。
こちらはシンプル2気筒でしたが、2気筒で時速175kmを維持するのは難しいと悟り、3気筒にしたのが05です。
2気筒では出力維持のためシリンダー径を大きくせざるを得ないため、往復運動するマスが大きいので機械としての耐久性などに具合が悪かったようです。

05は「1、2」と「3」は全然違う姿でデビューしました。
3だけはキャブフォワードの様な恰好で流線型、 1、2は普通の流線型です。
05と言えばベルリンオリンピックの時の画像でハーケンクロイツを付けた流線蒸機の映像でピンとくるかもしれません。

定期列車に使われていたのですが、運用から外して速度試験をしました。
客車4両を牽いて緩い下り坂で時速125マイル(200キロ超)を出しました。
驚いて視察に訪れた英国始め各国の技術者を乗せて平地で190キロ走行をして見せたそうです。

英国は負けるわけにも行かず、A4型(グレズリー式3気筒流線型動輪径80インチ=2032mm)を使って何度もこの記録に挑み、遂にその中の1両「マラード号」が125マイルに至りました。

第二次大戦が英国の勝利に終わった後、マラード号の記録を実は126マイルでしたと変更したのが現在の蒸機世界記録です。
当初から126マイルとしなかったのは明らかに能力が上の05型が其れを大きく上回った場合、チャンピオンシップを獲得するチャンスが失われてしまうからです。

なかなかキタナイ話ですね。
出力でも、動輪径でも遙かに差が有る(高校野球とプロ野球よりもっと遙かに差が大きい)関係ですから「実際」は歴史の結果とは「違う」事を多くの人が知っていれば良いのです。


戦時中の1944年、他の流線型蒸機が流線型カバーを外されていく中、05はちゃんと普通の姿に改装されました。
キャブフォワード状態だった05003も、通常の通常型に大改装されました。

この模型は通常型に改装された直後の05003です。


欧式日式には2C2、米式には4-6-4ハドソンの軸配置です。
マイクロメタキットです。

蒸機による200キロ超の話が出来る世界最高の高速機です。

(英国A4はグレズリー式弁装置が弱味で、160kmがせいぜいです。それでも大した物ではありますが)
(むしろ米国戦後のローラーベアリング装備の4-8-4の能力はどうか、シンプル2気筒ですが)


ドイツ最大の旅客用蒸機は2D2、4-8-4ノーザンで動輪径2mの06型です。
更に長いボイラーを持ち、燃焼室を持たないため煙管が極めて長い06ははっきりと失敗作だと言われています。

05のボイラーはゼロイチのものと大差なく、軽量列車を超高速で走らせる目的に特化していました。
戦後の荒廃した線路上にはこの超高速機を生かす場所はなく、流線型に戻されて博物館に保存された05001を除き解体されてしまいました。


折角欧州型ハドソンが出てきたので、同じ1/87のC62を並べてみました。
テンダー後面を同一面に揃えて並べてあります。

こうして並べてみるとそんなに大きなボリュームの違いではないですね。

英国A4型はC62とほぼ同じボリュームです。 (残念ながらHOスケールの製品は無いです)
16番のC62が出てくると、OO(ダブルオー1/76)のA4と同じボリュームになると思います。 (1/80よりは大きいからです・・・長さだけは1/80ですが)
そうなると05は小さくて華奢な機関車になってしまいますね。


動輪径1750mmと2300mm こうして見ると随分違って見えます。
もっとも1400mmと1750mmもまるで違う大きさに見えますが・・・・

KATOユニトラックよりIMONシステムトラックの方が線路上面が僅かに高かったです。


折角登場させたので撮影しておきます。


ツバメマークの付けられたC622ですが、宮原ではかなり調子の悪いカマだったと言われています。
特急運用は〔ニセコ〕と違って真剣勝負ですから、調子の悪いカマを運用に入れるのは極力避けたようです。
「高橋弘作品集 蒸気機関車その良き時代 交友社」は私の愛読書ですが、此処にC622の【つばめ】は良く登場します。
それは「運」の問題、高橋さんが撮るときには良く来るが、運用に入る日数は少なかったという当時の証言があります。

しかし、ツバメマークをボロガマに付けるとは考えられないので、取付後ボロガマ化したのだと私は思います。
ボロガマ説は北海道送りになった事で証明されたようなモノですが。

この時代のC622はランボードにステンレス(アルミという説も?)が貼られていました。

ハドソンの本場はアメリカを差し置いて枢軸国ハドソンの話とは奇態な・・・
  (そう、やはりハドソンはアメリカの平坦線を長距離走るカマです)





D51 1042 [追]

2010-01-14 | 鉄道模型
また似たような模型が出てきました。
また北海道ですね。
どうしてなんだろう、いくら日本中の保存機関車に占める末期北海道のD51の比率が高くともこればっかりになっているのはどうしてだろうか?

IMONでは長野型集煙装置も売っていますよねぇ

と、ぼけた頭で考えていたら、そういえば10年程前、IMONで昭和49年蒸機ナンバープレートを発売していました。
それを利用して店主作品が出来てきているわけです。
(所詮自分の責任でした・・・)
ナンバープレートをエッチングで作るのも、キリハギして仕立て上げるのもかなり大変ですので、「ありもの」が有ったらそちらに流れていくのは当然と言えましょう。

と、まるで寝ぼけたような話の後で、よく考えたら昭和49年鹿鉄局と言う商品もありました。

でも、それは品切れしているようです。すみません!

C11キット発売を機に「会津若松ナンバープレート」を発売したわけですが、九州モノのナンバープレートとしては「昭和49年鹿鉄局」にかなりの数のC11が入っています。 これも最近のIMON式(製品附属と同じ仕上げの)外周切り落としプレートとして組み替えて急ぎ発売致します。


昭和49年シリーズで行くとなると、南九州、北海道以外の地方では昭和49年はちょっと時代が行きすぎています。
面白い機関車が消えた後を作っても仕方がないですね。
「区名札」「全検表記」ともどもちゃんと考えないといけませんです。


会津若松は、1972年以降と言うことで必要そうなカマは大体入っていると思いますが、C11325も入っているところが良いかナと思います。

(C11325は、四次型ですから木のデフ→鉄に交換だと思いますが、米沢辺りだったかで廃車になる前の写真を見ても上下寸法が大きい特殊なデフの機関車ですのでご注意!)


とんでもない目立つところに結構激しい埃のカタマリが塗装の中に閉じ込められています。
切開摘出手術! といっても綺麗に取れた感じではありません。いきなり前途多難です。


更に摘出、傷の行ってしまったところへかなり派手なタッチアップ!
配管のタッチアップは強度を考えて車輪用のリターダシンナーで溶いた塗料です。
前途多難です。
結果駄目ならシンナー池行きですが、何とかごまかして仕上げてしまいたい!
途中経過いつも酷いモノです。


台枠塗装のための動輪マスキングをしようとしているところです。


動輪の裏側に少し回り込むようにマスキングします。


こんな感じです。


前側、シリンダーブロック内ウェイトが付いた状態です。


マスキングの傍ら、スノープラウ等に「レッドブラウン」をかすれた筆でタッチアップして吹き付け前のお化粧もしてしまいます。


ブレーキシューにレッドブラウンを塗ってから全体に汚れ色を吹きます。
ブレーキシューのシューだけ茶色い汚れ方をしていた車両も居ますが、私は全体が錆色に汚れていた汚れ方の方が好きなのでこういう色差しをするのです。


塗装場に持ち込まれて汚れ色を扶桑精機のガンで吹かれるブレーキ装置達です。

汚れ色の吹きつけでは一気に全部を汚しますが、神経を使う順番に吹きます。
順番は
① テンダー
② 機関車上回り
③ 機関車下回り
④ 従台車とテンダー台車
⑤ ブレーキ装置

この順番は絶対に動かしません。
この吹き付けシーンは、最後のどうでも良い「ブレーキ装置の吹き付け」なのです。


吹き上がったモノのマスキングを取っていきます。


台車を組立終わり、これから一番嫌な作業、車輪の塗装に掛かります。

まず機関士側動輪の輪芯を、ボックス動輪の穴から始めて筆塗りしてゆきます。
リターダーシンナーで溶いた塗料です。


機関士側輪芯が塗り終わったらてらてら光っているうちにモーターに通電して回し、タイヤ部の塗装に掛かります。


タイヤ部分も塗り終わりました。
現在私が使っているのはこんな色です。
乾燥すると、吹き付けた汚れ色に近い色になりますが、吹き付ける汚れ色より僅かに艶がある色にしてあります。

実機の場合、油のまわり具合、ウェスで磨く事による差でやはり動輪はやや艶では勝る事がひとつ。
模型としては艶がある表面の方が強いという機関車使命を果たす為の実用状の都合がひとつです。

製品C11のシンガーフィニッシュにおいて、動輪とフレームを最初からこのような「茶」に塗装した事に対して或る模型雑誌に「最初から茶に塗装した」と書いて批判っぽい文章に書かれてしまいました。
どの雑誌だったか覚えていません・・・・
「おいっ!日本蒸機の汚れ具合がわかっているのかお前?!!実際にウェスで拭いたか?」
と売られた喧嘩は買いたい気分です。
果たして蒸機のウェザリングの経験をどれだけした人間が書いているのでしょう??
実際の蒸機はかなり赤かったモノが多かったですから。


黒く塗装した動輪に、回転させた状態で汚れ色を吹き付けていたのが乗工社から続くかつてのIMONのシンガーフィニッシュでした。

それは車体に吹く汚れ色(茶)と同じなので、吹きすぎると車体と同じ超つや消し状態になってしまい見られた姿じゃなくなってしまいます。

概して余り吹けませんから、動輪と他の部分の色に差が出てしまいがちでした。
更に、踏面とバルブギヤに掛かった汚れ色を落とす作業が有りました。

その作業の問題点は、車輪側面の塗装を痛めずに踏面&バルブギヤを完璧に落とすのが大変だった。もっと言えば折角塗装した車輪側面に痛みが回った「感じ」が多かったのです。

そして、台枠は動輪よりも茶色い位の方が良いです。
動輪と違って、台枠は黒塗装に汚しをムラを付けて吹きたい位です。
しかし、量産する製品レベルではそれは危険でもあるし、コストに跳ね返る恐れが大きいのです。
ましてや完成品として売られているIMON蒸機は一台一台下回り専門の組み手が組み、完璧な調整を終えています。その組立前に支給する塗装済み台枠がそういう仕上げをした台枠と言うのもなかなか大変な話です。

まだまだIMON蒸機の仕上げ方法として確立したと思っては居ませんが、表現としては随分考えて努力しているつもりです。


回転を止めてからカウンターウェイトを筆塗りします。
既に輪芯部から乾き始めています。
輪芯は余り厚く塗りませんが。タイヤは厚くなるように心がけています。
回転させる事が良い効果なのかもしれません。

この後、先輪、従輪、テンダー車輪を指で回しながら筆塗りで塗装していきます。

其れが終わってから助士側の動輪を機関士側と同じ手順で塗装します。


乾いて来るとこんな感じです。

今回の私の「汚し」は、汚れ色の艶を少し「有り」に近い方に振ってあります。
ですからいつもと同じである車輪用塗料の艶が少し車体の汚れより艶があるのが判らない感じに見えてしまいます。
理由は、機関車本体の塗装がやや艶があった事と、走行部の調子が良くできているので実用品としてバリバリ使う可能性が有りますので痛みにくい仕上げを心がけたのです。


これはテンダー裏面のマスキングを外したところです。

ボルスター下面は磨いて黒染磨きをしてあります。


と、この後も数時間の作業が有るのですが、血気にはやると途中を飛ばして完成してしまいました・・・・


これで完成と思ったら、架線注意を貼るために実機の写真をチェックしていて、正面ナンバープレートの取り付け高サが高すぎていることを気がつきながら、直すのを忘れて撮影してしまったことに気がつき、急いで修正です。


ナンバープレート位置を直してとりあえず完成と致します。


「架線注意」のお蔭でテンダー後面も素敵になりました。

トラ塗りの板も作って、それはウェザリング前に付けておくと良い感じかもしれません。


(すみません実は石炭積んでから「乾かし」が足りてないかもしれません)


手術跡が余り目立たないので良かったです。

とりあえず緊張する蒸機の汚し、一丁上がりと致します。