ポーランドのゼロサン

2010-01-10 | 海外蒸機

マイクロメタキットの製品案内が来ました。

マイクロメタキットはドイツのインポーターで、韓国のグリーンアートという製造業者をもっぱら使って旧バイエルン国鉄とオーストリア国鉄の蒸汽機関車模型を中心に制作しているブランドです。

(ブランドとわざわざ言うのは、模型ファンがこれは会社だと思っていたら実は「個人営業」「単に個人が屋号を使って居ただけ」で会社ではない場合が結構多いからです)

マイクロメタキットの親父(ドイツ人)は、韓国人を奥様にして韓国に住み、つきっきりで製作指導をしているそうです。
趣味冥利に尽きる生き方ですね。

その甲斐あって非常にシャープな出来の蒸機がどしどしリリースされています。

しかし、走りには全くこだわりが無く「直線さえ走ればよい」と言うレベルです。
車輪もステンレスですから牽引力は全く無いでしょう。

走りを殆ど捨てて、外観だけを突き詰める・・・鉄道模型と言うよりも博物館用と言う感じの模型ですが、そういう模型があってもそれはそれでよいと考えます。



おっ、今度はゼロサンだな、ゼロサンのどんな奴を作るのかな?  と思って見てびっくり!


PKP Pm2-32 という文字が・・・・



     一体誰に売ろうと考えてこれを製品にするのだろうか?・・・



PKPはポーランド国鉄です。

Pは急行旅客用を表わし、mは軸配置2-C-1(パシフィック)
2・・・・一桁はドイツ製を表わします。このPm2はDRGの03型です。

ポーランドは共産時代、鉄道撮影に対して非常に厳しい態度だった国です。
カメラ、フィルム没収は当たり前です。
沿線で撮影していると、警官を満載した列車で逮捕に繰り出す「ものすごさ」です。
駅舎から警官隊が飛び出してきてあっという間に包囲されてしまいます。

また、蒸汽機関車乗務員も撮影者に対して身を乗り出して「撮影禁止」を警告する徹底ぶりです。

蒸機ファン多しといえど、PKPのPm2を撮った者は世界中に数えるくらいしか居ないはずです。

一体誰に売るつもりなのでしょうか?

きっと私はそのひとりでしょう・・・・(他に誰かいるのならば・・・)


ポーランドのゼロサン 増田泉 井門義博 (最初のページ)


鉄道ファン78年2月号 ポーランドのゼロサンはこの号に掲載されています。

増田井門組は西欧蒸機ファンの「討死」相次ぐポーランドでワグナーデフのゼロサンを射止めるために策を講じました。

首都ワルシャワ近郊に国立鉄道博物館が有ります。
国鉄が許可を暮れないのは絶対確実ですからこの博物館に取り入り、博物館による撮影許可証を作ってもらおうと考えたのです。

それを持って撮影して捕まってもそうひどい仕打ちはしないのではないかと期待したわけです。

6ヶ月前から手紙を送り、自分らで撮った日本の蒸機の写真などやドイツの写真を送り「我々は世界中で蒸汽機関車を撮っています」「ポーランドの美しい蒸機の写真を記録に留めたい」などと手紙を送り続けました。

ポーランドに入国後はワルシャワ在住の商社の人に同行して貰い、博物館と確実な交渉をしてもらう手はずです。こうして何日も博物館に通い、許可証が手に入るまではでは絶対撮影しないようにしました。


「許可証」は遂に作成されました。


それを持って旅が始まりました。

「ゼロサンを見た」とか「ホームで見てスナップを撮った」というかすかな情報を頼りにゼロサン探しの旅です。

東独の場合は「密告」を受けて出動した警官二人組の命令に従い場所を移動する程度で済みますが、此処ポーランドは先ほど申しましたような「おまわり列車」や駅舎に警官隊が潜んでいて一気に包囲など随分怖い思いをしました。

しかし、原形ワグナーデフを装備したゼロサンはとてつもなく美しい姿で、我々は多いに報われたと感じています。

黒/赤のドイツ風塗装には近いですが、タイヤ部分を白く塗る、正面にプレートが無いなど独特の外観です。

走行装置(下回り)を赤く塗るのは、小さな傷でも発見しやすくするためです。
タイヤに白を塗るのも同じ目的です。



届いた模型はちょっと印象が違いました。

①まず汚れていないからまるで「絵に描いた餅」です。

「絵に描いた餅」と言う言葉はこういうときに使う言葉じゃないのですが、やっぱり「餅」と「絵に描いた餅」ぐらい違う感じがします。

②もうひとつ、目立ち過ぎてしまっている車輪タイヤの白ですが、動輪と他の車輪のタイヤの厚みの差が大きすぎます。
目立つ白に塗ってあるのでタイヤ厚みの差が非常に気になります。

仕方がないのであまりやりたくない「汚し」をすることにします。
汚しの方法は、前にも紹介した黒とレッドブラウン半々を薄めに溶いたタミヤのエナメルの筆塗りです。



汚す前の機関士側従輪 タイヤ厚みの差が判りますでしょうか。


前の機関士側動輪


前の助士側先輪


前の助士側動輪


前の助士側従輪


前の助士側前テンダー台車


前の助士側後テンダー台車



汚し後の機関士側従輪


後の機関士側動輪


後の機関士側先台車


後の助士側先台車


後の助士側動輪


後の助士側従輪


後の助士側前テンダー台車


後の助士側後テンダー台車


後のフロントデッキ部分


汚し後の機関士側全体像 (汚す前は例によって全体像を撮っていなかったのです)


汚し後の助士側やや斜め後方 (クリックするとポップアップします)


汚し後の機関士側
Pm2型は元のゼロサンのナンバーに関係なく付番され、1~32のナンバーが付いています。この機関車の番号はラストナンバーなのです。
Pm2-32ではなく、18とか24とか28など(青森→宮崎のC61みたいなナンバーですね)何回も撮影したナンバーが付けられていたら身震いしちゃいます。

本来はこの場で珍しいポーランドのゼロサンの写真をお見せするべきところですが、情けないことに写真が出てきません。
(ネガはあるのですが)

せめて一部でも出てきたら此処に公開します。

ポーランド
鉄道撮影に対しては非常に厳しい態度を取る国ですが、東ドイツで感じた「不幸を絵に描いたような人民による共和国」はなく、割合にのびのびした雰囲気を持ち、国民から愛国心を感じるような普通の国家という感じを持っています。

こんな超マイナーな機関車まで製品化される現代を「ものすごく素晴らしい」と感じています。
感謝!感謝!です。