05 という機関車をご存知ですか?
実は私も余り知りません。
日本でも詳しい人は居ないでしょう。
更に言えばご当地ドイツでも割合忘れられている機関車じゃないかと思います。
3両しか作られなかった機関車です。
動輪径2300mmと、近代的な蒸汽機関車では最大の動輪を持っていたハドソンです。
シンプル3気筒、グレズリー式ではなく、3揃いのワルシャート式バルブギヤを持つ3気筒機関車です。
ドイツでは05デビュー直前に同じ動輪径のタンク機61を作っています。
こちらはシンプル2気筒でしたが、2気筒で時速175kmを維持するのは難しいと悟り、3気筒にしたのが05です。
2気筒では出力維持のためシリンダー径を大きくせざるを得ないため、往復運動するマスが大きいので機械としての耐久性などに具合が悪かったようです。
05は「1、2」と「3」は全然違う姿でデビューしました。
3だけはキャブフォワードの様な恰好で流線型、 1、2は普通の流線型です。
05と言えばベルリンオリンピックの時の画像でハーケンクロイツを付けた流線蒸機の映像でピンとくるかもしれません。
定期列車に使われていたのですが、運用から外して速度試験をしました。
客車4両を牽いて緩い下り坂で時速125マイル(200キロ超)を出しました。
驚いて視察に訪れた英国始め各国の技術者を乗せて平地で190キロ走行をして見せたそうです。
英国は負けるわけにも行かず、A4型(グレズリー式3気筒流線型動輪径80インチ=2032mm)を使って何度もこの記録に挑み、遂にその中の1両「マラード号」が125マイルに至りました。
第二次大戦が英国の勝利に終わった後、マラード号の記録を実は126マイルでしたと変更したのが現在の蒸機世界記録です。
当初から126マイルとしなかったのは明らかに能力が上の05型が其れを大きく上回った場合、チャンピオンシップを獲得するチャンスが失われてしまうからです。
なかなかキタナイ話ですね。
出力でも、動輪径でも遙かに差が有る(高校野球とプロ野球よりもっと遙かに差が大きい)関係ですから「実際」は歴史の結果とは「違う」事を多くの人が知っていれば良いのです。
戦時中の1944年、他の流線型蒸機が流線型カバーを外されていく中、05はちゃんと普通の姿に改装されました。
キャブフォワード状態だった05003も、通常の通常型に大改装されました。
この模型は通常型に改装された直後の05003です。
欧式日式には2C2、米式には4-6-4ハドソンの軸配置です。
マイクロメタキットです。
蒸機による200キロ超の話が出来る世界最高の高速機です。
(英国A4はグレズリー式弁装置が弱味で、160kmがせいぜいです。それでも大した物ではありますが)
(むしろ米国戦後のローラーベアリング装備の4-8-4の能力はどうか、シンプル2気筒ですが)
ドイツ最大の旅客用蒸機は2D2、4-8-4ノーザンで動輪径2mの06型です。
更に長いボイラーを持ち、燃焼室を持たないため煙管が極めて長い06ははっきりと失敗作だと言われています。
05のボイラーはゼロイチのものと大差なく、軽量列車を超高速で走らせる目的に特化していました。
戦後の荒廃した線路上にはこの超高速機を生かす場所はなく、流線型に戻されて博物館に保存された05001を除き解体されてしまいました。
折角欧州型ハドソンが出てきたので、同じ1/87のC62を並べてみました。
テンダー後面を同一面に揃えて並べてあります。
こうして並べてみるとそんなに大きなボリュームの違いではないですね。
英国A4型はC62とほぼ同じボリュームです。 (残念ながらHOスケールの製品は無いです)
16番のC62が出てくると、OO(ダブルオー1/76)のA4と同じボリュームになると思います。 (1/80よりは大きいからです・・・長さだけは1/80ですが)
そうなると05は小さくて華奢な機関車になってしまいますね。
動輪径1750mmと2300mm こうして見ると随分違って見えます。
もっとも1400mmと1750mmもまるで違う大きさに見えますが・・・・
KATOユニトラックよりIMONシステムトラックの方が線路上面が僅かに高かったです。
折角登場させたので撮影しておきます。
ツバメマークの付けられたC622ですが、宮原ではかなり調子の悪いカマだったと言われています。
特急運用は〔ニセコ〕と違って真剣勝負ですから、調子の悪いカマを運用に入れるのは極力避けたようです。
「高橋弘作品集 蒸気機関車その良き時代 交友社」は私の愛読書ですが、此処にC622の【つばめ】は良く登場します。
それは「運」の問題、高橋さんが撮るときには良く来るが、運用に入る日数は少なかったという当時の証言があります。
しかし、ツバメマークをボロガマに付けるとは考えられないので、取付後ボロガマ化したのだと私は思います。
ボロガマ説は北海道送りになった事で証明されたようなモノですが。
この時代のC622はランボードにステンレス(アルミという説も?)が貼られていました。
ハドソンの本場はアメリカを差し置いて枢軸国ハドソンの話とは奇態な・・・
(そう、やはりハドソンはアメリカの平坦線を長距離走るカマです)
実は私も余り知りません。
日本でも詳しい人は居ないでしょう。
更に言えばご当地ドイツでも割合忘れられている機関車じゃないかと思います。
3両しか作られなかった機関車です。
動輪径2300mmと、近代的な蒸汽機関車では最大の動輪を持っていたハドソンです。
シンプル3気筒、グレズリー式ではなく、3揃いのワルシャート式バルブギヤを持つ3気筒機関車です。
ドイツでは05デビュー直前に同じ動輪径のタンク機61を作っています。
こちらはシンプル2気筒でしたが、2気筒で時速175kmを維持するのは難しいと悟り、3気筒にしたのが05です。
2気筒では出力維持のためシリンダー径を大きくせざるを得ないため、往復運動するマスが大きいので機械としての耐久性などに具合が悪かったようです。
05は「1、2」と「3」は全然違う姿でデビューしました。
3だけはキャブフォワードの様な恰好で流線型、 1、2は普通の流線型です。
05と言えばベルリンオリンピックの時の画像でハーケンクロイツを付けた流線蒸機の映像でピンとくるかもしれません。
定期列車に使われていたのですが、運用から外して速度試験をしました。
客車4両を牽いて緩い下り坂で時速125マイル(200キロ超)を出しました。
驚いて視察に訪れた英国始め各国の技術者を乗せて平地で190キロ走行をして見せたそうです。
英国は負けるわけにも行かず、A4型(グレズリー式3気筒流線型動輪径80インチ=2032mm)を使って何度もこの記録に挑み、遂にその中の1両「マラード号」が125マイルに至りました。
第二次大戦が英国の勝利に終わった後、マラード号の記録を実は126マイルでしたと変更したのが現在の蒸機世界記録です。
当初から126マイルとしなかったのは明らかに能力が上の05型が其れを大きく上回った場合、チャンピオンシップを獲得するチャンスが失われてしまうからです。
なかなかキタナイ話ですね。
出力でも、動輪径でも遙かに差が有る(高校野球とプロ野球よりもっと遙かに差が大きい)関係ですから「実際」は歴史の結果とは「違う」事を多くの人が知っていれば良いのです。
戦時中の1944年、他の流線型蒸機が流線型カバーを外されていく中、05はちゃんと普通の姿に改装されました。
キャブフォワード状態だった05003も、通常の通常型に大改装されました。
この模型は通常型に改装された直後の05003です。
欧式日式には2C2、米式には4-6-4ハドソンの軸配置です。
マイクロメタキットです。
蒸機による200キロ超の話が出来る世界最高の高速機です。
(英国A4はグレズリー式弁装置が弱味で、160kmがせいぜいです。それでも大した物ではありますが)
(むしろ米国戦後のローラーベアリング装備の4-8-4の能力はどうか、シンプル2気筒ですが)
ドイツ最大の旅客用蒸機は2D2、4-8-4ノーザンで動輪径2mの06型です。
更に長いボイラーを持ち、燃焼室を持たないため煙管が極めて長い06ははっきりと失敗作だと言われています。
05のボイラーはゼロイチのものと大差なく、軽量列車を超高速で走らせる目的に特化していました。
戦後の荒廃した線路上にはこの超高速機を生かす場所はなく、流線型に戻されて博物館に保存された05001を除き解体されてしまいました。
折角欧州型ハドソンが出てきたので、同じ1/87のC62を並べてみました。
テンダー後面を同一面に揃えて並べてあります。
こうして並べてみるとそんなに大きなボリュームの違いではないですね。
英国A4型はC62とほぼ同じボリュームです。 (残念ながらHOスケールの製品は無いです)
16番のC62が出てくると、OO(ダブルオー1/76)のA4と同じボリュームになると思います。 (1/80よりは大きいからです・・・長さだけは1/80ですが)
そうなると05は小さくて華奢な機関車になってしまいますね。
動輪径1750mmと2300mm こうして見ると随分違って見えます。
もっとも1400mmと1750mmもまるで違う大きさに見えますが・・・・
KATOユニトラックよりIMONシステムトラックの方が線路上面が僅かに高かったです。
折角登場させたので撮影しておきます。
ツバメマークの付けられたC622ですが、宮原ではかなり調子の悪いカマだったと言われています。
特急運用は〔ニセコ〕と違って真剣勝負ですから、調子の悪いカマを運用に入れるのは極力避けたようです。
「高橋弘作品集 蒸気機関車その良き時代 交友社」は私の愛読書ですが、此処にC622の【つばめ】は良く登場します。
それは「運」の問題、高橋さんが撮るときには良く来るが、運用に入る日数は少なかったという当時の証言があります。
しかし、ツバメマークをボロガマに付けるとは考えられないので、取付後ボロガマ化したのだと私は思います。
ボロガマ説は北海道送りになった事で証明されたようなモノですが。
この時代のC622はランボードにステンレス(アルミという説も?)が貼られていました。
ハドソンの本場はアメリカを差し置いて枢軸国ハドソンの話とは奇態な・・・
(そう、やはりハドソンはアメリカの平坦線を長距離走るカマです)