2月13日
勝負の日がやってきました。
今日が白銀の最終日です。夕方からは北京経由南票への移動が待っています。
悪魔一家からも散々聞かされてきました。
「ビデオならば、白銀の朝の列車を撮らないでは成仏出来ないはずだ」 と。
特に「音」が素晴らしいのだそうです。
(これも「悪魔の囁き」でしょうか)
朝一の列車に陽が当たるのは2月下旬と聞いています。 (これは大谷連隊長からの確かな情報)
残念ながら「2月半ば」ではまだ列車に陽は当たりませんが、2月下旬となると気温も上がってくるし、強風が吹く危険が高い時期ですから怖いです。
明るさも悪魔一家が訪問した年末と比べれば随分明るいはずです。
(彼らの訪問時は積雪というとんでもない幸運に恵まれていましたが・・・)
スチルも朝一の列車をちゃんと撮るべくNikon D-700を買いました。
以前はバケペン2台だったのです。
これまでさんざんそれでやってきましたが、さすがにバケペンで夜明け前はかなり危険です。
文句なしの機材を手に、燃える闘志を胸に秘め、朝の撮影地に向かいます。
7:02 ホテルを出発します。
真っ暗闇の中を出発するのはいつもの事ですが、此処西域ではこの時間でもまだ真の闇です。
7:34 山に着きました。
うっすら明るくなりかけています。月がまだ眩しいという暗さです。
奥井親子はもう少し上まで行きますので私一人が下車です。
7:42 線路にとり付きました。もはや馴染みの信号機です。
急カーブなので線路と違う方向(曲がった先の線路から確認できるよう)に向けられた信号機が「登るべき尾根」の目印です。
実は昨日奥井さんが此処の尾根に登って夕方一番を撮影して目指そうとしていた尾根が此処であることを確認してあるのです。
7:48 位置を決めました。デカビデオは線路寄り、スチルはビデオ撮影開始後、山方向へ走ってとりついて撮る事にします。
これは後追い、山奥方向を見た情景です。
馴染みの信号機が「あっちゃ向いてホイ」をしています。
夜明け前の撮影の難しさは、みるみる明るくなっていく事にあります。
ビデオ、HDW-750は当然マニュアル露光で撮ります。
ブラスト音が間際に来るまで露光を「固定;やや暗く」に手動で調整し続けます。蒸機が来てから客車が眼前を通過し終わる瞬間に適正露出になる事を狙っています。
その時間を約2分と踏んでいます。
シャッター音を入れたくないのでビデオの調整が終わった瞬間に撮影開始ボタンを押してから走ります。
走り去る音を入れないために蒸機が視界に入る少し前に撮影開始しなくてはいけません。
視界に入ってきてしまった場合は抜き足差し足でスチル場所に向かう事になるので困難が増大します。
HDW-750には「ループレック」の基板を入れてあります。 (2003年からです)
撮影開始ボタンを押すとその7秒前から記録が残ります。
こんな機能がどうして未だにホームビデオに搭載できないのか不思議です。
そうこうしているうちに時間通りブラスト音が近づいてきました。
8:13 朝焼けをボイラーに映し、ブラストを山々に響かせます。
加減弁を全開にしている事に加えて、この地形が素晴らしい音の原因ですね。
スチルは線路から少し距離を置きましたので広角サイド24mmはこんな感じです。
HDW-750はきちんと機能したはずです。
再生機を持っていないので見る事は出来ません・・・未だに見ていません。
しかし、まず音声レベルも露光も完璧だったはずです。
この「後追い」がまあまあ撮れたので、返しを此処で撮る必要はなくなったと見て深部に向かって歩く事にします。
左の崖に沿って左カーブしながら500mも歩くと奥井伴彦&奥井雄太と合流しました。
左は開けてきていますが、台地の上に続く斜路が見えますので登ってみる事になりました。
山奥方向から降りてくる列車の站発車を狙うわけです。
9:13 私の撮影位置から見た奥井&Jrの足場。肉眼で見続けると血の気が引いてきます。
9:15 站を発車してきた「返し」
一番奥の終点(深部銅鉱)の一つ手前の站です。
発車から十秒程度力行を予想していたのですが、現実はブレーキを緩めるだけで発車してきました。
入山許可を貰っていますが、入山を許されるのはこの站周辺までです。
9:39 朝食と貨物列車情報を届けに運転手と車さんが台地に上がってきました。
9:53 朝ご飯のメインは昨夜買っておいたケンタッキーフライドチキン+インスタントコーヒーです。
10:20 台地を移動して反対側から貨物列車を撮ります。
奥井親子は「カレー山」からこの列車を捉えたようです。
快調なブラスト音を響かせて眼下を通過!
10:31 台地の山奥側にも斜路が有り、站(無人)に直接降りて人里に帰ります。
11:32 なかなか降りてこなかったのは「返し」の貨物を期待したからでしょうか、奥井親子の帰還です。
貨物はいつ返るか判らない上に完璧に絶気でしかも「逆向き」ですから無視する事にします。
夕方一番までやる事がありません。
11:45 奥のゲートの前まで行ってみます。ゲートの何かに置いて記念写真です。
車さんと運転手さんには車の前列シートで写ってもらいます。
ダッシュボードに置いてある撮影許可証です。
12:10 労働時間がめちゃくちゃに長い運転手さんの労をねぎらうため?白銀市内に戻って高級レストランで食事をする事になりました。
これがレストラン入り口です。
右側を見ると三輪車がずらりと並んで駐車しています。
入口から見た正面の風景です。高級車+我々の金杯(JIMBEI=トヨタハイエース)です。
12:29 着席。ナフキンの折り方が席毎に違えてありました。
女性服務員は回族だと思います。
12:37 縁起物と見えるギョウザが前菜として出てきました。焼きギョウザは珍しいです。
12:41 白酒(パイチュウ)、コウリャンが原料の蒸留酒でアルコール50度前後です。
中国北半分のお酒はだいたいこれです。
次々と料理が出てきます。 全部は撮りませんでした・・・此処にも紹介出来ないですし。
燕の巣のスープでしょうか。元来は潮州料理で、海藻で巣を作る岩燕の巣を命がけで盗ってきてスープにするというもので、中国人の大好きな「食感」に訴える食べ物です。
13:53 チャーハンまで来ました。
14:13 金魚の水槽が凄いです。
14:15 愛嬌のある金魚のお顔です。この金魚が「崖の上のポニョ」のモデルになった魚だった筈です。
NHKのまわしものです。
これは白菜です。白菜<bai cai>は百財<bai cai>と同じ発音で 非常に縁起のよい
モノとされています。
受付の素敵なお嬢さんと記念写真です。
14:23 お店の外に出てみると昔と変わらない中国の地方都市の眺めが有りました。
14:37 百貨店を見に行きます。
エスカレーター、上りは運転中ですが、節約のため下りは動かしていません。
お客さんは歩いています。
駄菓子?
くつ
大きな吹き抜けの下は宝飾売り場でしょうか。使われていない催事場?
下着・肌着
15:23 山に入りました。三鉱站の語源である三**はゲートで守られています。
三鉱(実際は違う名前と思います)で一人車を降ります。奥井親子&車さんと車は三鉱站発車後500m地点辺りに向かいます。
勾配途中で発車した列車はその地点ではまだ低速で全力加速中、更に低速といえどもブラストの密度が少し詰まってきているので煙が綺麗になって「画」としては佳いと考えての事です。
一方私は昨日の夕方二番を機関士側から撮って居る(奥井は助士側)ので、助士側からビデオを撮る事にします。
この夕方一番の列車を撮って白銀とお別れです。
朝の途中までの列車は少し前までここまで来ていたようです。
今は機回し線上に貨車が置かれています。
この貨車からは何か荷下ろしの最中でした。
15:38 夕方一番列車が来ました。結構人が降ります。
これの「返し」の列車が大勢の労働者を運ぶ列車です。
当心漏酸と言う文字が見えます。一体何を注意しろと云うのでしょう。
此処まではスチルを撮っていますが、発車はビデオに専念します。
「ズーミングしながらパーン」
空転しながら勾配途中から列車を引出す姿を撮りました。カーボンとはいえ重いザハトラー三脚を持ち込んだのはこの時のためです。
15:47 当心漏酸に加え、その上に試験管から酸がこぼれる絵柄の看板が。
15:49 車が来る直前です。
この駅の道路寄りには殆どレベルに見える行き止まり式ホーム(この写真にもホームの屋根が見えています)と手前側の機回し線があり、駅の手前で分岐して深部へ向かう線は行き止まり線の向こう側、けっこうきつい勾配の途中に申し訳程度のホームしか無い様な状態で列車が止まるようになっています。
15:55 車に乗って走りだしてすぐ、六公里駅を過ぎて踏切を渡り、国鉄線をアンダーパスする地点の手前でいきなり前方から蒸機列車が現れました。
車を急停車させて飛び出して撮影しました。
山に向かって機関車「逆向き」という事は、途中駅までの区間列車です。
正直言ってうっかりこの列車の存在を忘れていました。
17:01 高速道路を蘭州空港へ向かいます。
高速バスにどんどん追い抜かれるゆっくり走行です。
17:20 高速道路の終点近くです。
17:27 蘭州空港搭乗手続き中です。
17:31 出発便の案内を見てびっくり、同時刻に北京行きが二つ出ます。悪魔一家はMUだったような気がします。 (北京までのキャリアーが各人ばらばらだったためか?)
我々は成田への帰路の一部に相当する区間であるためCAです。
お土産物売り場、この立派なぬいぐるみ、中国も変わったな!と感じさせる情景です。
小姐(販売員)がラジコンのヘリコプターを飛ばしてお客さんにデモをやっています。
搭乗待合室でも同じデモをやっていました。
18:05 搭乗待合室、いよいよ搭乗ですです。MUとCAは向かい合いで競うように搭乗開始していました。
18:12 乗る飛行機のお顔です。
18:21 乗ってすぐ、止める間もなく記念撮影してしまいます。
接近した席は貰えましたが今回は窓は無しです。
19:07 機内食も出ました。
19:25 食べ終わってふたを閉めると「MUSLIM 清真」の文字があります。
さすが回族の多い地域を感じさせます。
20:21 北京空港へ到着しました。バスで空港ビルへ向かいます。
20:48 再び「井門先生」の看板に遭遇、車さんの手配した運転手さんです。彼が北京駅まで我々を運んでくれます。
北京空港「到着」の車寄せです。
立派な車です。
車内はこんな具合です。私が太っているから多少狭く見えますが凄くゆったりしています。
21:16 北京駅が見えてきました。
21:30 北京駅です。1994年(外観も変わっていない)この北京駅から四平に向けて寝台列車に乗り込んだことが懐かしく思い出されます。
乗車予定の寝台列車は22:59発ですから余裕がありますので、近くの店で麺を頂くことにします。
21:53 近くの店に入ってびっくり!
90年代と何一つ変わっていません。清潔感も雰囲気も当時のままがきれいに温存されています。
写真で見ると「とってもきれいに見える」ところも全く同じです。
刀削麺、中国としては割合バランスが良い方です。中国で麺とスープのバランスが崩れる最も根本的な問題は、麺ものに具合がよい大きな器が無いことかもしれません。
発想が「大きな器」に切り替わるのは相当長い時間がかかると思います。
22:36 地獄のような行列に並んで既に30分経過、ようやく前に進み始めました。
軟臥車(ロネ)のお客さんは違う待合室から違う経路で列車に乗れるはずなのに、今日はこの有様です。
22:50 すぐそこで列の進みが滞っています。渋滞の原因です。
なかなか進まないのはこの改札口で切符をチェックしているからです。
全員が切符を個別に持たなくてはいけない厳しい状況です。普通はガイドさんが纏めて持ち歩いて手続きしてくれるのですが・・・
22:53 北京駅跨線橋からの眺めです。発車まであと五分です。
22:56 ようやく乗車列車の乗車車両に辿り着きました。
ドアを閉められたら御仕舞という極限状況でもこのRW25型の行き先表示板の前で記撮です。
昔から時々乗車するこの車両、我々は塗色などから「キハ55」と呼んでいます。
23:08 車内で宴会するのも今回の旅行のテーマの一つです。
車販からビールを買います。
ガイドの車さんはこの後すぐに上段に上がって大きないびきをかき始めました。
24:52 日付はとっくに変わっています。明日は5時前に下車ですから観念して寝ることにします。
寝る前にトイレに行って、見慣れた「ツタンカーメン」で用を足しました。
25:05 洗脳室(名前は怖いけど洗面所です)で歯を磨きおやすみなさいです。
ここまでは沢山の障害を乗り越えて無事に旅程をこなしています。
明日は初めての南票です。果たしてどんな場所なのか、どんな事件が待ち構えているか。
疲れはありますがそれ以上のときめきを感じつつ明日に備えて眠りにつきます。
勝負の日がやってきました。
今日が白銀の最終日です。夕方からは北京経由南票への移動が待っています。
悪魔一家からも散々聞かされてきました。
「ビデオならば、白銀の朝の列車を撮らないでは成仏出来ないはずだ」 と。
特に「音」が素晴らしいのだそうです。
(これも「悪魔の囁き」でしょうか)
朝一の列車に陽が当たるのは2月下旬と聞いています。 (これは大谷連隊長からの確かな情報)
残念ながら「2月半ば」ではまだ列車に陽は当たりませんが、2月下旬となると気温も上がってくるし、強風が吹く危険が高い時期ですから怖いです。
明るさも悪魔一家が訪問した年末と比べれば随分明るいはずです。
(彼らの訪問時は積雪というとんでもない幸運に恵まれていましたが・・・)
スチルも朝一の列車をちゃんと撮るべくNikon D-700を買いました。
以前はバケペン2台だったのです。
これまでさんざんそれでやってきましたが、さすがにバケペンで夜明け前はかなり危険です。
文句なしの機材を手に、燃える闘志を胸に秘め、朝の撮影地に向かいます。
7:02 ホテルを出発します。
真っ暗闇の中を出発するのはいつもの事ですが、此処西域ではこの時間でもまだ真の闇です。
7:34 山に着きました。
うっすら明るくなりかけています。月がまだ眩しいという暗さです。
奥井親子はもう少し上まで行きますので私一人が下車です。
7:42 線路にとり付きました。もはや馴染みの信号機です。
急カーブなので線路と違う方向(曲がった先の線路から確認できるよう)に向けられた信号機が「登るべき尾根」の目印です。
実は昨日奥井さんが此処の尾根に登って夕方一番を撮影して目指そうとしていた尾根が此処であることを確認してあるのです。
7:48 位置を決めました。デカビデオは線路寄り、スチルはビデオ撮影開始後、山方向へ走ってとりついて撮る事にします。
これは後追い、山奥方向を見た情景です。
馴染みの信号機が「あっちゃ向いてホイ」をしています。
夜明け前の撮影の難しさは、みるみる明るくなっていく事にあります。
ビデオ、HDW-750は当然マニュアル露光で撮ります。
ブラスト音が間際に来るまで露光を「固定;やや暗く」に手動で調整し続けます。蒸機が来てから客車が眼前を通過し終わる瞬間に適正露出になる事を狙っています。
その時間を約2分と踏んでいます。
シャッター音を入れたくないのでビデオの調整が終わった瞬間に撮影開始ボタンを押してから走ります。
走り去る音を入れないために蒸機が視界に入る少し前に撮影開始しなくてはいけません。
視界に入ってきてしまった場合は抜き足差し足でスチル場所に向かう事になるので困難が増大します。
HDW-750には「ループレック」の基板を入れてあります。 (2003年からです)
撮影開始ボタンを押すとその7秒前から記録が残ります。
こんな機能がどうして未だにホームビデオに搭載できないのか不思議です。
そうこうしているうちに時間通りブラスト音が近づいてきました。
8:13 朝焼けをボイラーに映し、ブラストを山々に響かせます。
加減弁を全開にしている事に加えて、この地形が素晴らしい音の原因ですね。
スチルは線路から少し距離を置きましたので広角サイド24mmはこんな感じです。
HDW-750はきちんと機能したはずです。
再生機を持っていないので見る事は出来ません・・・未だに見ていません。
しかし、まず音声レベルも露光も完璧だったはずです。
この「後追い」がまあまあ撮れたので、返しを此処で撮る必要はなくなったと見て深部に向かって歩く事にします。
左の崖に沿って左カーブしながら500mも歩くと奥井伴彦&奥井雄太と合流しました。
左は開けてきていますが、台地の上に続く斜路が見えますので登ってみる事になりました。
山奥方向から降りてくる列車の站発車を狙うわけです。
9:13 私の撮影位置から見た奥井&Jrの足場。肉眼で見続けると血の気が引いてきます。
9:15 站を発車してきた「返し」
一番奥の終点(深部銅鉱)の一つ手前の站です。
発車から十秒程度力行を予想していたのですが、現実はブレーキを緩めるだけで発車してきました。
入山許可を貰っていますが、入山を許されるのはこの站周辺までです。
9:39 朝食と貨物列車情報を届けに運転手と車さんが台地に上がってきました。
9:53 朝ご飯のメインは昨夜買っておいたケンタッキーフライドチキン+インスタントコーヒーです。
10:20 台地を移動して反対側から貨物列車を撮ります。
奥井親子は「カレー山」からこの列車を捉えたようです。
快調なブラスト音を響かせて眼下を通過!
10:31 台地の山奥側にも斜路が有り、站(無人)に直接降りて人里に帰ります。
11:32 なかなか降りてこなかったのは「返し」の貨物を期待したからでしょうか、奥井親子の帰還です。
貨物はいつ返るか判らない上に完璧に絶気でしかも「逆向き」ですから無視する事にします。
夕方一番までやる事がありません。
11:45 奥のゲートの前まで行ってみます。ゲートの何かに置いて記念写真です。
車さんと運転手さんには車の前列シートで写ってもらいます。
ダッシュボードに置いてある撮影許可証です。
12:10 労働時間がめちゃくちゃに長い運転手さんの労をねぎらうため?白銀市内に戻って高級レストランで食事をする事になりました。
これがレストラン入り口です。
右側を見ると三輪車がずらりと並んで駐車しています。
入口から見た正面の風景です。高級車+我々の金杯(JIMBEI=トヨタハイエース)です。
12:29 着席。ナフキンの折り方が席毎に違えてありました。
女性服務員は回族だと思います。
12:37 縁起物と見えるギョウザが前菜として出てきました。焼きギョウザは珍しいです。
12:41 白酒(パイチュウ)、コウリャンが原料の蒸留酒でアルコール50度前後です。
中国北半分のお酒はだいたいこれです。
次々と料理が出てきます。 全部は撮りませんでした・・・此処にも紹介出来ないですし。
燕の巣のスープでしょうか。元来は潮州料理で、海藻で巣を作る岩燕の巣を命がけで盗ってきてスープにするというもので、中国人の大好きな「食感」に訴える食べ物です。
13:53 チャーハンまで来ました。
14:13 金魚の水槽が凄いです。
14:15 愛嬌のある金魚のお顔です。この金魚が「崖の上のポニョ」のモデルになった魚だった筈です。
NHKのまわしものです。
これは白菜です。白菜<bai cai>は百財<bai cai>と同じ発音で 非常に縁起のよい
モノとされています。
受付の素敵なお嬢さんと記念写真です。
14:23 お店の外に出てみると昔と変わらない中国の地方都市の眺めが有りました。
14:37 百貨店を見に行きます。
エスカレーター、上りは運転中ですが、節約のため下りは動かしていません。
お客さんは歩いています。
駄菓子?
くつ
大きな吹き抜けの下は宝飾売り場でしょうか。使われていない催事場?
下着・肌着
15:23 山に入りました。三鉱站の語源である三**はゲートで守られています。
三鉱(実際は違う名前と思います)で一人車を降ります。奥井親子&車さんと車は三鉱站発車後500m地点辺りに向かいます。
勾配途中で発車した列車はその地点ではまだ低速で全力加速中、更に低速といえどもブラストの密度が少し詰まってきているので煙が綺麗になって「画」としては佳いと考えての事です。
一方私は昨日の夕方二番を機関士側から撮って居る(奥井は助士側)ので、助士側からビデオを撮る事にします。
この夕方一番の列車を撮って白銀とお別れです。
朝の途中までの列車は少し前までここまで来ていたようです。
今は機回し線上に貨車が置かれています。
この貨車からは何か荷下ろしの最中でした。
15:38 夕方一番列車が来ました。結構人が降ります。
これの「返し」の列車が大勢の労働者を運ぶ列車です。
当心漏酸と言う文字が見えます。一体何を注意しろと云うのでしょう。
此処まではスチルを撮っていますが、発車はビデオに専念します。
「ズーミングしながらパーン」
空転しながら勾配途中から列車を引出す姿を撮りました。カーボンとはいえ重いザハトラー三脚を持ち込んだのはこの時のためです。
15:47 当心漏酸に加え、その上に試験管から酸がこぼれる絵柄の看板が。
15:49 車が来る直前です。
この駅の道路寄りには殆どレベルに見える行き止まり式ホーム(この写真にもホームの屋根が見えています)と手前側の機回し線があり、駅の手前で分岐して深部へ向かう線は行き止まり線の向こう側、けっこうきつい勾配の途中に申し訳程度のホームしか無い様な状態で列車が止まるようになっています。
15:55 車に乗って走りだしてすぐ、六公里駅を過ぎて踏切を渡り、国鉄線をアンダーパスする地点の手前でいきなり前方から蒸機列車が現れました。
車を急停車させて飛び出して撮影しました。
山に向かって機関車「逆向き」という事は、途中駅までの区間列車です。
正直言ってうっかりこの列車の存在を忘れていました。
17:01 高速道路を蘭州空港へ向かいます。
高速バスにどんどん追い抜かれるゆっくり走行です。
17:20 高速道路の終点近くです。
17:27 蘭州空港搭乗手続き中です。
17:31 出発便の案内を見てびっくり、同時刻に北京行きが二つ出ます。悪魔一家はMUだったような気がします。 (北京までのキャリアーが各人ばらばらだったためか?)
我々は成田への帰路の一部に相当する区間であるためCAです。
お土産物売り場、この立派なぬいぐるみ、中国も変わったな!と感じさせる情景です。
小姐(販売員)がラジコンのヘリコプターを飛ばしてお客さんにデモをやっています。
搭乗待合室でも同じデモをやっていました。
18:05 搭乗待合室、いよいよ搭乗ですです。MUとCAは向かい合いで競うように搭乗開始していました。
18:12 乗る飛行機のお顔です。
18:21 乗ってすぐ、止める間もなく記念撮影してしまいます。
接近した席は貰えましたが今回は窓は無しです。
19:07 機内食も出ました。
19:25 食べ終わってふたを閉めると「MUSLIM 清真」の文字があります。
さすが回族の多い地域を感じさせます。
20:21 北京空港へ到着しました。バスで空港ビルへ向かいます。
20:48 再び「井門先生」の看板に遭遇、車さんの手配した運転手さんです。彼が北京駅まで我々を運んでくれます。
北京空港「到着」の車寄せです。
立派な車です。
車内はこんな具合です。私が太っているから多少狭く見えますが凄くゆったりしています。
21:16 北京駅が見えてきました。
21:30 北京駅です。1994年(外観も変わっていない)この北京駅から四平に向けて寝台列車に乗り込んだことが懐かしく思い出されます。
乗車予定の寝台列車は22:59発ですから余裕がありますので、近くの店で麺を頂くことにします。
21:53 近くの店に入ってびっくり!
90年代と何一つ変わっていません。清潔感も雰囲気も当時のままがきれいに温存されています。
写真で見ると「とってもきれいに見える」ところも全く同じです。
刀削麺、中国としては割合バランスが良い方です。中国で麺とスープのバランスが崩れる最も根本的な問題は、麺ものに具合がよい大きな器が無いことかもしれません。
発想が「大きな器」に切り替わるのは相当長い時間がかかると思います。
22:36 地獄のような行列に並んで既に30分経過、ようやく前に進み始めました。
軟臥車(ロネ)のお客さんは違う待合室から違う経路で列車に乗れるはずなのに、今日はこの有様です。
22:50 すぐそこで列の進みが滞っています。渋滞の原因です。
なかなか進まないのはこの改札口で切符をチェックしているからです。
全員が切符を個別に持たなくてはいけない厳しい状況です。普通はガイドさんが纏めて持ち歩いて手続きしてくれるのですが・・・
22:53 北京駅跨線橋からの眺めです。発車まであと五分です。
22:56 ようやく乗車列車の乗車車両に辿り着きました。
ドアを閉められたら御仕舞という極限状況でもこのRW25型の行き先表示板の前で記撮です。
昔から時々乗車するこの車両、我々は塗色などから「キハ55」と呼んでいます。
23:08 車内で宴会するのも今回の旅行のテーマの一つです。
車販からビールを買います。
ガイドの車さんはこの後すぐに上段に上がって大きないびきをかき始めました。
24:52 日付はとっくに変わっています。明日は5時前に下車ですから観念して寝ることにします。
寝る前にトイレに行って、見慣れた「ツタンカーメン」で用を足しました。
25:05 洗脳室(名前は怖いけど洗面所です)で歯を磨きおやすみなさいです。
ここまでは沢山の障害を乗り越えて無事に旅程をこなしています。
明日は初めての南票です。果たしてどんな場所なのか、どんな事件が待ち構えているか。
疲れはありますがそれ以上のときめきを感じつつ明日に備えて眠りにつきます。