goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■先の事は思い出されない / 福井 誠

2020年09月02日 | Weblog

2020/7/8放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか、福井 誠です。継続は力なり、聖書を一日一日と読み進むなら不思議にも自然に養われるものがあります。今日も聖書を開いて参りましょう。今日はイザヤ書65章17節から「先の事は思い出されない」と題してメッセージをお伝えいたします。

  「見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。
   先のことは思い出されず、心に上ることもない。

 このイザヤ書を一緒に通読されて来た方はついに明日でイザヤ章66章を完読というところまできましたね。私は読みが不完全であっても読み続けること、そして教えられたことを心に留めて実行して行くこと、これが聖書の読みを深めていくと思っています。ぜひ続けて、今週はエレミヤ書の完読にチャレンジしたい所ですね。

 さて、イザヤ書の終わりに63章から64章には、長いイザヤの祈りが収録されています。それはイスラエルの罪をお怒りになる神に対して、神の愛に訴えて赦しと救いを求める執り成しの祈りになっています。65章はその祈りに対する神の答えですね。今日お読みしたのは神の答えにあたる部分です。神は言います。
 わたしは怒りを静め、もうイスラエルがした悪事をみな忘れる、と。愛は忘れることである、と語った人がいます。愛は人のした悪事をいつまでもネチネチ覚えていたりはしません。もうさっぱり忘れて、そして新しい関係を作ろうとするものです。実際、神は非常に前向きで、神がこれから与えられるものを楽しみ喜ぶように、と語っていますね。神の愛は偉大だと言わなくてはなりません。人生、物事がうまくいかないと、自分の能力のなさを嘆いて責めたり、或いは神に呪われているのだ、と目に見えない神のせいにしたり、前向きになれないでいることがあるものです。しかしそれは考えてみると、一人相撲のようなものです。少なくとも聖書を読むと、神はあなたを呪うことはありません。神はいつでもあなたの過去よりも、新しい人生に関心を向け、助けようとしておられます。神は祝福の神なのです。

 では良き一週を祈ります。

 (PBA制作「世の光」2020.7.1放送でのお話より )

 ****** 

  さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。 
  
 ****** 
  
 このサイトは URL名として  
 http://yonohikari.biblica.info  
 が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■地方総督ガリオ / 板倉邦雄

2020年09月01日 | Weblog

2020/7/7放送
 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
 今日は「地方総督ガリオ」という題でお話ししましょう。

 昔から宗教と政治の間には様々な問題が起こりました。日本でも75年前、政治と宗教が一体になっていましたねえ。今から2000年前のギリシャのコリントでも政治と宗教の問題が起こりました。使徒の働き18章です。

 さて、パウロ伝道チームはギリシャのコリントの街に腰を据えて伝道を展開していました。その頃、コリントの町がありましたギリシャのアカイヤ地方に新しくローマの地方総督が就任しました名前はガリオと言いました。これ幸いとパウロを面白く思っていないユダヤ人たちは徒党を組んでパウロを捕まえて彼を地方総督ガリオの管轄するローマ法廷に引っ張って行って訴えたのです。「この人は私たちの信奉するモーセの律法に背いて、イエスなる者を神として拝むように人々をそそのかしているのです!」 とにかく、あるユダヤ人たちにとってはパウロの伝道をコリントでするのをやめさせたい、そしてこれからアカイヤ地方どこに於いても伝道できないようにしたいのです。ですから地方総督ガリオに訴えたのであります。

 すると地方総督ガリオは訴え出たユダヤ人たちに言いました。「ユダヤ人諸君、何か不法行為とか悪質の犯罪とかの訴えなら私は当然諸君の訴えを取上げよう。しかし今回の訴えは諸君の信じることばや名称、そして宗教的な律法に関する問題なのだから諸君自ら始末するのが良かろう。私はそんな事の裁判人になりたくはない。」 こう言って、訴え出たユダヤ人たちを法廷から追い払ったのです。ローマ法は不法行為や悪質な犯罪に関して取り上げます。しかし人の心の問題すなわち宗教の問題に対しては取り上げないし、また取り上げられませんでした。このガリオという地方総督は賢明で筋が通っていました。

 政治と宗教・思想の分離はわたしたちの社会生活にとって、とても大切な原理であり法則ではないでしょうか? 国家が私たち人間の信じる自由や信じない自由を侵してくるとき、問題が起こり、逆に宗教が国会や政治と結びつくとき、悲しい悲劇的な歴史を繰り返していくのではないでしょうか。

  (PBA制作「世の光」2020.7.7放送でのお話より ) 

*** 

このサイトは URL名として 
 http://yonohikari.biblica.info  
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。 

*** 

東海福音放送協力会へのお問い合せは、 
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ 

*** 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする