2017/5/19放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今月はキリスト教会で毎週日曜日に行われている礼拝ということについて御一緒に考えています。礼拝は賛美を捧げる時、そして神様への祈りの時、というお話をしましたね。今日は礼拝は聖書を通して神様のことばを聴くということなんだということをお話ししたいと思います。
新約聖書のローマ人への手紙10章17節にこう書かれています。
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」
信仰は聞くことから始まるんですねえ。決して何か善行や修行を一所懸命積み重ねることではないんです。そして聖書からキリストについて聞くわけですが、一体キリストの何について聞くのでしょう。
第一は、キリストが来られた目的を聞くのです。
イエス・キリストが来られた目的は一体何でしょうか。イエス・キリストは、「失われた人を捜して救うために来た」(ルカ 19章10節)と言われました。イエス・キリストが来られた目的は救いを与えるためなんですね。自分の人生を見失い、どのように歩んで行ったらよいか分からない。まるで羊飼いのいない迷った羊のような一人ひとりを救うために来てくださいました。
第二に、キリストの語られたことばそのものを聞くのです。イエス様は、「人は、たとい全世界を得ても、魂を損じたら、何の得になるのか。」(参照 マタイ16章26節、マルコ8章36節)と言われました。人の価値の高さを教えられたんですねえ。お互いに愛し合うことの大切さを教えられました。人が生きていく上で最も大切な愛をもって生きることを実践し教えられたんです。ですからこのイエス・キリストの語られたことばそのものを聖書から聞いていくのです。
そして第三は、キリストのなされたみわざを聞くのです。イエス様は人々を癒し慰められました。しかしイエス様の最後は十字架に磔(はりつけ)にされたのです。でもそこには深い意味がありました。それは私たち一人ひとりの罪をイエス・キリストが身代わりに背負い、私たちの罰を受けてくださったという驚くばかりの愛のみわざだったんです。そしてイエス様は十字架につけられ、三日目に復活し、今も生きておられる、と聖書は教えます。このイエス様があなたのためになされたみわざを聞いていくのですね。
そしてそれを聞いたら、生きることです。それが信仰の歩みなんです。
(PBA制作「世の光」2017.5.19放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
今月はキリスト教会で毎週日曜日に行われている礼拝ということについて御一緒に考えています。礼拝は賛美を捧げる時、そして神様への祈りの時、というお話をしましたね。今日は礼拝は聖書を通して神様のことばを聴くということなんだということをお話ししたいと思います。
新約聖書のローマ人への手紙10章17節にこう書かれています。
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」
信仰は聞くことから始まるんですねえ。決して何か善行や修行を一所懸命積み重ねることではないんです。そして聖書からキリストについて聞くわけですが、一体キリストの何について聞くのでしょう。
第一は、キリストが来られた目的を聞くのです。
イエス・キリストが来られた目的は一体何でしょうか。イエス・キリストは、「失われた人を捜して救うために来た」(ルカ 19章10節)と言われました。イエス・キリストが来られた目的は救いを与えるためなんですね。自分の人生を見失い、どのように歩んで行ったらよいか分からない。まるで羊飼いのいない迷った羊のような一人ひとりを救うために来てくださいました。
第二に、キリストの語られたことばそのものを聞くのです。イエス様は、「人は、たとい全世界を得ても、魂を損じたら、何の得になるのか。」(参照 マタイ16章26節、マルコ8章36節)と言われました。人の価値の高さを教えられたんですねえ。お互いに愛し合うことの大切さを教えられました。人が生きていく上で最も大切な愛をもって生きることを実践し教えられたんです。ですからこのイエス・キリストの語られたことばそのものを聖書から聞いていくのです。
そして第三は、キリストのなされたみわざを聞くのです。イエス様は人々を癒し慰められました。しかしイエス様の最後は十字架に磔(はりつけ)にされたのです。でもそこには深い意味がありました。それは私たち一人ひとりの罪をイエス・キリストが身代わりに背負い、私たちの罰を受けてくださったという驚くばかりの愛のみわざだったんです。そしてイエス様は十字架につけられ、三日目に復活し、今も生きておられる、と聖書は教えます。このイエス様があなたのためになされたみわざを聞いていくのですね。
そしてそれを聞いたら、生きることです。それが信仰の歩みなんです。
(PBA制作「世の光」2017.5.19放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。