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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■キリストの癒しのステップ / 岩井基雄

2019年04月22日 | Weblog
2016/3/18放送

 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。

 第三週の月曜日はマルコの福音書から学んでいます。今日取り上げる箇所には、神の御子キリストが目の不自由な人を段階的に癒された、ということが記されています。お読みします。
 
 人々が目の見えない人を連れて来て、彼にさわってくださいとイエスに懇願した。イエスは、その人の手を取って村の外に連れて行かれた。そして彼の両目に唾をつけ、その上に両手を当てて、「何か見えますか」と聞かれた。すると、彼は見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます」と言った。それから、イエスは再び両手を彼の両目に当てられた。彼がじっと見ていると、目がすっかり治り、すべてのものがはっきりと見えるようになった。
  新約聖書 マルコの福音書 8章22節から25節

 この目の不自由な人は、人々によってキリストのもとに連れて来られました。しかしキリストはその人を村の外に連れて行かれ、一対一での対応をなさったのです。人の痛みに寄り添い、決して見世物のようにはなさらなかったのですねえ。そしてご自身のつばきを彼の両目につけられ、その上に両手をあてられました。不自由さや寂しさを抱えてきたであろうこの人にとって、それは暖かなぬくもりと愛を感じ取った一時であったことでしょう。その時の癒しは完全ではなかったのです。なぜでしょうか。キリストは当然一度で癒すことのできる力を持っていらっしゃいました。しかしこの時、キリストは彼を段階的に癒され、彼が自ら目を開き、その目でじっと見るように見つめるように、と招かれたのです。そこには癒しの不思議なステップがあったとも言えるでしょうね。キリストがなさる愛のわざは、時に人状況に合わせ、その人の内側にあるものを引き出され、待ち望むことや信頼して自ら開き見つめることを促されるのです。

 私たちも時に、一足飛びの癒しや問題の解決を求めますねえ。しかし神様は敢えて私たちを待たせることがあり、段階的に私たちを取り扱われることがあるのです。神様への信頼を持って、神様の愛と恵みを待ち望み、自ら希望へと進み出ていく力を私たちはキリストにあって受け取ることができるです。私たちもまた、キリストに導かれて自ら開き、また見つめていく生涯、変えられていく生涯を歩んでいきましょう。

  (PBA制作「世の光」 2019.3.18放送でのお話より )
 
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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
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