お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
今日は埼玉県草加市にお住まいの大滝えいじさんの五行歌、紹介いたします。
地球上で 人類だけが操る 火と神々 最も尊きもので 最も危ない
大滝さんの五行歌にこんなコメントがありました。「最近の世界を要約しきったような歌。神々を操るということばが不思議でないのは現代になってからであろうか。結局恐いものは人間自身。」
この操るというのは自分の思う通りに動かすという意味ですよねえ。人間が造り主である神を畏(おそ)れかしこむのではなくて神と同等になろう、神をしもべのように思う通りに使おうという訳です。人間は大変傲慢になってしまったんですねえ。
新約聖書ローマ人への手紙の1章21節以下にこのような聖書のことばがあります。「彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」
さあ、この結果はどうでしようか。29節にはこのように書かれております。「彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。」何か全然関係がないよと思っていらっしゃる方もおられるかもしれませんが、どこか何か自分にあてはまるんじゃないかってお思いくださったら、これはまた素晴らしいと思います。
イエス・キリストはこうおっしゃいました。「悔い改めなさい。天国は近づいた。」この悔い改めというのは方向転換するという意味があります。つまり今こそすべての人が、いえ、あなたが
そして私がまことの神様に向かって方向転換する時ではないだろうかというふうに思うんです。確かに努力・頑張り、もう神もいらず祈りもいらず信仰もいらず、自分の力でやっていく、そういう生き方も一つの生き方です。しかし、本当の意味において神様のもとにへりくだって神を神として認めて生きていく、ここに真の救いがあるっていうことをぜひ知っていただきたいのです。
(PBA制作「世の光」2005.11.24放送でのお話しより )
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