世の光の時間です。 お元気でしょうか。 村上宣道です。
二月も終わりに近づきつつありますけれども、二月というのはまあ一年のうちで一番季節的に言えば厳しい寒い月ですよねえ。 特に東北、北海道とかそしてまあそのような寒冷地と言われる所はこの二月はほんとに厳しさを覚える月だと思いますねえ。
で、よくまあ人生というものも春夏秋冬に例えられたりすることもありますが、私たちの生き方の中でもニ月のような厳しさを感ずる、寒さを感ずる本当に冷え込みを覚えると言いましょうかね、そんなような時期というのがある訳ですよねえ。
で、この所ずっと「喜び」ということについてご一緒に考えてきましたけれども、「喜び」っていうのはほんとにこう喜べるような時に喜ぶというばかりでなくって、こんな時にどうして喜べるの、っていうような時にですね喜べるかかどうかということが一つの大きな課題だと思いますよねえ。 「いつも喜んでいなさい」(1テサロニケ 5章16節)っていうふうに聖書は教えている訳ですけれども、「いつも」って訳にいかない、こんな時にも喜ぶなんてそれは無理だというようなですね、そんな場面に実際に出くわすことがある訳ですよね。
ですけどもパウロという人はですね、そのローマ人への手紙5章という中で言ってるんですけども、「患難さえも喜んでいます」(ローマ 5章3節)ってこう言い方をしているんですね。 何か負け惜しみみたいにですね聞こえる方もいらっしゃるかもしれませんけれども、「患難さえも喜んでいます」というこの「さえも」ということなんですけれども、いくらパウロという人が偉大な信仰者であったとしても、患難が大好きで患難がないと何かムシャクシャするとかそんなことはない訳ですね。 患難はやっぱり喜べるようなものではない。 できることだったら患難は避けたい、そういう気持ちは変わらないと思うんです。
その喜べるはずもない患難「さえも」喜んでいます、と言うことができるのは、この聖書を見ますとですねえ、患難は患難のままでは終わらないんだ、患難は患難を通してでないと産まれてこないものがある。 そこから産み出されるもっとすばらしいものがある、というそのことを思うから、「患難さえも喜んで」いるのだとそういうふうに言っているんですねえ。
そしてそれだけではなくって神様の愛が私たちの心の中に注がれているのだから、愛されるはずもない者をも愛してくださっている神様の愛が分かれば、その患難をも必ず良きに変えてくださると信じられると、そういう意味なんですねえ。
( PBA制作「世の光」2009.2.23放送でのお話しより)
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