♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■「クリスチャン」とは / 岩井基雄

2014年09月19日 | Weblog
2014/9/19放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もちょっと分りにくいキリスト教用語を学んでみましょう。今日は「キリシタン」と「クリスチャン」という表現について考えましょう。

 キリシタンというのは日本の戦国時代から明治の初め頃まで使えていたことばで、もともとはポルトガル語ですね。そしてキリスト教徒という意味を持ちます。そして同じことばが英語ではクリスチャンとなるのですね。実はキリシタンもクリスチャンも同じ意味をもっています。しかし、もともとのギリシャ語はクリスティアノスということばです。聖書の中にはこう記されています。

 「弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」新約聖書 使徒の働き11章26節

 この「キリスト者」と訳されたクリスティアノスということばは実は異邦人の中でも恐れることをせず、真理を語り続ける使徒たちの姿を揶揄して表現されたことばでした。宗教改革の時も同じでした。(宗教改革の立場を指す)「プロテスタント」ということばは「抵抗」という意味を持ちますが、オランダのプロテスタントのカルヴァン派は「貧乏」という意味のゴイセンと呼ばれましたし、イギリスのプロテスタントであるピューリタンということばは「馬鹿正直」というような意味を持ちます。どちらもやはり軽蔑的な意味が含まれているのですね。日本でも明治期のクリスチャンたちが耶蘇(やそ)という蔑称で呼ばれましたが、この耶蘇は中国語で「イェスー」と発音し、イエスの当て字でありますが、この耶蘇の蘇という字はよみがえり、すなわち復活を表わす希望の意味が含まれているのですね。どんな状況でも希望を告白し、人を恐れることをせず真理を語り、貧しくてもバカ正直と言われても神様の前に真実に生きてきたのがキリスト者・クリスチャンたちなのですね。クリスチャンとは人から嘲れたり、恥ずかしめられたりすることがあったとしても、神様から与えられる祝福や恵みに心を留めて、いつでも真実に誠実に生きる力と喜びを持っているのですね。

 聖書のことば
 「使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。」 新約聖書 使徒の働き 5章41節、42節

 キリスト者として歩むとき、どんな困難や苦しみの中でも希望があるのです。


 (PBA制作「世の光」2014.9.19放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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