2021.4.27放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしですか、関根弘興です。イエス・キリストが十字架上で最初に発したことばは、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」という、とりなしの言葉でした。
私はこのイエス・キリストの祈りの言葉を読む度に、ある牧師のことを思い出します。もう三十年も前のことですけれども、国立駿河療養所の中にある神山教会の工藤清牧師と出会ったことでした。工藤牧師は若くして両親を亡くし、それに加えて十代の後半からハンセン病を病み、当時は隔離政策でしたので隔離された療養生活が始まりました。
ある時、施設に入っていた小学生が工藤さんにこう質問したそうです。「俺たちは、生きている意味があるの? ここで勉強したって何の意味もないじゃないか。」
工藤さんは、その質問に何も答えることができなかったそうです。そして自暴自棄になり、何度も自殺未遂を重ねていったそうです。しかし死にきれずにいた時に聖書に出会いました。彼は、愛などということはただの絵空事だと考えていたそうです。自分がハンセン病を患った後、友だちも親戚も、手紙一通くれなかったそうです。愛などこの世界にあるはずがない、と考えていたのです。
しかし聖書を開いてイエス・キリストの十字架の出来事を初めて読んだ時のことでした。「キリストは、何も悪いことをしていないのに十字架につけられた。それなのに、ローマ兵たちに『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのか、自分では分からないのです。』と語った。この人こそ、まことの愛の持ち主だ。救い主でなければ、こんな愛はもちえない。」そう思ったそうです。
そして、聖書を読み進めていくうちに、イエス・キリストのあの十字架のことばは十字架の周りにいた人たちだけに語られたのではなく自分自身にも語られているのだということが分かったというのです。こんな罪深い者のためにキリストが身代わりに十字架についてくださった。そして私の罪を赦し、この体が朽ちても変わることのない永遠のいのちを与えて下さるお方がいる。そのことを知った工藤さんの人生は、180度変えられ、後に牧師となっていきました。
皆さん、十字架はイエス様の赦しの祈りから始まります。そしてイエス様は、あなたに対しても「わたしはあなたの罪を背負ったのだ。赦しの道を開くために」と語っておられるのです。
(PBA制作「世の光」2021.4.27放送でのお話しより)
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