♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■主のことばはありがたい/福井 誠

2015年09月24日 | Weblog
2015/9/24放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「主のことばはありがたい」です。それではイザヤ書39章8節からお読みしましょう。

 ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全だろう、と思ったからである。

 先週はヒゼキヤ王が重い病に侵されたものの神に助けられたお話をしました。ヒゼキヤが病から回復すると、バベロンから使者がやってきました。ヒゼキヤはその来訪をことの他喜んで自分の財宝のすべてを見せたと言います。当時のバビロンはまだ小さな国でしたのでヒゼキヤは心を許して自分に優位な立場て友好関係を築こうと考えたのでしょう。そんなヒゼキヤに神のことばが伝えられます。
 「あなたがたくわえてきた物はすべて、バビロンへ運び去られる」と(参照 イザヤ書 39章6節)。

 大変な失敗ですねえ。一瞬の心の許しによって、すべてを失ってしまう、と告げられるのです。しかしヒゼキヤはイザヤに言いました。
 「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」 それは自分が生きている間は安全だろう、と思ったからでした(参照 イザヤ書 39章8節)。
 
 何とも複雑なことばです。先週のヒゼキヤは神の前に誠実に生きてきた自分を訴えて病からの解放を願いました。ところが今回のヒゼキユは自分が死んだ後であればイスラエルの国の滅びようがどうなっても良いと言わんばかりです。何とも自己中心な姿にがっかりさせられますねえ。けれどもこれが人間の現実なのかもしれません。信仰深く見える一面もあれば、まるで自分のことだけしか考えないと俗人の部分もある。100%良いところだけという人もいなければ、100%悪い所だけと言う人もいない。人間というのは良くも悪くも混ぜこぜの存在ではないでしょうか。

 大切なのはそのような自分の矛盾にしっかりと気付いて歩むことですね。自分が正しいと思うようになったらそれは危険信号であるし、逆に自分はだめの一点張りに思うようになったらそれもまた逆の意味で危険信号です。常に自分の現実をよく見ながら神の前に練られて、人間として成長し完成されていくものでありたいものですね。そしていつもそのような弱さを持った存在として神の前に謙虚に歩ませていただきたいものです。

 (PBA制作「世の光」2015.9.24放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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