♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ねたみ / 板倉邦雄

2013年03月06日 | Weblog
2013/3/6放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「妬み」という題でお話を
しましょう。

 私たちの心の畑に直ちに入って来る厄介な雑草か一つあります。その雑草の名前は「妬み」と言います。旧約聖書の創世記の26章です。

 さて、イサク一族はペリシテ人の地に住み、畑を耕し種をまきました。その年は100倍の収穫があったと記されています。聖書はこう書いています。

 「(神)が彼(イサク)を祝福されたので、彼(イサク)は富み、またますます栄えて非常に裕福になり、羊の群れ、牛の群れ及び多くのしもべ(使用人)を持つようになったので、ペリシテびとは彼(イサク)をねたんだ。」(創世記26章12~14節 口語訳聖書)と書いてあります。

 妬みは人を羨(うらや)み、やがて憎むようになることです。どうして人をうらやましく思うようになるかと言いますと、それは人と自分を比較するときに起こって参ります。特に人が自分よりも優れていたり飛んでいたり幸せだったり成功したりすると心が穏やかではありません。

 聖書の雅歌というところにこのようなことばがあります。

 「ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは火のきらめき、最もはげしい炎です。」8章の6節 (口語訳聖書)

 ところで、イサクを妬んだペリシテ人たちは妬みが行動となりました。父アブラハムが掘った井戸を土で埋めてしまいました。そして言いました。「私たちの所から立ち去ってくれ。」 イサクはそこを立ち去ります。

 さて、私たちの妬みというものは地獄のように恐ろしいものです。心の中でメラメラと炎のように燃えて押しとどめることはできません。そしてやがてそれはことばとなりまた行動となって表れて来るのです。ことばの暴力、嫌がらせ、いじめ、そしてついに殺人にまで至るのではないでしょうか。もし私たちが妬みに支配されたら、愛と赦しの神様に心を向けて祈る以外にはありません。反対に、妬まれたら争うことなくそこから離れる以外にないのではないでしょうか。

( PBA制作「世の光」2013.3.6放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書
通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくは
PBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっ
そり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大
抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なし
でもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹
介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 
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