♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■つまずきの石 / 山中直義

2013年01月29日 | Weblog
2013/1/29放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 山中直義です。

 人生の中でつまずくという体験は決して喜ばしいことではないでしょう。ですが、つまずかなければ気づかないこと、つまずかなければ変わらないことが私たちにはあるのではないでしょうか。「つまずきの石」と題してお話しさせて頂きます。

 新約聖書ローマ人への手紙9章31節から33節にこうあります。
 「イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行ないによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。それは、こう書かれているとおりです。『見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。』

 ここには神様から離れて歩んでいた当時のイスラエルの民のことが語られています。表面的には正しい生き方をしていましたが、実際には神様との人格的な交わりを失ったまま身勝手に歩もうとしていた。一所懸命、頑張っているのだから神様なんて必要ない、私たちも時にそのように考えてしまうことがあるように思います。そんなイスラエルに対して神様はつまずきの石をお与えくださった、と聖書は言います。

 この「つまずき」っていうことばの原文は「打つ、打撃」というようなことばで、激しいことばです。神と共に歩もうとせず滅びへ向かって進み続けようとする人々を神様は何とかして止めよう、何とかしてその生き方を変えさせようと懸命につまずかせてくださったと聖書は言います。

 そしてそのつまずきの石とは神の独り子イエス・キリストであったと聖書は言います。イエス・キリストと出会い、このお方の生き方、教え、その十字架の意味を知らされた人々は激しくつまずくことになったと言います。それまでの自分たちの考え方や生き方が間違っていた、神から遠く離れて歩もうとしていたと言うことがはっきりと分るようになったというのです。そして彼らは激しくつまずいたその時から生き方が本当に変えられたと言います。

 神様は今も私たちをつまずかせてくださることがあります。そんなとき、どうぞあなたも神様を見上げてください。そのつまずきは新しい素晴らしい人生への出発点なのかもしれません。

(PBA制作「世の光」2013.1.29放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


****** このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



 
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