花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

時空移動号の冒険⑯チャラ助の活躍

2019年05月08日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

決戦の時はきた!時空移動号から飛び立つチャラ助。な、なんとチャラ助は5名もいた!これがほんとのチャレンジャー!果たしてこの戦いに遠藤平吉はどのように対応できるのか、策はあるのか?

話は変わる。大江戸八百八町を支配する幕府の行政機関といえば、町奉行しかないが、50~60万人という町人がいたのに、奉行所の役人は、南北合わせてわずか350人ほどだった。しかし、町奉行の支配下にある民政組織つまり町役人が、江戸の行政の実務のほとんどを担当し自警組織も設けていた。だから少人数の町奉行所でも事足りていたのだ。

日本橋の岡っ引きだった半七(訂正  神田 三河町)。実は、三河町には半七が21名もいた事実が最近分かったのだ。ハンシチ ニジュウイチ


時空移動号の冒険⑮最終戦争!

2019年05月07日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

「そろそろ、事件の顛末を話さなきゃ いけねぇ」

半八老人は、総会の決算報告書を書きながらつぶやいた。半八老人は、岡っ引きの半七親分の子供で(養子)、日清戦争の頃、たびたび聞かされた半七の活躍を瞼に浮かべながら、懐かしそうに話した。

二十面相の運転する時空移動装置は、遠藤平吉の背後にまで迫っていた。よく見ると、二十面相はすぐそばまで近づいていたのだ。チャラ助主水の丞も飛び回って攻撃の気配をうかがっている。スターは揃った!

危うし!遠藤平吉!ハンパチ(半八)老人は、何を語るのでしょうか? つづく


時空移動号の冒険⑭K-20の世界

2019年05月04日 | レモン色の町

昭和9年は、奇妙な年であった。実業家の村山清八氏が、諏訪公園に誓の御柱と市民壇を寄贈した年だ。日本は不況脱出の手立てとして満州国を設立した。満州事変(昭和6年)・上海事件(昭和7年)と続いた戦火も一旦はおさまり、国民にとってはまことに穏やかともみえる年であった。鉄鋼や石炭など軍需産業の活発化で景気は右肩上がりとなり、石炭業をも営む村山肥料店は、市議会議員となって市の紋章を配した市民壇を諏訪公園に寄贈した。儲かっていたのだ。もっと儲ける為には、満州国の発展が必要不可欠だったのだ。

 

一時的な好況に沸く昭和9年こそ、映画『K-20』の架空の世界と太平洋戦争へ突入していく現実世界との分岐点になったのだ。遠藤平吉は怪人二十面相に戦いを挑むため、帝都 東京の前に立った。折しも、二十面相の時空移動機が飛行、チャラ助主水の丞は遠藤平吉の様子を偵察に出てきている。


時空移動号の冒険⑬カサブランカ

2019年05月03日 | わたくしごと、つまり個人的なこと

1941年12月、親ドイツのヴィシー政権の管理下に置かれたフランス領モロッコの都市カサブランカ。ドイツの侵略によるヨーロッパの戦災を逃れた人の多くは、中立国のポルトガル経由でアメリカへの亡命を図ろうとしていた。

そしてここにも、時空移動号から小型飛行機で離脱した遠藤平吉の姿が見える。彼は、第二次世界大戦の惨状とモロッコの様子をうかがう為、秘かに偵察をしていたのだ。・・・あまりひそかでもないか。

<余談> 映画カサブランカといえば、ハンフリーボガード主演の名作。数年前、振興組合の映画観賞会で取り上げた。この時、お手伝いいただいていたSさんが、5月1日に2年ぶりで当店を訪れてくれた。当時は、北勢地域若者サポートステーションに居た。彼女は1歳半のかわいい女の子と、若いころの曙関みたいな旦那の三人連れだった。随分落ち着いた感じがした。いままでいろんな苦労があったのではと思うと、胸がいっぱいになった。しかし、彼女は三人の生活に満足げだった。今度会うときは子供さんも大きくなっていることだろう。