花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

わが町 諏訪 その2

2024年05月04日 | レモン色の町

さて、日活映画「白夜の妖女」をスマホで検索しようとしていたが せっせとラインをしている自分に気が付いた ギャッ 七十五歳!

ところで「ワシントン広場の世は更けて」という曲をご存じあるか?私にとりましては懐かしいなつかしい音楽でゴザイマス。(クリックして楽しんでください)昭和38年の曲です

ワシントン広場の夜はふけて/ヴィレッジ・ストンパーズ (youtube.com)

話しは戻って『白夜の妖女』は、昭和32年8月13日公開の日活スコープ、総天然色作品です。

原作は泉鏡花の「高野聖」。信濃の山中に迷った旅僧(葉山良二)がたどり着いた人家には、妖艶な美女と知的障害のある小男が二人で住んで居た。僧は一夜の宿を乞うと、その夜、女は僧を岩風呂に案内し、自分も全裸になって僧の背中を流すのだった。この、月岡夢路の美しいこと・・・。

ということで、我が家の写真は昭和32年の夏休み、ということになります。この頃から商店街ではまつり飾りがつくられました。大きなくす玉や笹飾りがアーケード内に下がります。

夏休みに入ると、ちり紙が各店舗に配られました。それを7~8枚ずつ細く折り、真ん中を針金でくくって花のように広げます。それを竹籠に括り付け、色を吹き付けるのです。毎夜、みんなが通りでおしゃべりしながらの作業でした。この花飾りは、翌年からミッキーマウスなどの変形に進化します。

昭和20年代の諏訪前 1番街交差点から北を望む 踏切があるのが遮断機で分かる

それまでは店頭のウィンドウに飾られた“つくりもの”が、道路の真ん中に吊り下げられるようになった。これは、アーケードができたおかげです。昭和32年完成、四日市でも早かった方だと思います?   つづく

三番街側から南方向に見る すごい人に驚かされる 右にツルヤさん 左に太陽堂

同じ方向から見た 夜の諏訪前 アーケードはまだない 昭和30年前後か?家路を急ぐ自転車が通る。

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