花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

市政施行60周年 四日市広報

2020年11月21日 | レモン色の町

書類の整理をしていたら、市政施行60周年を祝う「広報四日市」が出てきた。昭和32年9月24日の発刊である。当時は、近鉄四日市駅が出来て1年経った頃だ。

この広報誌に“商業”というコーナーがあったので紹介する。

四日市は“あきない”の町として出発し、発展してきたのである。港湾を基盤とした工業のすばらしい発展によって、最近は四日市のことを商都という人は少ない。工都としての四日市がはるかに有名だ。しかし商業が衰えたわけではない。あまりにも大きい工業という名の影に隠されたかっこうなのだ。

現在、本市の商業数は約三千六百、月間販売額は約十五億円、従業者数は約一万千人で、いずれも県下一である。

 業種別に見た商店数は、飲食料品小売業が一番多く千三百余、ついでその他の小売業、一般卸売業、織物、衣服、見回品の小売業、飲食店、家具、建具、什器の小売業その他となっている。

 本市中心商店街の形成を見ると戦前の繁華街中町通りは戦後すっかりさびれて、近鉄諏訪駅と国鉄の看板商店街となったが、昨秋 近鉄四日市駅の完成によって最近は同駅を中心に新しい商店街が出来つつある。さらにデパートの出現(四日市近鉄百貨店)も近いようだし、戦後急造のバラック商店もだんだん鉄筋の高層商店へと変わり、名実ともに県下一の商業都市になるのも間近いようだ。

整備途上の中央通り。正面に近鉄四日市駅と工業高校。市役所庁舎とロータリーを挟んで手前国鉄四日市駅前には、稲葉翁の銅像が立つ。諏訪駅西側の線路跡の広がりがよく分かる。

近鉄四日市駅の夜景と共に“交通”の項目があった。

近鉄ストア内の様子が想像できる。左が改札口で手前中央に階段ががあった。エスカレーターはその横だったか?ホームとの並びだったので、スワ百貨店と比べると天井は高かった。改札口を出て左へ向かうと近鉄ストアの食品売り場へ入った。

まず鉄道の歴史をみると明治29年に四日市―草津間に関西鉄道(現国鉄関西線)が開通したのを最初に、同32年には名古屋―湊町間が開通、同43年に三重軌道(現三重交通)大正11年に伊勢電鉄(現近鉄)昭和6年に三岐鉄道がそれぞれ開通し、現在の交通網がほぼ構成された。

 さらに昭和31年9月には市の中心街を通っていた近鉄路線が海山道―川原町間でショート・カットされ、近代的な近鉄四日市駅も完成して、本市70㍍メインストリートの西正面に威容を誇っているが、国鉄四日市駅でも近鉄駅に相対する東正面に移転新築の計画を進めている。貨物輸送面では工業生産の増大に備えるため貨物操作場の設置と列車の増強、路線の複線化が強く要望されている。

 道路面ではわが国最大の動脈である国道1号線、及び同23号線が縦断しているが、1号線はすでに限度以上の車両が通るため、その緩和策として名刺国道の建設が計画されている。これは四日市―名古屋間約40キロに百億円を超える工費で近代的な道路を作ろうというもいのである。