花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

レモン色のまち 第1回

2016年09月10日 | レモン色の町

辻さんが亡くなられて6年ほど経つか?20年ほど前のことですが、辻さんが撮られた写真のことを知り、作品のコピーをお願いした。辻さんは快く了解していただき、その年にスワ前商店街で“昭和レトロ物語”のイベントを行った。

近鉄諏訪駅が解体され、近鉄四日市が出来た昭和32年頃は、街の中心が諏訪新道から1番街へ移行する変化の大きい年だった。写真屋を営んでいた辻さんはカメラを持ってその変化を記録した。

今回“まちゼミ”で辻さんの写真を投影したいと思い立ち、パワーポイントで編集していたらイベントに使った解説があった。拙い、間違いも多い文章ではあるけれどここに再公開させていただきます。写真も再掲載になりますが、ご勘弁ください。

第1回は、諏訪駅廃止となった駅周辺を散策します。

 

昭和三十二年四月。諏訪駅が現在の近鉄四日市駅へ移転した。

 

当時舗装もされていない道を、なんと大勢の人が押し寄せたことか。一階の東海ストアはオープン記念の売り出し中。一階左から、近鉄観光と事務所。真ん中に改札口があって、北半分が食品売り場。エスカレーターで二階へ上がると売り場の南側には食堂があった。お子様ランチに胸をときめかせた。

はじめは家族と訪れたが、すぐ一人で行くようになる。おもちゃを買うのにいつまでも迷った。ポケットの中の百円札を握りしめて。

 

昭和三十年頃の四日市諏訪駅。東海道筋にあった諏訪駅は、戦後現在のパチンコホームランの辺りに移された。国鉄四日市駅から出た近鉄電車は諏訪駅を通り、ここから北へカーブして名古屋へと向かっていた。ホームの南には三岐鉄道が入っている。ちょうど内部・八王子方面へ向かう電車が停まっているところだ。

諏訪駅がここにあったのは、わずか十年ほどということになる。線路をまたいだ北側にも改札口があった。左に諏訪百貨店が建つ。雨の中の諏訪駅。貴重な写真だ。一雨ごとに季節は秋へと向かう。

 

昭和三十年六月八日。当時一番街中央にあった諏訪駅から東を見た写真。駅移転の話が巷の話題になっている頃。諏訪駅を降りると右に諏訪百貨店、左が駐輪場だった。正面に大きな映画館の看板が並んでいる。弥生館には志村喬、諏訪劇場には菅原謙二の顔が描かれている。映画は当時唯一の娯楽で、二本立て

 

や三本立てが普通。内容は毎週変わった。

右へ行くと諏訪劇場、左が国鉄四日市へ向かう線路が通っていた。まっすぐ進むと三泗百貨店。駅の移転をきっかけにこのあたりも大きく変わることになる。 つづく