ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

万年筆

2007-01-31 15:32:07 | シホのホ(雑記帳)
昨夜の中華書局の方たちがお土産に『三清書屋 筆』(中華書局)という図録をくださった。公森仁さんという日本の書道家が中国で収集した毛筆を紹介したものだ。一本一本にその毛筆の歴史が感じられて、味わい深い。

ふと思い出したのは万年筆のことだ。
私は万年筆が好きだ。だからといって収集するほどの財力も趣味もないのだけれど、手紙を書くときに万年筆を取り出してインクを確認して、相手のことを想い出しながら書いていると、なんだかとっても贅沢な時間を過ごしている気分になる。
昨年、両親が博士号のお祝いに万年筆ペリカンM600を買ってくれた。一本目のボディーは渋く黒にした。明らかにこれまで使っていたものとは書き味が違った!これは幸か不幸か、もう値段を落とせなくなってしまった。

それで私は一年に一本、自分に万年筆を買おうと決めた。アクセサリーには全く興味がないので、これくらいの贅沢は許してもらえるだろう。実はもうさんざん見て歩いていて、欲しい一本は決まっている。あとはエイヤッと買うだけなのだけれど、その一歩が主婦なのでいけない。もうちょっとどっかで安くないかなあなんて思ってみたりしている。
そんなこと言っている間に今日で一月が終わってしまう。いけない!もう買うぞ!と思っているところです。

『中華遺産』(中華書局)に徐福

2007-01-31 12:30:26 | 徐福伝説
中国で発行されている雑誌『中華遺産』(ISSN1672-8971・中華書局)で、「徐福の故郷」江蘇省連雲港市贛楡県が取り上げられることになり、ここ2週間ほど、渡来伝承地として取材先の日本国内の各伝承地の関係者と打ち合わせに明け暮れています。

ハードな来日スケジュールの中、「想定外」のことがどんどん飛び出し、昨日は午前中に和歌山県新宮市で取材をしていたのですが、急遽、午後は波田須で取材ということになりました。私は愛知からY波田須区長にSOSを出しました。ところが既に仕事で外に出ていらっしゃる。そこで徐福茶屋を到着時間にあわせて開けていただいて、そこを目印に来るよう指示し、M前波田須区長に電話し、案内をお願いしました。
なんて勝手な話!でもそんな急な話にMさんは「あいよ!」と快く返事下さいました。そして無事に取材は波田須でも行われました。感謝!!

その後、取材班は名古屋へ。中華書局の方たちを案内する団長は中国・連雲港市徐福研究所長Zさん。このブログをこまめに読んでくださっている方ならご存知の、私の本場餃子修行の師匠宅のZさんです。
名古屋でお会いするのは初めてだったので、今夜は名古屋の味を!と張り切ってお財布にたくさん(嘘!)お金を入れていったのですが、Zさんたちはホテル着までの間に食事を済ましていて、というか、そんな暢気な状態ではなく、明日以降のスケジュール確認に必死の時間を過ごしました。再会の喜びもつかの間、ホテルでひたすら各地と連絡を取り合い、その姿は即席秘書でした。

なぜそんなことになっているのかというと、今回は取材旅行ということで既に手配された旅行社が作っているスケジュールが先にあり、でも各地では歓迎の宴や市長等への表敬訪問がある。旅行社はこのような計画までは手が出ないわけです。

来日が予定日から遅れたこともあって、各地の方と「どうなってるんだあ」と連絡をとり、数日前から取材班を各地で受け渡していく中で、新宮のSさんが「なんか徐福のネットワーク、できてきとるやないですか(=できてきているではないですか)」とおっしゃいました。確かに人と人の間を取材班が渡っているのです。
今朝、取材班は東京へ。私はその後の韓国での日程確認をするために国際電話。そして連絡。ネットワークは海を渡っても続きます。

日中韓の徐福文献に関する原稿分担執筆の依頼を受け、私からもいくつかの近況報告を済ませ、Zさんと別れました。今度は名古屋の味をゆっくり食べにきてくださいね。
一路平安!彼らの取材旅行は続きます。

神門土産

2007-01-29 23:40:46 | 百済王伝説
故郷に帰ると、行きは手ぶらなのに帰りはたくさんの荷物を抱えていることが多いですね。そう考えると私にとって神門(みかど)はもう一つの故郷になってしまったような気がします。

今回もまたたくさんの土産を持たせていただきました。ダンボール箱一杯の、たたくと金属音のするもったいないような炭。そして地元の1キロもの干し椎茸、生活・仕事の一部を分けてくださるそのときに、とても嬉しい言葉をかけていただきました。「シホさんは写真や手紙を俺たち一人一人に送ってくれる。上手いこと返事は書けないけれど、何かお返ししたいと思ってね。」
調査から帰ったら礼状を出すことはごくごく当たり前のことですが、こうしてその礼状をあたり前ではなくあたたかい気持ちで受け取ってくださり、次の祭りの時期に「また来るかなあ」なんて思い出してくださる。本当にありがたいことです。
今年で5年目の祭りでした。「まだ5年だった?」、「師走祭りにシホさんがいるのが当たり前になってきたね」、そんな風にも言っていただきました。
繰り返し共に祭りを過ごしていく中で気づく変化や心持ち、そんな細かな部分を記述していく中で生かしていければと思います。
神門土産、それはやはりみなさんの顔・顔・顔でした。

サホ・デー

2007-01-29 23:11:45 | シホのホ(雑記帳)
昨夜、宮崎から帰宅しました。
娘サホ(小5)も息子ワタル(中1)も留守宅の家事をかなり頑張ったらしく誇らしげ。
ご要望どおりのチキン南蛮・炭火地鶏・宮崎ラーメン、そして空港で実演販売しているネリクリやカライモ団子など、宮崎尽くしを抱えて帰りました。

そんな私を待っていたのは、写真のサホ特製わらび餅。帰宅した昨日は休日の授業参観で親子教室があり、サホはパパ・サトルとお菓子作り教室に参加し、その場で全ては食べずに家族分をしっかりキープしてきたのでした。
冷蔵庫で冷やしておいてくれた分、ひんやりとしてとっても美味しかったです。

その授業参観でサホは本日代休。お留守番の御褒美に二人で名古屋に出かけ、服を買ったり雑貨を買ったり、二人で美味しいランチを食べたり。本屋で二人とももうくたくたになり帰宅しました。
ワタルには大好物の生クリームたっぷりクレープをお土産にしました。
留守番の御褒美はケチってはいけません。二人の頑張りに大いに感謝し、美味しいものでお礼の気持ちを表現する。それが恒例です。