ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

名古屋市博物館特別展「中国 王朝の至宝」、それから

2013-05-19 20:48:54 | シホのホ(雑記帳)
今日は休日。名古屋市博物館の特別展「中国 王朝の至宝」に出かけた。
日中国交正常化40周年記念の企画だそうで、
夏から宋までの中国王朝の都・中心地域に焦点をあてて、
それぞれの地域の代表的な文物(展示の約60%が一級文物!)を対比しながらの展示、
昨年秋から東京・神戸で開催され、いま名古屋に来ている。

毎度思うことなのだけれど、紀元前12世紀って、いったい日本はその頃どんなだったのだろう?
徐福伝説を語る時に「遥か2200年前」と、無意識に「遥か」と言ってしまうけれど、
この時点でもう日本の感覚なのだと気付くのだ。

展示内容からして、行ってよかった!
でもそれだけでなく、こんなにたくさんの人が
休日に中国の展示に興味を持って足を運んできていることにホッとした。

なんだか昨年秋以降、日中間のやりとりが上手く進まず、
それは個人的に不愉快な思いをしているわけではないのだけれど、
9月の国際大会開催が直前に流れてしまってからというもの、
今もその企画が再び立ち上がらないことから、
なんとなくガッカリ感がどこかあるのだ。

それでもこうしてたくさんの人が中国の文物をみて
感嘆の声を上げて見入っている姿を見ると
今のこの状態に流されていたのは私かな?という気もした。
是非みなさま本物を見に行ってください。

日中国交正常化40周年
特別展 中国 王朝の至宝

2013年4月24日(水)~6月23日(日)
名古屋市博物館

・・・・・・・・・・・・・・・
それから名古屋市博物館の向かい側に建つ古本屋「一二三館書店」(瑞穂通店)に行く。
これはお決まりのコース。

お昼を食べて帰ろうと周辺をうろうろしたら「韓国の家」(名古屋市瑞穂区瑞穂通1-20)という
韓国料理店を発見。
美味しいというのは人を幸せにしますね。

帰りにずっと気になっていたこれも博物館のすぐそば、
地下鉄で博物館に行った人だったらああというだろう「三友軒」の焼シュウマイを購入。
見た目は焼き餃子だけれど、シュウマイだということだからシュウマイということで。
ここはテイクアウト専門店。初めてなので焼き方も教わった。

大満足で帰宅、今夜はつれいあいの作るジャージャー麺と焼シュウマイ。

ビールが一層美味しい夕食となりました。
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きゃりーぱみゅぱみゅーじあむ

2013-05-18 00:05:48 | シホのホ(雑記帳)
中間考査最終日のサホ。「おかあさん一緒に行かない?」
なんでも私も行きたいという友だちがいないとのこと。
「きゃりーぱみゅぱみゅーじあむ」、早い話が衣装展なのだけれど、
いまどきのそれも世界発信をしている”きゃりーぱみゅぱみゅ”の魅力はどこに?というわけで
サホにつき合って、久々に名古屋栄のパルコギャラリーまで出かけた。

全国で3ヶ所目の名古屋、これはすごい列なのかな?と覚悟していったけれど、
タイミングが良かったのか2日目の今日、すんなり入ることができ、
触れるくらいに至近距離にあるので結構楽しめた。
楽しめたというのも、撮影厳禁なんていわれそうなのに、
衣装を覗き込むと、隣にスマホ用のカメラ窓が開いていて、
良い写真が撮れるようになっている。

サホはもう大喜びだった。
きたる体育祭の衣装参考にもしている模様。

それから久しぶりにパルコをちょっとまわって、ラシックに入っているHarbsのケーキを食べて、
最後は愛知県美術館のスーベニアショップに行って、
とまあ一日楽しく遊んだ。

サホがいなきゃ知らなかった世界。
10歳くらい若返りました。



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杜甫は忙しい(杜甫很忙)

2013-05-17 00:04:41 | シホのホ(雑記帳)
昨日5月15日の朝日新聞に「杜甫、流行語で復活」という記事があった。
北京で若い世代が「先週は杜甫なみに忙しかったよ」などと杜甫は忙しいを流行語にしているという。
「発端は、だれか中国の学生が描いたイラストらしい」と記事にあるので
どんなイラストだろうと検索してみたらすぐに見つかった。

でもこれは新聞記事の説明不足のように思う。
「中国の学生が描いたイラスト」というのではなく、
誰もが描く教科書の人物絵に髭を描いたり眼鏡を描いたりして遊ぶ落書き、
その中国バージョンはすごいぞ!だった。
杜甫がなぜ「忙しい」になるのかというと
杜甫のちょっと遠くを見つめて佇む姿のイラストは余白もふんだんにあって
いくらでも描き加えられるからだ。
バスケットゴールを見つめる選手にもなるし、バイクにも乗れるし、ドラゴンボールにもなれる。
初音ミクになっているものもあった。詩をパソコンで書いてる姿も。

新聞記事は現代中国では唐詩を熱心に学ぶ環境に無いことを記していたが、
ここはそんなことよりも、中国の教科書の落書きが「杜甫は忙しい」になることだけで
本当に面白いなあと思うのでした。
みなさんも「杜甫は忙しい」、中国語では「杜甫很忙」、
検索してみてください。笑えます!
なぜか私たちがすぐ描く眼鏡と髭は無かったのも面白い。
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春の夜にエンヤを聴く

2013-05-15 23:32:31 | シホのホ(雑記帳)
このところ急に暑くなったからなのか、晩になるとぐったりして仕事ができない。
「春眠暁を覚えず」だからかな?ってなんでもかんでもいつまでも春のせいにしていたら
さすがに今年使っている旧暦カレンダーはもう今日5月15日は旧暦で4月6日で「竹笋生(たけのこしょうず)」、
次の季節に入っているのですね。

よし!ここは眠い目をこすってもやらねばならないことはやっておこう、と机に向かう。
今日買ったペットボトルについていたタグが目について読み始める。
スマホで音楽聴き放題のアプリにアクセスしなさいと書いてある。
これはいいサービスだと早速ダウンロード。
生年月日を入れたらこの年齢が好みそうな音楽があれこれでてきた。
「エンヤ」があって懐かしくて迷わず聴き始めた。
とっても幸せな気分になって、ヨシ!やろうという気持ちになってきた。

エンヤには思い出がある。
高校時代から、あれは何年間続いただろうか?
幼なじみの音楽好きのY君がカセットテープにいろんな曲を入れて定期的に送ってくれていたのだ。
事務用封筒にカセットテープが入っていて、薄い紙に曲名がわーっと並んでいるだけの味気なさだけれど、
いろんなアーチストのいろんな曲を聴くことができて
そのどれもを私は知らなくて、エンヤもそうして聴いた一人だ。
あれは思い出してもかなり最高ランクのプレゼントだった。
本当にありがとうございました!(いまさらですが)

なんてあれこれと思い出しながらエンヤを聴く。

気付いたら、やる気になったといいながらブログを書いていた。
この寄り道がいけない。
よし、もう一仕事、エンヤを聴きながら頑張ります。



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東海日中関係学会新理事になって思うこと

2013-05-12 15:47:02 | 徐福伝説
昨日5月11日、愛知大学名古屋キャンパス(名古屋駅から徒歩10分!)で
日中関係学会全国大会がありました。

ほるほる(2013年5月6日)にも書きましたが、この学会の面白いのは、
これまで、そしていま現在、日中関係に様々な角度から関わる方々が集まり、
それぞれの立場から意見を自由に言い合える、研究と実践の集まりであるところです。
そこに共通しているのは、口に出してはいわないけれど、中国が好きという思いのような気がします。
それはどの方と話していても、ひしひしと伝わってきました。
だからこそ、日中国交正常化(1972年)以後、最悪のいまを
なんとか変えていかなくてはならない、そんな声も懇親会のあちこちで聞かれました。

私は今回、東海日中関係学会の新理事に承認されました。
一緒に理事になった方は地元新聞社経済部長で長年中国支局でご活躍なさっていた方や
地元大学の要職にある方です。
どう考えても私はまだ経験も浅く、中国研究の専門家でもありません。
自分にできるだろうかという不安もありましたが、
徐福伝説研究を通して、日中の歴史文化交流を続けてきたこと、
その経験を生かして、これからの学会に新しい風をと呼んでいただけたことは
これまでをどこかで見ていてくださった方があること、
もうそろそろしてもらうばかりではなく、自分ができることを始めなさいと言っていただいていることと受けとめることにしました。

今日は全国大会でしたので、東海日中関係学会総会のあとは全国大会理事会、総会と続きました。
今後は日中関係学会の評議員もつとめることになるそうです。

そのあと、公開研究会の御講演は徐静波さん(中国経済新聞編集長・アジア通信社社長)、
「習近平新体制と日中関係の再認識」は同世代の講演者が、
これだけ奔走していることに大いに刺激を受けました。
そして内容だけでなく、話の中で、改めて中国の大きさを感じました。
例えば徐静波さんのブログは日々40万人に読まれ、
今日の講演についても5万人が注目していると言います。
桁が違う、というときの桁が1つや2つでは埋まらない違いです。
農業についても、中国での農業従事者は2億8000万人とのこと、
いかに自分の日々の物差しが、目の前の経験だけで出来上がっているかが分かりました。

日中関係学会HPで、私は「徐福東海」という連載をしています。
これまで見えない読者に向かって書いていましたが
今日の全国大会で、「読んでますよ」と話しかけてくださる方も何人もあって、
中には私の知らない中国の徐福像の話も聞けて、
やっと誰に向かって書いているのかを知ることができ、
ちょっとここ数ヶ月、徐福に関しては日中間の進展がなく途絶えていましたが
だからこそ書いていこうという気持ちにもなれました。

長くなりましたが、最後に、
今回、東海日中関係学会会長から新理事についてお話しをいただいた時、
鮮やかによみがえってきた風景がありました。
それは1987年の中国、まだ戦後外国人が入ることが許されない地域がある頃でした。
初めて戦後外国人が入ることを許可され、
警察官と一緒に入った江蘇省の田舎の村でのことです。
20人ほどの学生の日中友好のための訪中団で行っていました。
その晩、地元の映画館に招かれ、満席の映画館で一緒に
「将軍と孤女」という中国残留孤児の映画を見ました。
20歳の私は、この地で日本軍が何をしたかを聞いた日の晩だったこともあって
ただただ涙がこぼれました。
その時、連れてきてくださった地元政府の方に向かって
私は大学で勉強したての中国語で、「いつか日中友好のために働きたい」と
涙ながらに話したことがありました。

あれから25年です。まだまだ「働く」というところまではいきませんが、
あの時必死になって何か自分もしなくてはと思ったことがよみがえってきます。
あれから多くの日中交流に尽力してきた先輩方と知り合うことができました。
そしてようやくあのときの想いを実現する機会が少しずつ目の前に広がってきたように思います。

みなさん、どうぞ応援ください。
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