ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
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逵(つじ)志保のページです

伊根の徐福さんに会ってきました

2011-02-09 00:11:06 | 徐福伝説
2011年2月6日、京都府与謝郡伊根町の新井集会所において、京都府地域力再生プロジェクト支援事業として丹後徐福研究会主催で「徐福は生きている‐徐福伝承地を事例として‐」と題した講演をおこなってきました。事前に京都新聞や町内放送の告知もあったようで、丹後半島の北端でもともとは新井の数十軒の方々にと企画したものだったようですが、隣町の語り部の会の方や京丹後市の観光協会の方が地域全体を把握しようと出かけてくださいました。
 今回私が依頼されたのは、地元伊根の徐福ことは知っているけれど、他の伝承地のことを知らない。日本・中国・韓国に伝承地があってどのような状況かを話して欲しいとのことでしたので、プロジェクターを持って出かけました。
 
 さて、演題も含めて丹後徐福研究会が県からの支援を獲得することができたのは、会長でありこの地域で30年にもわたって徐福研究を続けて来た石倉さんの物心両面に渡る尽力があったからに他なりません。そこで、30年前に徐福研究を始めるきっかけになったできごとについて尋ねてみました。 
 30年前、それは和歌山県新宮市の郷土史家・奥野さんが伊根の徐福を訪ねてきたところにさかのぼるといいます。当時、商工会にいた石倉さんはそのとき初めて全国に徐福伝承があることを知ったと言います。それまで当然氏神である新井崎神社の徐福のことは知っていたけれど、まさか伊根以外に徐福の伝承があるなんて思いもしなかったと言います。
 その後、石倉さんが商工会にいた昭和63(1988)年までの18年間の間に、石倉さんは蓬ドリンクや温泉の粉などの商品化を手がけました。これまでそれら商品を入手はしていましたが(現在製造はしていない)、まさか企画者が石倉さんだったとは知りませんでした。また、今回、講演で三重県熊野市波田須の徐福神社の合祀にも触れたことで、思い出したと徐福が祀られている新井崎神社の話も聞かせていただくことができました。

おまけ
今回、以前お話しした中国留学生と一緒に出かけました。初の温泉旅館に、床の間に、活き造りに驚き連続の彼女といるとなんだか自分がもう一度当たり前になったことを振り返ることができてとても勉強になったし、何より楽しかった!
もちろん私が支払うつもりでいた彼女の宿泊費。今回、石倉さんが留学生の分を出すと譲らない。これは違うと言ったのだけれど、「2200年前の徐福さんが連れてきた童男童女へのお礼だから」と言い返されました。そういえば中国の子どもたちに学資支援もしていらっしゃった。こういう方が徐福伝説を語り続けてきたのだなと改めておもいました。謝謝!


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2 コメント

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Unknown (kagome1248)
2022-05-24 10:28:19
徐福の墓は丹後半島の太鼓山の東南東464mの地点にあります。 これは空海コードで特定することができました。
徐福の墓は、巨大な地下神殿の様相です。
これも私が作った空洞探査器で知ることができました。
入口の場所も特定しましたが、地元の方々の協力が必要と思っています。
https://blog.goo.ne.jp/kagome1248/s/%E5%BE%90%E7%A6%8F%E3%81%AE%E5%A2%93
丹後半島、または近隣の方で徐福の墓の立証に熱心な方でご協力いただける方をご存じありませんでしょうか。
もうこの情報を表に出すことが急務であるように思う私です。
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Unknown ()
2022-05-24 13:07:44
記事に書きました石倉さんはお亡くなりになってしまいました。お力になれずすいません。
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