日本日中関係学会のHPには、
「徐福東海」(徐福を通しての日中交流)という私のコーナーがあります。(会員のみの非公開ページ)
昨年はたった3回しか更新することができませんでしたが、
今年はもう少しこまめに更新していきたいと思っています。
また、これまで私が徐福を縁に出会った方々に向けて、
徐福にまつわるお知らせや想いを勝手に送りつけている私通信があります。
こちらは諸連絡のやりとりもあり、双方向になっている部分もありますが、
もっと広く徐福にまつわる話をお知らせしたいと思い、
ここにも一部の方に知らせている徐福にまつわる便りを掲載しておきたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もうすぐ旧暦の新年ですね。江戸時代後期の医師・橘南谿は、紀行文『西遊記』の中で熊野に伝わる徐福伝説に触れ、古老の語る言い伝えとして、十二月晦日に徐福は波田須の磯に着船したと書き留めています。徐福は今日のような寒い冬の海を命がけで渡ってきたのでしょうか。
昨年2013年11月、その三重県熊野市で、講演会「現在の徐福をとおして理解できる日中関係と徐福について」(熊野市文化交流センター)を行いました。この演題は熊野市から出されたものでした。
これまで徐福伝説に関してはあちこちでお話しする機会をいただいてきましたが、日中関係がこのままではいけないと多くの人が認識するいま、その中国との関係を徐福という視点から見てみたいという要望は、私自身、いま自分に何が求められているのかを知る良い機会になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/7c/0ae474a4bd4a8315c585b263ea025694.jpg)
12月、韓国済州島西帰浦市で、済州徐福文化国際交流協会主催の第12回徐福文化東亜細亜学術大会が「韓・中・日 不老草の真実究明と文化交流の可能性」をテーマに行われ、座長として招聘いただき、ごく一部ではありますが一年振りに中韓の徐福関係者と再会することができました。
済州徐福文化国際交流協会は役員選挙によって人が変わり、新たな会長は戦争歴史平和博物館館長・李英根さん。彼は日韓の平和への想い強く、済州島にはかつて日本軍が作った地下要塞があるのですが、その要塞跡を私費で保存し博物館にした方です。
大会前日26日に、日本では安倍首相の靖国参拝があり、済州島内でもニュースでくり返しその様子を報道していました。2012年9月、中国で一斉に日中交流行事が中止された時に、中国でその状況に居合わせていた私は、また何かが起こるのではないかと心配しましたが、翌日27日の大会は誰もそのことに触れること無く進められました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/93/2152a04d9a56d878ae85082335d8f1a5.jpg)
【済州島 徐福展示館にて】「徐福公園」の揮毫は温家宝首相(2007年当時)。現役時代は揮毫を引き受けなかったという彼が、唯一「徐福公園」だけは揮毫したとして紹介されている。
昨年、この時期に中国徐福会より徐福文化貢献賞と徐福文化研究論文賞会長賞(特別賞)をいただいたのですが(告知のみ。2012年9月の大会が延期になり、まだ表彰いただく場がないままです。)、今回、山東省龍口市からいらしていた中国国際徐福文化交流協会の曲玉維秘書長が、済州島で会えるということがわかると、「徐福文化研究特別貢献賞」の証書を持ってきてくださいました。そこには徐福研究と国際徐福文化交流において卓越した貢献をしたと記されています。2011年のものですので、それからお会いできないまま今日まで来ていたのでした。これだけは持って行ってやろうと大きな荷物と一緒に持ってきてくださったのでした。まだまだこうしたものをいただくのは早いことは十分認識していますが、中国の徐福関係者のみなさんからのエールと思い、有り難くいただくことにしました。
そして年が明け、2014年1月、三重歴史研究会の新春講演会にお招きいただき、「徐福伝説-熊野市波田須「徐福の杜」-」と題して、三重歴史研究会ですから熊野の話をたっぷりさせていただきました。会場は四日市市立博物館。
実は波田須の徐福伝承には四日市の人物が関係していることがわかっていたのですが、今日まで調査の糸口がつかめず、そのままになっていた部分がありました。「今日、四日市でお話しすることで何か分かれば良いのですが」と途中触れておいたところ、講演後、お聞きくださっていた博物館長・谷岡経津子様より貴重な情報をいただきました。また会場からも知らなかった事実をお聞きすることができ、久しぶりに徐福の調査が一歩前に進む実感を得ました。
早いうちに調査し、3月17日には東京日本橋の三重テラス(三重県物産館)で熊野の徐福について講演することになっていますので、その時に披露できればと思います。
それでは日本の徐福伝承地から入った情報を。
福岡県八女市山内では、今年も1月20日に「童男山ふすべ」が行われました。新たに山梨県富士吉田の富士山徐福学会から次のような案内がきています。
富士山徐福ライブフェスティバル
日時:2014年2月7日(金)19:00~22:00
場所:富士吉田市下吉田3-16-22 フォーク酒場ジュゲム
会費 1000円(飲み物代金別途)
問合せ先 伊藤 進 rnndg808@ybb.ne.jp
佐賀県の佐賀県徐福会からは、「徐福東渡2225周記念 徐福長寿館開館20周年記念[徐福論文]募集」の案内が届いています。最優秀賞金20万円、最優秀論文は月刊誌『歴史読本』((株)KADOKAWA)に論文要約を掲載、また2015年5月に佐賀市で開催予定の「佐賀徐福国際フォーラム」(仮)において発表の場を設けるとのことです。
徐福長寿館開館20周年記念[徐福論文]募集
テーマ:「徐福の日本渡来に関する科学的研究」
分野:考古学、歴史学、自然人類学、形質人類学、育種学、航海学、遺伝学など。
審査委員長:高島忠平(学校法人旭学園理事長、NPO法人佐賀県徐福会副理事長)
審査委員:金関 恕(天理大学名誉教授、元大阪府立弥生文化博物館館長)
西谷 正(九州大学名誉教授、九州歴史資料館名誉館長、)
締切日:2014年11月30日(日)必着
問合せ先:詳細はNPO法人佐賀県徐福会 澤野 隆までjofuku_saga@yahoo.co.jp
このように日本各地も徐福は動き始めています。それはきっと中国でも韓国でもそうでしょう。2014年、私もまた徐福とともに動き始める年にしたいと考えています。
末尾になりましたが、昨秋、新宮の鈴木秀様、今月「童男山ふすべ」直前に、八女の馬渡俊郎様がお亡くなりになりました。おふたりともそれぞれの地域で精力的に徐福に取り組んでいらした方でしたので、その地にもういらっしゃらないということがまだ信じられません。ご冥福をお祈りいたします。
「徐福東海」(徐福を通しての日中交流)という私のコーナーがあります。(会員のみの非公開ページ)
昨年はたった3回しか更新することができませんでしたが、
今年はもう少しこまめに更新していきたいと思っています。
また、これまで私が徐福を縁に出会った方々に向けて、
徐福にまつわるお知らせや想いを勝手に送りつけている私通信があります。
こちらは諸連絡のやりとりもあり、双方向になっている部分もありますが、
もっと広く徐福にまつわる話をお知らせしたいと思い、
ここにも一部の方に知らせている徐福にまつわる便りを掲載しておきたいと思います。
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もうすぐ旧暦の新年ですね。江戸時代後期の医師・橘南谿は、紀行文『西遊記』の中で熊野に伝わる徐福伝説に触れ、古老の語る言い伝えとして、十二月晦日に徐福は波田須の磯に着船したと書き留めています。徐福は今日のような寒い冬の海を命がけで渡ってきたのでしょうか。
昨年2013年11月、その三重県熊野市で、講演会「現在の徐福をとおして理解できる日中関係と徐福について」(熊野市文化交流センター)を行いました。この演題は熊野市から出されたものでした。
これまで徐福伝説に関してはあちこちでお話しする機会をいただいてきましたが、日中関係がこのままではいけないと多くの人が認識するいま、その中国との関係を徐福という視点から見てみたいという要望は、私自身、いま自分に何が求められているのかを知る良い機会になりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/7c/0ae474a4bd4a8315c585b263ea025694.jpg)
12月、韓国済州島西帰浦市で、済州徐福文化国際交流協会主催の第12回徐福文化東亜細亜学術大会が「韓・中・日 不老草の真実究明と文化交流の可能性」をテーマに行われ、座長として招聘いただき、ごく一部ではありますが一年振りに中韓の徐福関係者と再会することができました。
済州徐福文化国際交流協会は役員選挙によって人が変わり、新たな会長は戦争歴史平和博物館館長・李英根さん。彼は日韓の平和への想い強く、済州島にはかつて日本軍が作った地下要塞があるのですが、その要塞跡を私費で保存し博物館にした方です。
大会前日26日に、日本では安倍首相の靖国参拝があり、済州島内でもニュースでくり返しその様子を報道していました。2012年9月、中国で一斉に日中交流行事が中止された時に、中国でその状況に居合わせていた私は、また何かが起こるのではないかと心配しましたが、翌日27日の大会は誰もそのことに触れること無く進められました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/93/2152a04d9a56d878ae85082335d8f1a5.jpg)
【済州島 徐福展示館にて】「徐福公園」の揮毫は温家宝首相(2007年当時)。現役時代は揮毫を引き受けなかったという彼が、唯一「徐福公園」だけは揮毫したとして紹介されている。
昨年、この時期に中国徐福会より徐福文化貢献賞と徐福文化研究論文賞会長賞(特別賞)をいただいたのですが(告知のみ。2012年9月の大会が延期になり、まだ表彰いただく場がないままです。)、今回、山東省龍口市からいらしていた中国国際徐福文化交流協会の曲玉維秘書長が、済州島で会えるということがわかると、「徐福文化研究特別貢献賞」の証書を持ってきてくださいました。そこには徐福研究と国際徐福文化交流において卓越した貢献をしたと記されています。2011年のものですので、それからお会いできないまま今日まで来ていたのでした。これだけは持って行ってやろうと大きな荷物と一緒に持ってきてくださったのでした。まだまだこうしたものをいただくのは早いことは十分認識していますが、中国の徐福関係者のみなさんからのエールと思い、有り難くいただくことにしました。
そして年が明け、2014年1月、三重歴史研究会の新春講演会にお招きいただき、「徐福伝説-熊野市波田須「徐福の杜」-」と題して、三重歴史研究会ですから熊野の話をたっぷりさせていただきました。会場は四日市市立博物館。
実は波田須の徐福伝承には四日市の人物が関係していることがわかっていたのですが、今日まで調査の糸口がつかめず、そのままになっていた部分がありました。「今日、四日市でお話しすることで何か分かれば良いのですが」と途中触れておいたところ、講演後、お聞きくださっていた博物館長・谷岡経津子様より貴重な情報をいただきました。また会場からも知らなかった事実をお聞きすることができ、久しぶりに徐福の調査が一歩前に進む実感を得ました。
早いうちに調査し、3月17日には東京日本橋の三重テラス(三重県物産館)で熊野の徐福について講演することになっていますので、その時に披露できればと思います。
それでは日本の徐福伝承地から入った情報を。
福岡県八女市山内では、今年も1月20日に「童男山ふすべ」が行われました。新たに山梨県富士吉田の富士山徐福学会から次のような案内がきています。
富士山徐福ライブフェスティバル
日時:2014年2月7日(金)19:00~22:00
場所:富士吉田市下吉田3-16-22 フォーク酒場ジュゲム
会費 1000円(飲み物代金別途)
問合せ先 伊藤 進 rnndg808@ybb.ne.jp
佐賀県の佐賀県徐福会からは、「徐福東渡2225周記念 徐福長寿館開館20周年記念[徐福論文]募集」の案内が届いています。最優秀賞金20万円、最優秀論文は月刊誌『歴史読本』((株)KADOKAWA)に論文要約を掲載、また2015年5月に佐賀市で開催予定の「佐賀徐福国際フォーラム」(仮)において発表の場を設けるとのことです。
徐福長寿館開館20周年記念[徐福論文]募集
テーマ:「徐福の日本渡来に関する科学的研究」
分野:考古学、歴史学、自然人類学、形質人類学、育種学、航海学、遺伝学など。
審査委員長:高島忠平(学校法人旭学園理事長、NPO法人佐賀県徐福会副理事長)
審査委員:金関 恕(天理大学名誉教授、元大阪府立弥生文化博物館館長)
西谷 正(九州大学名誉教授、九州歴史資料館名誉館長、)
締切日:2014年11月30日(日)必着
問合せ先:詳細はNPO法人佐賀県徐福会 澤野 隆までjofuku_saga@yahoo.co.jp
このように日本各地も徐福は動き始めています。それはきっと中国でも韓国でもそうでしょう。2014年、私もまた徐福とともに動き始める年にしたいと考えています。
末尾になりましたが、昨秋、新宮の鈴木秀様、今月「童男山ふすべ」直前に、八女の馬渡俊郎様がお亡くなりになりました。おふたりともそれぞれの地域で精力的に徐福に取り組んでいらした方でしたので、その地にもういらっしゃらないということがまだ信じられません。ご冥福をお祈りいたします。