ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

「天意」…言葉の往来

2007-05-31 20:13:47 | シホのホ(雑記帳)
先日、北京で友人が「天意」という言葉を教えてくれました。
日本にもその言葉はないわけではないのですが、そして日頃なら「天」なんてねえといったところなのですが、そのときはしっくりと分かった気がしました。

帰国して数日、今回の訪中の目的であった龍口のイベントの実行委員長にあたるQさんから、お母さまが亡くなったという知らせが届きました。
80歳のお母さまは息子のイベントが終わるのを待っていてくれたかのように、大会の最後まで息を保ち、全てのお客さんを見送って家に帰って間もなく亡くなったということでした。
お母さまへの思いが綴られた玉稿には、意識があったかどうか分からないけれど、生きているうちに母の前に出版した本を差し出すことができたことが綴られていました。

中国語はわからない私ですが、なぜかこのときだけはすらすらと読めて、インターネットの翻訳機能を用いて急いで返信しました。
私は中国で「天意」という言葉を知りました。まさにお母さまが息子の成功を見届けるまで、天意が命を引き伸ばしてくれたのではないでしょうかと。

恥ずかしいことに、翌日第二稿が届き、その私からの拙文がその随想に入れられていました。

一つの言葉を得て海を渡り、再びその言葉を海の向こうに贈る。
なんだか不思議な経験でした。
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2007年6月3日 第6回百済武寧王生誕祭が開催されます

2007-05-31 19:59:47 | 百済王伝説
nickさんからいただいたコメントで、告知していなかったことを思い出しました。

2007年6月3日 第6回百済武寧王生誕祭が加唐島(佐賀県唐津市鎮西町)で開催されます。
問い合わせ
→武寧王交流唐津市実行委員会 tel 0955-51-1052
→加唐島斯麻王会 tel 0955-82-9366

2004年夏に家族で出かけた後は2005年の武寧王生誕祭、そして2006年の百済武寧王生誕記念碑除幕式と生誕祭と参加させていただき、加唐島のみなさんに大変よくしていただきました。
また生誕祭をともに盛り上げていこうと毎年生誕祭に大勢の百済の古都・韓国忠清南道公州市の方々がいらっしゃるのですが、昨秋はその公州市へも出かけ、そちらでも本当に親切にしていただきました。

ですから是非とも駆けつけたい気持ちでいたのですが、今回は別用が入ってしまい、伺うことができません。
加唐島のみなさんとたくさん飲んで、たくさん海の幸をいただく。
あの楽しみが今年はできないのかと思うと残念でなりません。
加唐島斯麻王会(島で作っている実行委員会)のN里さんからお電話をいただき、後ろ髪引かれながら行けないんですといいました。

今日、祝電を送りました。みなさん覚えていてくださるかなあ?
(と書いているところに電報会社から電話あり。離島は船着場まで電報を取りに来ていただくんですね。よろしくお願いします。)

今年は残念ながら参加することができませんが、是非またみなさんと新鮮な海の幸を囲んで遥か1500年もの昔の歴史ロマンに浸りたいと願っております。
生誕祭のご成功をお祈りいたします。

ここまで書いて、食べたい食べたいと書いているようですが、加唐島はあの鯛のピシッとしまった刺身抜きでは語れないのです。鯵やサザエの炭火焼無しでは語れないのです。
参加したよという方のコメントお待ちしています!

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旧姓でパスポート申請

2007-05-30 00:16:17 | シホのホ(雑記帳)
7月でパスポートが切れます。この10年、家族旅行よりも遥かに多く、徐福研究に関わる訪中、訪韓を経験することができました。そしてその度に不便を感じることがありました。
それは私の戸籍名は別にあって、当然パスポートは戸籍名です。ホテルに訪ねてきてくださった方が宿泊者の中に私がいないことになって慌てたり、空港で待っていてくださる方が搭乗者に私を見つけることができなくて戸惑ったり。

数年前、同じように不便を感じていた研究者が道を作ってくださったようで、本名と戸籍名の両方の入ったパスポートの入手についてというページを見つけました。そうか、併記という形ではあっても旧姓でパスポートが取れるようになったんだ。
作り直そうと思いながら、いつかいつかが今になり、パスポートが切れるのに合わせて申請してみることにしました。

窓口に事前に訪ねると、一般に出す書類に加えて1つは「非ヘボン式ローマ字氏名表記等申出書」という書類に旧姓使用をするということを書くこと。もう1つは実際に海外で旧姓が使われていることを示す書類のコピーを用意すること。そうすれば受理されるとのことでした。
私は
1、昨秋の済州島で開かれた徐福の会議の論集から、自身の発表論文の名前のところと日程表の座長名に私の名前が書かれているもの。
2、先週の龍口市での徐福イベントの参加名簿と式次第(名前が入っているため)。
3、『徐福志』の発行を記したページに編集委員として名前を連ねているもの。
4、9月に蘇州市徐福研究会から招聘されているその招請状。
という過去・現在・未来に渡る旧姓使用の事実を持って行きました。

手続きはスムーズに行くかな?と心配しましたが、窓口の方が県に問い合わせてくださると、たまたまでしょうが電話口に出た方が愛知県立大学の事務でお世話になった方だったそうで、「あら、逵さんなら知ってるわ」ということになり、たしかその方は私が大学で博士号をもらうときに旧姓でもらいたいということを相談した方で、そんな話に弾んでいると、窓口のもう一人の方が「私も教務課にいたんですよ」ということになって、ちょっとした再会となりました。
人の出会いとは本当に不思議なものです。ここ(地元の県民生活プラザ!)にもこんな風に支えてくださる方がありました。

というわけで、来週には旧姓併記のパスポートが入手できることになりました。
併記といっても、「戸籍名(TSUJI)SHIHO」という形ではありますが、サインは「逵 志保」という自著に変わります。
初めて旧姓の身分証明が出来ることになりました。

こうしてスムーズに申請できるように頑張ってくださったこれまでの方々に感謝です!
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第9回徐福故里文化祭及び『徐福志』出版記念式典 式次第

2007-05-29 22:47:45 | 徐福伝説
2007年5月18日 第9回徐福故里文化祭及び『徐福志』出版記念式典(中国山東省龍口市)、当日の式次第を記しておきます。

5月17日
午後 龍口大酒店到着

5月18日
朝食 7:30

第9回徐福故里文化祭及び『徐福志』出版記念式典 8:30-11:30(万松浦書院会議室)
(1)中国国際徐福文化交流協会副会長、山東省作家協会主席 張煒氏 来賓紹介
(2)中共龍口市委副書記 孫為富氏 挨拶
(3)中国国際徐福文化交流協会常務副会長、《徐福志》主編 朱亜非氏 《徐福志》編纂過程紹介
(4)中国海洋大学出版社文史編集室主任、博士、紀麗真氏 《徐福志》出版過程紹介
(5)国内外徐福研究組織祝辞
  1 山東師範大学地方史研究所 董金艶氏 祝辞
  2 日本徐福研究組織代表 逵志保氏 祝辞
(6)関係組織、大学専門学校、徐福研究姉妹組織《徐福志》贈呈
  中国秦漢史研究会/大連海事大学/中国海洋大学
  日本前首相羽田孜先生/日本愛知県立大学/日本神奈川徐福研究会
  山東師範大学/煙台博物館/煙台市膠東歴史文化研究会
  徐福故里龍口市徐福鎮/龍口市史志弁/南山学院
(7)徐福文化研究座談交流
  1 大連海事大学港口与航運研究所所長、教授 孫光圻氏 発言
  2 日本愛知県立大学博士、徐福研究専門家 逵志保氏 発言
  3 煙台博物館元副館長 林仙庭氏 発言
  4 中国国際徐福文化交流協会副会長、龍口市徐福研究会副会長 田連謨氏 発言
(8)中国国際徐福文化交流協会副会長、元中共中央農村政策研究室副主任 謝華氏 講話
(9)記念撮影(弁公楼門前) 万松浦書院参観

昼食 12:00

14:30-18:00
(10)徐公祠、徐福園(文化広場西側)、南山景区参観

夕食 18:30

5月19日
朝食後解散
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2007年5月18日 第9回徐福故里文化祭及び『徐福志』出版記念式典(中国山東省龍口市)

2007-05-29 01:09:21 | 徐福伝説
2007年5月18日、中国山東省龍口市において
第9回徐福故里文化祭及び『徐福志』出版記念式典が行われました。

日本各地の徐福伝説に縁あるみなさまへ、次のように報告しました。
こうした報告もまた徐福研究の現在を示していると思いますので、
長いですがそのまま記しておきます。
 ・・・・・・・・・・・・・・・
お知らせしましたとおり、5月18日、中国山東省龍口市において、
第9回徐福故里文化祭及び『徐福志』出版記念式典が行われました。
式典に際しては、曲さんの依頼により
日本各地のみなさまからのお祝いメッセージをいただきたいとお伝えしましたところ、
現地あてに直接、あるいは私あてに多くのメッセージを預かりました。
中国語に訳してお送りくださった方、ありがとうございました。
日本語の祝辞は全て中国語に翻訳して本文に添えてお渡ししましたのでご安心下さい。
当日の式典では祝辞の紹介があり、その数は20を超えました。

当日配布された式次第や参加者名簿をコピーして送付します。(←ここでは省略)
今回は事前に派手にしないとお聞きしていましたが、その通り大掛かりなものでなく、
万松浦書院という海辺の静かな建物で行われました。
年数をかけて出版にこぎつけた編者の安堵感に似合う、実に落ち着いた会でした。

龍口市徐福研究会は毎年この時期に催される徐福会議の報告書を継続して編集・出版しています。
今回も2007年版を受け取りましたが、
今回の『徐福志』はそうしたこれまでの即時性のある出版物とは異なります。

中国国際徐福文化交流協会編『徐福志』(2007年5月、中国海洋大学出版社)
ISBN 978-7-81067-996-1

本書はB5版で3センチ、体重計で量ったところ1.2キロもありました。
資料は単に収集されたものではなく、実際に執筆者が歩いて得た一次資料が多いという印象があります。
それは今後当然批判される点も出てくると思われますが、
そうした議論そのものが徐福研究の中でこれまで行われてこなかったことを考えると、
今後の徐福研究にとって大きな意味を持つように思います。
また、これまでの徐福を縁とした人的往来が生かされ、
中国国内だけでなく、日韓に及ぶ協力体制をとった編集作業によって出版されたことが
特筆できることと思われます。
今回の出版を通して、徐福を取り囲む環境の変化、その成果を見ることができました。
実際にページをめくって驚いたのは、本文中の写真はもちろんのこと、
私がお送りしました昨夏の博多祇園山笠の徐福(A崎さん撮影のものを赤崎さんに断わって転送しました)や
最近の今年3月末の石倉昭重さんによる京都府伊根町新井崎神社の「新大明神口碑記」碑の
除幕式の写真が巻頭写真のページに使われていたことでした。
インターネットのやりとりによって、こうした資料の生かし方が可能となってきました。

さて、日本では残念ながら全国に広がる徐福渡来伝承地でそうした出版事業に取り組もうとする意欲は見られません。
しかし日本では各地で自分達の暮らす地域に伝承されてきた徐福のことを
何とか次世代に伝えようと尽力してきた方々がいらっしゃいます。
私はそうした日本各地の徐福伝承の現在の一例として、
今回の発表で京都府伊根町「新大明神口碑記」碑建立について報告いたしました。

最後に新しい動きをご紹介しておきたいと思います。
今回、私は龍口に二人の学生を連れて出かけました。
一人は高校卒業後、北京語言大学に進んだ日本人学生です。
彼女は大学の卒業論文で指導教員から徐福を薦められ、現在執筆中です。
今年の2月に(財)かながわ学術研究交流財団と(財)日中友好会館の共催で行われた私の講演に
わざわざいらして出会いました。
もう一人は北京語言大学に短期留学している青年です。
彼は私が高校の現代国語の非常勤講師をしていたときに、余談で話す中国話に興味を持ち、
その後愛知大学に進んで中国語を勉強しています。
この二人の大学四年生に通訳をしてもらうことにし、
今回は徐福伝説の伝承地で何が起きているのか、その様子を直に見てもらおうと思いました。
打ち合わせたわけではなかったのですが、
山東師範大学地方史研究所長の朱さんもまた二人の学生を連れていらしていました。
全ての行事が終わった食後、彼らが一つの部屋に集まり前向きに語り合っている姿を、
ほとんど中国語はわからないながらも聴きながら、
こうして徐福研究に新たな世代が生まれていることを実感することができました。主催者からは学生の経費について御協力いただき、
学生に負担にならない形で今回の参加が実現したことは大変嬉しいことでした。

曲さんから、みなさまにどうぞよろしくお伝えくださいとのことお聞きしています。
実は曲さんはこの行事の最中にお母さまが危篤状態だったことを帰国してから、実は先ほど知りました。
お母さまはそれでも曲さんが最後の来客を見送ってご自宅に戻るまで待っていてくれたそうです。
大変なときにあれほどの仕事をこなす曲さんの責任感・使命感を知りました。

私は無事に帰国しましたというべきですが、
実は私もハプニングがあり、煙台空港からの飛行機が故障して出発が大幅に遅れて、
北京空港で名古屋行きに乗り継ぐことができず、一日北京で足止めされました。
ですが考えようで、何もしなくていい北京の一日など、
これまで望んでもなかなかできないことで、来年開催されるオリンピックの会場「鳥の巣」や
王府井の変りようなど、存分に見て歩いて楽しむことができました。

今年はこれからも様々な徐福のイベントが行われるようです。
今後もできる限りお知らせしていきたいと思います。
それが私にできることだと思っております。ご意見ご感想、ご要望をお寄せ下さい。

本来ならば『徐福志』をみなさまの分も持ち帰ってきたいところだったのですが、先ほど記しましたように、大きいだけでなくとても重くて、
みなさまの分全てを持って帰ってくることができませんでした。ごめんなさい。

これから一歩一歩夏に向けて日差しも厳しくなってくることでしょう。
みなさまどうぞ御身体ご留意下さい。
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