先日、北京で友人が「天意」という言葉を教えてくれました。
日本にもその言葉はないわけではないのですが、そして日頃なら「天」なんてねえといったところなのですが、そのときはしっくりと分かった気がしました。
帰国して数日、今回の訪中の目的であった龍口のイベントの実行委員長にあたるQさんから、お母さまが亡くなったという知らせが届きました。
80歳のお母さまは息子のイベントが終わるのを待っていてくれたかのように、大会の最後まで息を保ち、全てのお客さんを見送って家に帰って間もなく亡くなったということでした。
お母さまへの思いが綴られた玉稿には、意識があったかどうか分からないけれど、生きているうちに母の前に出版した本を差し出すことができたことが綴られていました。
中国語はわからない私ですが、なぜかこのときだけはすらすらと読めて、インターネットの翻訳機能を用いて急いで返信しました。
私は中国で「天意」という言葉を知りました。まさにお母さまが息子の成功を見届けるまで、天意が命を引き伸ばしてくれたのではないでしょうかと。
恥ずかしいことに、翌日第二稿が届き、その私からの拙文がその随想に入れられていました。
一つの言葉を得て海を渡り、再びその言葉を海の向こうに贈る。
なんだか不思議な経験でした。
日本にもその言葉はないわけではないのですが、そして日頃なら「天」なんてねえといったところなのですが、そのときはしっくりと分かった気がしました。
帰国して数日、今回の訪中の目的であった龍口のイベントの実行委員長にあたるQさんから、お母さまが亡くなったという知らせが届きました。
80歳のお母さまは息子のイベントが終わるのを待っていてくれたかのように、大会の最後まで息を保ち、全てのお客さんを見送って家に帰って間もなく亡くなったということでした。
お母さまへの思いが綴られた玉稿には、意識があったかどうか分からないけれど、生きているうちに母の前に出版した本を差し出すことができたことが綴られていました。
中国語はわからない私ですが、なぜかこのときだけはすらすらと読めて、インターネットの翻訳機能を用いて急いで返信しました。
私は中国で「天意」という言葉を知りました。まさにお母さまが息子の成功を見届けるまで、天意が命を引き伸ばしてくれたのではないでしょうかと。
恥ずかしいことに、翌日第二稿が届き、その私からの拙文がその随想に入れられていました。
一つの言葉を得て海を渡り、再びその言葉を海の向こうに贈る。
なんだか不思議な経験でした。