1月25日(金)から27日(日)にわたって行われた宮崎県東臼杵郡美郷町南郷区神門神社と木城町比木神社の巡礼祭事「師走祭り」から帰りました。
今年も多くの新聞記者の方が取材をしていました。
宮崎日日新聞/
西日本新聞/
毎日新聞
今年はカメラマンの方が随分多かったように思います。
両神社の御神体が落ち合う伊佐賀神社は坂の上にあるのですが、既に坂の上に雛壇のようにカメラマンがきれいに並んでいて驚きました。
御神体だけでなく、ここで神社に同行している取材者・研究者たちも顔を合わせることになります。中に懐かしい顔がありました。2年前に韓国の留学生が卒業論文のために来ていてご一緒したのですが、帰国して大学院生になり、指導の先生を連れていらしていました。…その先生と私がお連れした韓国の先生は知り合いで、それもまた偶然の再会、院生の彼女のほうは韓国で「ほるほる」をチェックしているそうで、私と会えることが分かっていたとか。「ほるほる」は私の居場所をチェックするのにもいいんですね。
当然、私はこの伊佐賀神社で比木神社の方々と懐かしい再会、また巡礼の道々に知った方がいらしてご挨拶。すれ違った車からも手を振る顔。帰ってきたなあという感じで祭りが始まっていきました。
思えば6年前、博士論文執筆のために徐福伝説だけでない新たな渡来人伝説の調査をと飛び込んだこの師走祭り。
百済王伝説に由来するというこの祭りの調査は、当時指導してくださっていたK先生から「新しいフィールドはうまく行かないこともあるから、とりあえず行ってみて、書けそうだったら書く、ここは無理だなと思ったらやめるくらいの軽い気持ちで行ったほうがいいよ」、そんな風に言われて出かけたのでした。
ところがそんな不安な思いはすぐに吹き飛びました。
この祭りとの出会いは、論文が書けるか否かなんていう小さな問題ではなく、みなさんの限りない暖かさに触れて、私にとって、とうとう帰る場所になってきてしまいました。(先ほどお連れした韓国の先生からも、地元の方たちの親切に心打たれたというメールが来ました)
そう、「また来年もおいでよ」がいつのまにか「来年も帰っておいでよ」になり、今回もただ歩いているだけで「いつ帰ってきた?」と声をかけられ、あちこちで手を振り・振られ、顔を合わせては抱きしめられ、「来年会うときまで元気でいたい」と言われ約束の握手をしました。
祭りの期間を一緒に過ごす「入り厄」の人たちも始めは年上だったのが、いつの間にか年下になり、2年前に一緒に過ごした同年の方たちとは、まるで一緒に机を並べていた時期があったかな?と思うくらいに話題を共有でき、「友人」という言葉が無理なく使えるようになりました。
実を言うとこの師走祭り、5年で一区切りと考えていたのです。
ですが6年目の今年、その気にさせてくれたのは韓国の先生から「あなたの論文にある祭りを調査したいから、一緒に行きましょう」と言われたのです。ソウルからわざわざみえる先生の案内をするということで、有無を言わさずの祭り参加となったのですが、こうして6年目を刻んだ今、もう私の中で区切ることはできるのだろうかという思いになっています。
祭りの中日、同級生たちが飲んでいる店の小窓から「つじちゃーん」と手招きされ、一緒に焼酎を飲みながらたわいない話をしました。そしてこの村の今とこれからを話しました。私たちがテレビを通してみている宮崎とは別の宮崎の山村の今を知りました。自分の頭の中の地図が宮崎の山奥からも描けるようになってきたような気がします。
同じ歳の人たちとこの村のこれから・この祭りのこれからといった話題で飲めたこと、日頃の仲間内ではとてもできないことで、そのことにとても感激しました。まさに「どげんかせんといかん」状態なのですが、それを言葉にして真剣に話せること、それは切実さだけでなく、私にとってとても新鮮で素敵なことにも思えました。この仲間たちが今後担っていく祭りを、私も同じ思いで迎えたいという気持ちも強くなっていくような気がしてきました。
さて、タイトルに「宮崎県知事」と入れたのにはわけがあります。
実は今回、この師走祭りに知事が来るという噂がたっていて、もし実現すれば全国で祭りが放送されるでしょうから、観光客もきっと増えるだろうという願いもありました。
ところが実際には当日近くの村まで会議に来ていたものの、知事はこの師走祭りには来ませんでした。(まだここには来たことがありません。帰宅してテレビで見る知事は大阪府知事選をテレビ局で語り、相撲の表彰式にでて金柑を宣伝していました。きっと東京に行くためには会議後に祭りに立ちよる時間もなかったのでしょう。ですが宮崎は南国だけではない。マンゴーや金柑だけでない。初めて知事に対して山奥も忘れないでと言いたい気持ちになりました。)
祭りの晩、社務所でHさんから「つじさん、知事が来るって噂聞いた?」と言われました。「来なかったですね」と応えた私に、「違うのよ、その噂。みんなでつじさんが来るって話していたのをつじさん知らない人がその中にいたみたいで、いつのまにか知事(ちじ)さんに変わってしまって。つじさん知らない人もいるからね。」
どひゃー!知事(ちじ)来訪ではなく、逵(つじ)来訪!?この噂の原因は私だったのでした。
それでも福岡から韓国の総領事が、そして韓国の百済の古都である扶余から邑(村と同意)長、そして「冬のソナタ」の監督もいらしたようです。でもペ・ヨンジュンやチェ・ジュウと違って監督はどんな人か顔がわからないので、本当に来たのかどうかは不明です。他にも韓国から観光客が来ていました。ソウルー宮崎便があるのはこの旧南郷村がチャーター便を出したりした実績がものを言っているようなのです。なんでも市町村別のパスポート保有率が全国二位という土地柄です。もちろん行く先は韓国です。中学の修学旅行が韓国なのですから。
というわけで師走祭りの話はこれでとりあえず終わります。
6年間書き留めてきた師走祭りの同行記録に関しては、今回ご一緒した韓国学中央研究院(大学院大学)の先生が私を「日本に残る朝鮮の神々」のプロジェクトチームメンバーに入れてくださったことで、韓国で活字にしていただくことになりました。同時にこれまでの百済王伝説関係の論文についても翻訳して活字にしてくださることになりました。カムサハムニダ!(ありがとう!)
私がこの地域の方々に対してできることは、ここで見聞きしたことをしっかり記録し、公表していくことだと思います。その点で、自分自身のたたき台にもなる資料を作成できることに感謝しています。
「地域の人たちにとって」、その部分を忘れることなく、師走祭りを終えて、新たな年も頑張ろうと思います。
みなさん本当にありがとう。