さあ徐福月間の最終回です。
20日、青島空港の免税で「おお安い!」と青島ビールを1ケース購入。日本入国の税関で引っかかり納税(考えたら当たり前の話だけれど、こんな買い物したことなかったので気づきませんでした。でもトータルでもかなり安かったからよし!)。そして深夜帰宅し乾杯!
そして翌日21日23時名古屋駅発、22日8時着富士山駅の深夜高速バスで富士吉田へ。登山客に紛れて?と思っていたら、手前の富士急ハイランドで殆どの客が下車。こういうルートで富士吉田に行けることを初めて知りました。
富士山駅まで迎えに来ていただき、みなさんが宿泊しているホテルで身支度。懐かしい顔と再会再会。
中国のZさんとは今回の徐福月間を全て一緒に過ごしたのだけれど、Zさんのおつれあいとはここが数年ぶりの再会になりました。Zさん夫婦は私の両親と歳が同じで、Zさんの息子も私と歳が同じ。私が初めて徐福を知った20歳のときに、地元テレビ局の人としてであっているので、もう30年の付き合いで、中国の父さん母さんと呼んでいます。
2012年に象山で私が表彰されることになったとき、中国のお母さんは私の表彰だから見に行くよと言ってくださっていたのですが、それが開催延期となって、結果4年ぶりの再会でした。中国のお母さんだけはいつも会うと私を見て「痩せたんじゃない?」と気にしてくれます。いえ、全然痩せてませんから!
午前は宮下文書を拝見に行くという方たちがあって、せっかくなので連れて行っていただきました。
宮下家の方たちが「自分たちはよくわかっていなくて、よっぽどこれらの本読んでもらったほうがわかります」と雑誌『ムー』などを見せてくださって、きっといろんな方が訪ねて来るのだろうなあと思いました。
そして午後から2016年10月22日、主催富士山徐福学会、共催神奈川徐福研究会、実施団体富士山徐福フォーラム国際大会実行委員会による「2016富士山徐福フォーラム国際大会」が開催されました。
開会には富士山火焔太鼓があり、
途中休憩の後には、サプライズ!元ふきのとうの山木康世さんの歌とギターがありました。「私なりに徐福を理解して」と歌った徐福の歌には「徐福は友だち」というフレーズがあり、それがとても新鮮に響きました。
確かに徐福は地域に根付いた神であったりして、かつては熊野でも「徐福さま」と呼ばれていました。それがいまではどの地域でも新宮のように「徐福さん」と言われています。熊野市でもすっかり「徐福さん」になりました。これは徐福に対する信仰心がなくなったと嘆くよりも、徐福に対する思いが変わってきたのだと思います。「徐福は友だち」というのも、いま頷ける気がします。これはメッセージと受け取りました。
私も最後のパネルディスカッションに登壇しましたが、今回、全国各地、あるいは中国も含めて、これだけ多くの人が集まったのは、長年この地で徐福を顕彰してきた土橋寿さんを思ったからだと思います。国際会議をするのに不慣れなところはあったものの、それでも新たな人が徐福に興味を持ってくれるきっかけにはなったように感じました。
大学院生が調査研究のために大会に参加している姿もあり、それも大いに励まされました。
翌日23日は伝承地の見学。今日は本当によく晴れて、山中湖から望む富士山は素晴らしかったです。
これまでに伺ったところも何年も経って様子は随分変わっていて、また新たな伝承地もあって勉強になりました。
帰りはIさんの車に乗せていただいて、中国から参加の友人2人と一緒に送っていただきました。Iさんは中国語がバッチリなのですが、私が話せないため、車中は携帯の翻訳機を駆使して楽しいドライブ。いろんな話ができて、こういう時間が大切なことも実感しました。
これにて徐福月間は終わります。嬉しい悲鳴の徐福月間、たくさんの収穫と課題を得て、これからもまた頑張りたいと思います。
20日、青島空港の免税で「おお安い!」と青島ビールを1ケース購入。日本入国の税関で引っかかり納税(考えたら当たり前の話だけれど、こんな買い物したことなかったので気づきませんでした。でもトータルでもかなり安かったからよし!)。そして深夜帰宅し乾杯!
そして翌日21日23時名古屋駅発、22日8時着富士山駅の深夜高速バスで富士吉田へ。登山客に紛れて?と思っていたら、手前の富士急ハイランドで殆どの客が下車。こういうルートで富士吉田に行けることを初めて知りました。
富士山駅まで迎えに来ていただき、みなさんが宿泊しているホテルで身支度。懐かしい顔と再会再会。
中国のZさんとは今回の徐福月間を全て一緒に過ごしたのだけれど、Zさんのおつれあいとはここが数年ぶりの再会になりました。Zさん夫婦は私の両親と歳が同じで、Zさんの息子も私と歳が同じ。私が初めて徐福を知った20歳のときに、地元テレビ局の人としてであっているので、もう30年の付き合いで、中国の父さん母さんと呼んでいます。
2012年に象山で私が表彰されることになったとき、中国のお母さんは私の表彰だから見に行くよと言ってくださっていたのですが、それが開催延期となって、結果4年ぶりの再会でした。中国のお母さんだけはいつも会うと私を見て「痩せたんじゃない?」と気にしてくれます。いえ、全然痩せてませんから!
午前は宮下文書を拝見に行くという方たちがあって、せっかくなので連れて行っていただきました。
宮下家の方たちが「自分たちはよくわかっていなくて、よっぽどこれらの本読んでもらったほうがわかります」と雑誌『ムー』などを見せてくださって、きっといろんな方が訪ねて来るのだろうなあと思いました。
そして午後から2016年10月22日、主催富士山徐福学会、共催神奈川徐福研究会、実施団体富士山徐福フォーラム国際大会実行委員会による「2016富士山徐福フォーラム国際大会」が開催されました。
開会には富士山火焔太鼓があり、
途中休憩の後には、サプライズ!元ふきのとうの山木康世さんの歌とギターがありました。「私なりに徐福を理解して」と歌った徐福の歌には「徐福は友だち」というフレーズがあり、それがとても新鮮に響きました。
確かに徐福は地域に根付いた神であったりして、かつては熊野でも「徐福さま」と呼ばれていました。それがいまではどの地域でも新宮のように「徐福さん」と言われています。熊野市でもすっかり「徐福さん」になりました。これは徐福に対する信仰心がなくなったと嘆くよりも、徐福に対する思いが変わってきたのだと思います。「徐福は友だち」というのも、いま頷ける気がします。これはメッセージと受け取りました。
私も最後のパネルディスカッションに登壇しましたが、今回、全国各地、あるいは中国も含めて、これだけ多くの人が集まったのは、長年この地で徐福を顕彰してきた土橋寿さんを思ったからだと思います。国際会議をするのに不慣れなところはあったものの、それでも新たな人が徐福に興味を持ってくれるきっかけにはなったように感じました。
大学院生が調査研究のために大会に参加している姿もあり、それも大いに励まされました。
翌日23日は伝承地の見学。今日は本当によく晴れて、山中湖から望む富士山は素晴らしかったです。
これまでに伺ったところも何年も経って様子は随分変わっていて、また新たな伝承地もあって勉強になりました。
帰りはIさんの車に乗せていただいて、中国から参加の友人2人と一緒に送っていただきました。Iさんは中国語がバッチリなのですが、私が話せないため、車中は携帯の翻訳機を駆使して楽しいドライブ。いろんな話ができて、こういう時間が大切なことも実感しました。
これにて徐福月間は終わります。嬉しい悲鳴の徐福月間、たくさんの収穫と課題を得て、これからもまた頑張りたいと思います。