ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

北の国から

2016-05-31 22:15:15 | シホのホ(雑記帳)
「かあさーん、月曜日の夜いる-?」久々のワタルの声。
遠く離れて暮らすワタルとサホのどちらの電話もめったにかかってこないから、
なにかあったのか?と急いで出てしまう。(だいたい何かがあるのです。)

「じゃあ、おたのしみにー」と電話が切れた。
めっちゃ楽しみに待っていたら、北海道釧路からの冷蔵便が届いた。
じゃーん!


冷凍便でないところがミソなんだそうです。
なんでも浜で茹でたあと、冷凍してない毛蟹!冷凍していないという意味が食べてよくわかりました。
蟹味噌ってこんなにとろとろだったのね。
そして大好きなホッケ!
そしてなぜかワタルがこれは美味しいと思ったというしゃぶしゃぶのタレ。
そして今回の荷物は父の日と母の日の詰め合わせなんだそうで、
つれあいには大好物のコマイ、私にはチーズが入っていました。

こどもは遠くに在りて思うもの?なんかちがいますが、
美味しいところに暮らす子どもたち、いいところに派遣したなあと思うのでした。





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続きはCLAPHAIRで

2016-05-30 20:46:12 | シホのホ(雑記帳)
先日、つれあいの高校で3年生に向けて進路別ガイダンスがあり、お隣に住んでいるCLAPHAIRのKさんが仕事を抜けて話に来てくれたそうです。
どんな話をしてくれたのでしょう?

Kさんが高校2年生、私は大学卒業したばかりの副担任で国語科講師。
つれあいとともに、もう27年もの付き合いになります。
いつまで付き合っても5歳差は縮まりませんが、
Kさんの27年間にはいろんなことがあって、乗り越えて、楽しんで、
きっといつも髪を切ってくれるときに話すような、
お店を出たときに、
よっしゃ頑張るぞと思わせてくれるよう話をしてくれたんじゃないかなと思います。

そろそろ私も行かなくちゃ!
続きはお店で聞くことにしましょう。

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2016年5月20日 第3回徐福文化国際研究協議会佐賀大会

2016-05-21 07:15:17 | 徐福伝説
2016年5月20日、第3回徐福文化国際研究協議会佐賀大会がおこなわれ参加してきました。
日本徐福協会が設立して初めての大会です。

去年佐賀の徐福イベントに参加なさった方からは、だいぶ会場が小さいですねと言われましたが、
100人ほどの大会議室がいっぱいになっていて、それはみな徐福に関わる方たちということを考えると、
かなり熱い大会となりました。
この徐福熱を広げていくのは今後の課題でしょう。

今回の大会、午前には元韓国総領事の柳洲烈さんの講演がありました。
この協議会は徐福を世界文化遺産にという目標を掲げているのですが、
私は全く知識がなく、日中、日韓で仕事をしてきたからこその話を聞くことができ、
また人柄もたいへん穏やかで、徐福の会議にはとても新鮮でした。

午後は先ず中韓日それぞれにこれからの取組みにあたっての現状報告。
私は日本徐福協会設立をゴールにした話をということでしたので
近現代の徐福を取り囲む状況、
決して近代、徐福顕彰を病めることはなかった事例をあげて
日本徐福協会の設立までを話しました。
(写真なし、誰かください)
私の報告の中国語訳が間に合わず、話し終わったあとに会場にいらしたWさんが手を上げ、
もう一度中国語で内容を話して下さいました。
大きなイベントではちょっとできないことですが
そんなところもみなさんあたたかく、感謝感謝でした。

午後のメインは徐福の共同研究を進めていくうえでの研究分野の確定のための協議です。
徐福は「徐福学」という言葉が出てくるほど、考古学、歴史学、地理学、文学、民俗学、文化人類学、社会学…、
いろんな視点からの研究が可能です。
ですからこの研究分野の確定は実はとても難しいのです。
それぞれ好きにやればいいけれど、共同研究ですから。

という難解な協議の司会を仰せつかり、あたふたしましたが、
いやいや実際大変だったのですが、
(写真なし、誰かください)
中国徐福会副会長の李武さんが
「相手と戦うときには、10本の指を傷つけるのではなく、1本の指を切り倒そう」と
いかにも中国らしい発言で流れを一つにしてくださって、
なんとか決めるべきところは決めることができました。
そしてまた、今回の会議で、中国は本気だなと感じることもできました。

そして最後には中国の徐福のドラマ制作発表会がありました。

60回の連続ドラマとのことです。
私が以前関わった市川森一さん、荒俣宏さんとの中韓日の連続ドラマ企画は
結局ながれてしまいましたが、そのことも、制作発表会の中ではドラマができるまでの経緯として
紹介されました。

会議が全て終わり、それから協議会のなかで言い合いになってしまったような場面もあったので
その方にお詫びの挨拶をし、熱い思いを聞きました。
そう、みな徐福に夢中なのです。
だからこそ、白熱してしまうのです。
そういう方たちがあっていまに至ることを実感して、佐賀の大会は終わりました。

最後に日本の徐福仲間との打ち上げ。
佐賀のソウルフード、シシリアンライスというのを食べてみました。美味しかった!
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2016年5月19日筑紫野市天山経由で佐賀へ

2016-05-20 08:04:18 | 徐福伝説
2016年5月19-20日の日程で第3回徐福文化国際研究協議会佐賀大会があり、佐賀に来ています。
この大会は徐福伝説を世界文化遺産に!という呼びかけのもと、韓国、中国、日本という順番で開かれているものです。

19日朝、福岡空港に到着した私は、佐賀行き高速バスの乗り場でこれから徐福の温泉=武雄温泉にいくという大阪の徐福仲間Iさんと一停車場までご一緒し、筑紫野下車。
そこには「天山(あまやま)ふれあい会」のIさんが待っていてくださいました。

実はもうずい分昔から筑紫野に「童男丱女岩」(どうなんかんじょがいわ)があるという文献記録はあったのですが、全国にはここに徐福にまつわるこんなものがあったんだよなあとという話は多く、ここもそれを伝える人がいるということを聞いたことがありませんでした。
数年前に筑紫野の「童男丱女岩」があったという話を聞いたのですが、機会がなく、
3月に佐賀で日本徐福協会設立の会議があったときに、管理をしているというボランティアグループ「天山(あまやま)ふれあい会」の方たちにお会いすることができました。

というわけで、佐賀入りする前に筑紫野の「童男丱女岩」を確認です。
迎えに来てくださったIさんは天山で自治区会長をつとめて8年になるそうで、
「童男丱女岩」を見に来てくれてありがとう!というような
天山を愛している感じがにじみ出ている方です。
ちょっと山登りになるからと靴と靴下まで準備してくださっていました。感謝感激!
さあ出発!

10年ほど前にIさんら八天会(はってんかい)=天山の8人の会(飲み会?)のみなで
昔、山の上に岩あったなあ、登ってみるかと登った時にはもう荒れ果てた状態だったそうですが
いまはその会が名実ともに「発展」して、天山ふれあい会という50人ほどのボランティアグループになって、いろいろと整備を進めています。ですから、行く気になったらだれでもハイキングと思って出かけることができる場所になっています。これまでであった「徐福の会」ではないところもこの天山の面白いところです。

20分ほど山を登ると見晴らしのいいところに出ました。(パノラマ撮影)
ここに「童男丱女岩」がありました。

切り立ったところにあるので、遠景で撮れないのが残念。
この石、組んでおいてる感じがしませんか?

なんでもIさんらは徐福の岩なんて聞いたことはなくて、
「東南官女岩」(とうなんかんじょいわ)と言っていたんだそうです。
それでもなんかこの石は中国(東南の方角?)から何かが来たというおぼろげな話はあったそうですが。
小さい頃は薪が必要で、共有林のあるここまで来て、
この岩のところからは薪になる木を持って草スキーで一気に降りていったんだそうです。
昔からの遊び場でもありました。

それで一体どんな岩なんだとインターネットで調べ始めて、「東南官女岩」ではなくて「童男丱女岩」なのかと知ったということです。
こういうこと、これからもおきてきそうな感じです。
そうそうもう少し下のところには船繋ぎ岩と呼ばれるところもありました。


こうした伝説の生まれるところにある共通したことや歴史など、
また農業用水に関わるようになって、その地域の人たちの水の問題なども思いを馳せることができるようになったことで
あれこれと話は盛り上がり、
人気のお蕎麦屋さんで仕上げをして、Iさんお手製のブルーベリーワインをいただいて佐賀に向かったのでした。

晩は集まった中韓日の徐福関係者との夕食会。
早速、天山に行った話をさせていただきました。


こういうところに出ていくと、徐福を取り囲む人たちが新たに増え、逆に出てこれなかった人たちのこともまた思い出します。
今回は中国の徐福の連続ドラマの撮影班がたくさん来ています。60回もの連続ドラマとのこと。
成功するといいですね。

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2016年GW 熊野へ

2016-05-04 08:10:10 | 徐福伝説
厳密に言うとGWの少し前なんですが、先述の中国からの研究者Sさんが徐福伝承地の熊野を訪ねたいということで
はじめは私は行く予定ではなかったのですが、
観光学が専門のSさん、ご紹介していた民泊「あかくら」にぜひ泊まりたいということで、
ここは一日一組限定、Sさん一人では可哀想というわけで、オーナーのNさんから
「逵さんもおいで~」と言われ、一度泊まってみたかったので「いくよ~」となって
ならば、中国人留学生でいつか熊野に連れて行ってと言っていたKさんに声をかけると「行く行く」というわけで、
東京から出発してくるSさんを熊野市駅で迎えるのは夕方4時、
留学生Kさんと私は名古屋を朝出発し、それまでに観光をしておくことになりました。

日頃は人任せの熊野。でも今回は私が案内人。
苦手な車を走らせ、先ずは鈴鹿での渋滞を乗り越え、尾鷲まで来ると三重県立熊野古道センターへの案内板をみつけました。
実はまだ行ったことがなかったので、ここで寄り道。
中に入って見ていくと、徐福の説明があったので立ち止まってみていると、
職員の方が「徐福、このセンターのなかで一番人気なんです。全国に沢山あるんですけどね」と言われました。
頑張れ徐福!

そして再び車を走らせいよいよ熊野市へ。
先ずはやっぱり波田須の徐福の宮を見下ろせる徐福茶屋へ。
休日なのに閉まっていたのは残念でしたが、Kさんが「この景色知ってる-」と叫びます。
そうですね、私が講義で徐福の話をするときはかならずここからの写真を使っているから。

そして鬼ヶ城へ。
新姫ソフトクリームを食べようと思ったのですが、中国人のKさんはお腹を冷やすことを極端に嫌うので(?)、
賛成してもらえずここは素通り。
テラスで食事をしていた人もいたのですが、以前、案内していただいたあそこに行こうと出発。

トンネルを超えたら七里御浜の鯉のぼりがきれいだよ、といったのですが、
残念ながらちょっと早かった。GW限定なんですね。

そして道の駅パーク七里御浜の2階にある「辻さん家」。
とにかく海が果てしなく見える絶好のロケーション。
前に来た時には、~御膳というものがあったのですが、休日だったためビッフェスタイルの日でした。
えー、そんなに食べられないし、ビッフェはなあと躊躇したのですが、じゃあ他所に移動するというのも面倒になって
いいや、景色いいしと入店。
するとするといいんですこれが。
先ずはこの道の駅に来たら絶対飲みたいみかん100%ストレートジュースが飲み物にあるんです。
そして、焼きそばとかチャーハンみたいな、お腹膨らませてくださいみたいなものはなく、
かなり凝った小鉢がいろいろとあって、ごはん類も。

これは大人が嬉しいビッフェでした。1500円、文句なし!

それから再び南下し、新宮へ。速玉大社へ行って、徐福公園に行って、
そしたら行かずにおれない香梅堂
つれあいの夢は、ここの鈴焼を抱きかかえるようにおいてたべることなのだそうで、
その程度の夢なのかと思わないでもないけれど、10袋購入。
でも後からくる地元の人は「30袋」と続けて注文していて、ああまだ地元の人にまでは到達できないと思いました。
Kさんも感激の味!

それから長年お世話になっているBさんと獅子岩のところで会いましょうということになり、北上。
途中、ここの干物美味しいのよと浜峰を指差したら、
窓際によく見た頭を発見。間違いなくBさんです。急いで引き返し入って行くと、なんと浜街道店で店番をしているのは大将。
こんなことは初めてでした。

そこからは私の運転を全く信じていないBさんが私の車を運転し丸山千枚田へ。
そして引き返して16時、熊野市駅ではるばるやってきたSさんを迎えたのでした。

Bさんに甘夏をお願いしていたので、それを取りに行っていただく間、
観光協会のWさんとも合流し、みなで花の窟へ。

ここから私たちは宿に向かうわけですが、これでもし帰宅しても、十分に熊野を一日楽しめた感じです。
ほんとうに便利になりました。

そして私たち(Sさん、Kさん、私)は民泊「あかくら」へ。
オーナーのNさんにとっては目をつぶっても走れるような道かもしれませんが、私の技術ではどうなることやら。
Bさん、心配して、あの山奥まで誘導してくださいました。感謝感謝!
あかくら到着!


Kさんが「携帯はいらない-」と嘆きます。そう、ここは携帯は通じない。テレビもラジオもない。
さあお風呂に入るには薪割りからだよと言われて私たちは薪割りをし、点火!



そうするうちに、外のテーブルにアマゴ料理(刺し身、串焼き、燻製、卵の和えたのなどなど)、
いやいやそればかりじゃない、たけのこの刺身、ぼたん鍋、鹿肉の燻製、
観光協会のHさんが熊野古道麦酒を差し入れてくださって、美味しさ倍増!(ありがとう!)
山がゆっくりと暗くなっていくまで、Nさんにこの地域のお話を聞いて過ごしました。

山からの水だからなのか、温泉のようなお風呂で、ツルツルになって、
なんだか時計をなくしたように、ああ暗くなったから寝ようかと21時半には就寝。
星空を愉しめばよかったのですが、気づけば朝。

茶粥とアマゴの干物、イタドリの炒め。お漬物。
昨夜残したものはイノシシの餌にしたと言われて、ああ、もっと食べておけばよかったとイノシシを恨みました。
アマゴの刺し身なんて、どうなの?って思うでしょうが、きかなきゃサーモンです。ほんとうに美味しかった。

というわけで、そこから大丹倉、神社などを案内していただき、山を降り、私とKさんは帰路につきました。
朝に?もったいないと思うかもしれませんが、月曜の夕方の講義があって、
本当に休講にはうるさい昨今の大学。
月曜夕方は今後も休みにせざるを得ない事情が出てきそうなので、頑張って帰りました。

それから熊野を満喫したSさんとは先述したように数日後に再会するわけですが、Sさんも熊野の方々の暖かさにすっかりファンに。
留学生Kさんも、友人たちにSNSで流したようで、いただいた資料をバイト先の喫茶店において
今後は常連客に熊野を語るんだそうです。
すっかり熊野が気に入って、「先生、今度熊野行く時、必ず連れて行って!」といわれました。

長年通っている熊野ですが、今回、あかくらに泊まって、新たな熊野を見つけた気がしています。
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