ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

神門土産

2007-01-29 23:40:46 | 百済王伝説
故郷に帰ると、行きは手ぶらなのに帰りはたくさんの荷物を抱えていることが多いですね。そう考えると私にとって神門(みかど)はもう一つの故郷になってしまったような気がします。

今回もまたたくさんの土産を持たせていただきました。ダンボール箱一杯の、たたくと金属音のするもったいないような炭。そして地元の1キロもの干し椎茸、生活・仕事の一部を分けてくださるそのときに、とても嬉しい言葉をかけていただきました。「シホさんは写真や手紙を俺たち一人一人に送ってくれる。上手いこと返事は書けないけれど、何かお返ししたいと思ってね。」
調査から帰ったら礼状を出すことはごくごく当たり前のことですが、こうしてその礼状をあたり前ではなくあたたかい気持ちで受け取ってくださり、次の祭りの時期に「また来るかなあ」なんて思い出してくださる。本当にありがたいことです。
今年で5年目の祭りでした。「まだ5年だった?」、「師走祭りにシホさんがいるのが当たり前になってきたね」、そんな風にも言っていただきました。
繰り返し共に祭りを過ごしていく中で気づく変化や心持ち、そんな細かな部分を記述していく中で生かしていければと思います。
神門土産、それはやはりみなさんの顔・顔・顔でした。


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6 コメント

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たぶん・・ (satoshi-k)
2007-01-30 00:13:51
たぶん、波田須でも同じだと思いますよ。そのうち「よく来たね」ではなくて、「おかえりなさい」になってくるんではないですか。行けなかったら「あ、何で来てないんだろう」ってね。
それにしても、これだけ面倒くさい?お祭りを伝承している神門の方々には頭が下がりますね。うちのほうにも、いろいろ古くから伝わる祭りがありますが、当事者の方々はとても苦労していますし、だんだん簡素化してしまったり、廃れてしまったりしています。一度参加してその極意?を教授していただきたいものです。
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小さな村の大きな挑戦 (シホ)
2007-01-30 00:22:56
こんな文句がこの村にはありました。廃れていた時期にこれじゃいけないんだ、そんな思いで祭りが新たに生まれ変わってきました。
そして今、宮崎空港の出口に大きな祭りの看板があります。神門の祭りが宮崎の祭りになったのです。
それでも多くの課題はあります。それを一緒に考えて行きたいと思っています。
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いろんな苦労 (satoshi-k)
2007-01-30 00:43:55
荒坂もあの長いこと続いてきた祭りの存続に悩んでいます。二木島、二木島里、甫母の3つの集落が競いあうように守ってきた祭りですが、そのしきたりが厳しいがゆえにトウヤを持つ人がいなくなり、今では形だけを伝えるようになってきたそうです。また、船漕ぎの漕ぎ手がいないため、甫母はその祭りに参加しなくなり、のこった二つの集落も他の地域から漕ぎ手を募ってなんとか守っています。
ただ、花の窟のように、一時廃れかけていた祭りを、氏子の家々が再度力をいれて盛り上げようとしている祭りもあり、これは神門の皆さんと通じるところがありますね。
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頼りは祭りを想う心 (シホ)
2007-01-30 07:51:36
どこも祭りは着実に変わっていきますね。一年一年でもその変化を知ることができます。
例えば師走祭りはもとは9泊10日だったそうです。それが今は週末の2泊3日に縮小されていきました。でもだからこそ維持できているのですよね。
私たちの世代が、今の支えている親世代の後をどう受け継いでいくか、問われていると思います。
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おかえり~ (mikantann)
2007-01-31 09:07:57
お疲れ様。
シホさんのがんばっている様子は、
日々ブログで見ていましたよ・・。
祭の様子もわかって勉強になったけど、
それにしても、
美味しそうなモノに、ついつい
私は目が
いってしまった・・
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そうでしょうー (シホ)
2007-01-31 09:26:18
美味しいモノ、実は「あっ食べちゃった」というフライング数知れず。紹介できなかったものもスッごく多いんです。
強靭な胃ですが、今回は夜神楽の後、ギブアップ!振舞い酒が日本酒・焼酎と交互に来るので、頭ががんがんしてしまい、私の大好物、かけ飯(鳥汁をご飯にかけたもの)を食べることができませんでした。



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