ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

シネマテークで「ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-」とウニタ書店

2015-01-31 22:12:07 | シホのホ(雑記帳)
何年ぶりでしょう、名古屋シネマテーク
映画「ふたつの祖国、ひとつの愛-イ・ジュンソプの妻-」を見てきました。

イ・ジュンソプは韓国では超有名な画家(故人)なのだそうですが
私は全く知らなくて、2年前、韓国済州島の西帰浦で徐福の国際会議があったときに
会議の関係者が、会議が始まるまでの時間にイ・ジュンソプ美術館に行って来い行って来いと強く言うので
行ってみると、イ・ジュンソプの妻は日本人(この映画の主人公)で、日韓の政治状況に翻弄されて、大変な人生を歩んでいたのです。
美術館に展示されている妻の手紙は日本語なので、ぜーんぶ読んで、
こんな人がこの西帰浦に暮らしていたのかと心に残っていました。
今回、やっとその手紙の背景なども知り、あの絵に込められていた思いも知り、
今度、西帰浦に行ったら、もう一度ゆっくり見てこようと思いました。(必ず行く機会はあるので)

シネマテークに行ったら、これはもうウニタ書店
久しぶりにご主人にお会いして、近況など報告してきました。
ああ、ウニタ書店に行くと、こんな本が出てるんだなあと、読まなきゃなあと思います。

1月最終日、いい時間を過ごしました。

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師走祭り番外編

2015-01-31 00:47:29 | 百済王伝説
あっという間の1週間でした。
先週のこの時間は、師走祭り初日の神事を終え、
遅くまでSさんのお家で楽しく飲んで食べていたかと思うと、
時計の廻り方がちょっと違うんじゃないかと思うほどです。

今年の師走祭りは、師匠がフィールドワーク先で書く「カトマンズ便り」(朝1時間と決めて前日のことを記録して配信してくれる)に倣って
朝、社務所に行く前の30分くらいで前日のことをこのブログに書いてきたのですが、
(書く内容はあまりにも違う。だから内緒にしている。)
そのときでないと書けない思いもあり、いい自分の記録になりました。

さて、この一週間、
私のところには、それでそれで今年はどんな顔になったの?とか、
あのカメラの成果はあったの?とか、いろんなメールが届いていたので、
今夜は番外編です。

まずカメラですが
私が購入したのはSONYのCyber-shot DSC-WX350というもので、ビックカメラで24000円で購入しました。
これがもう感動ものでした。
1つは20xズーム(40xズーム)が本当に遠くまでよく見える。
行きの車でシホちゃんが遠くに比木神社一行を発見し、誰が神楽を舞っているか、ズームで顔を確認できました。
(でも比木神社一行からもそのバタバタしている私たちの様子が裸眼で見えたそうです。なんじゃ!)
ま、そんなズームはイマドキのカメラはあたりまえなんでしょうが
このカメラは薄暗さにめっぽう強かった。
今まで真っ暗な写真になってしまう神事が、どれもばっちり撮れました。

例えば迎え火


そして夜神楽


同じような写真が10年分はあるわけですが、
今回の写真がナンバーワン間違いありません。

そうそう、こんなふうに記念写真を撮るんですよ。


ああ、私の顔がどんなになったか?
今年は誰だったんだろう?羽交い締めにされて、まるっと塗られてしまいました。
宮司とのツーショット(自分が小さく見える!だから採用!)


そして最後に、satoko画伯から祭りの前に届いた似顔絵。


師走祭りを終えて、いつもの生活に戻ったのですが
どうもお腹の肉だけでなく、なにかいいものをつけてきたようで、
この一週間、嬉しいことが続いています。
よし、この調子!
お腹の肉だけ削ぎ落し、いい運つけて頑張ります!
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師走祭り3日目(最終日)

2015-01-26 01:25:43 | 百済王伝説
2015年1月25日(日)
これまでで最も滞在時間の短い師走祭り、
ええもう?という感じで常宿「いちもり」を発つ。

社務所ではもうへグロ塗りの準備が始まっている。
炊事係のNさんから、祭事のときに鯛を配る役かお神酒をつぐ役か、どちらかを手伝うようにいわれる。
「鯛を配る」というのは、大きな焼鯛を箸で取り分け、神職・伶人、総代らの手に乗せていくという
この私の箸使いでは祭事が終わらなくなるのではないかというような不安な作業。
お神酒担当を願い出る。

お神酒を配り終えたらへグロ塗りのスタート。
その時点では私たち炊事係の女性しか墨を持っていないので、
一人ずつ心を込めて塗ってあげる。
で、これもまた一回りすると今度は宮司から返杯ならぬ、返塗り?が始まる。
ああ、ここからはもう悪夢。
今年は羽交い締めにされて完全に塗られた。
自分ではわからないけれど、カメラマンが撮らせてと何人も来たから、
大変素晴らしい塗られぶりだったと思う。

太鼓の合図で社殿に戻り、そこから別れの「おさらば」。
初日の迎え火のあったところまで出て、遠く比木神社の方たちが見えなくなるまで大きな声で「おさらばー」と叫び見送る。
地域の中学生たちが息切れする私たちを助けてくれた。

「終わっても鳥居のところで記念撮影するからすぐに帰らないで」
途中でそんな申し渡しがある。
それって私が数年前に、せっかくだからみんなでの写真を撮りたいと思って
鳥居のところで写真撮らせてくださいといって始めたこと。
そんなこと何年も経ってから提案できたことだから、
まだ数年分しかないけれど、社務所にはその記念の集合写真が並べて貼ってある。
いつの間にか「鳥居の前で写真」となっていて、他のカメラマンも鳥居で待っていたりする(笑)。

ここでいうカメラマンはプロアマ問わずだけれど、この祭りは何年も通うカメラマンも多い。
私がいつも神社の法被を着せてもらうのは、
実は私が神社の方たちの周りをちょろちょろあるきまわるのをカメラマンが嫌って
どいてくれというのを宮司が知って、そんなこと言われるなんてと法被を着せてくれるようになった。
以来、私は神社関係者、カメラマンの態度は変わり、いまや「名誉氏子」の称号授与もまじかではないかとの噂だ(?)

社務所にかえり、火の神祭り、
そこからあとは直会。祭りが終わり、ほっとしたみなさんと日々の話に笑う。
夜どのくらい鹿に遭遇したか、
なば(しいたけ)を語らせたら右にでるものがいないというYさんの農園には
ここはマチュピチュだとかなんだとか、「ナイトスクープ」に出られそうな看板があるとか。
また来年、と別れを惜しみながら直会を辞した。

帰りは日向に帰るエミリさんの車に乗せてもらう。
彼女もまたはじめてあったときは学生だったけれど、いまでは二児の母。
子育て話や家族の話(全員知ってる)など、あっという間の一時間だった。
本当にみなさんの親切で私の「里帰り」は今回も無事におわりました。

今朝、師走祭りのことが宮崎日々新聞に「平成大合併の轍踏むな」と題して取り上げられていました。
この祭りが村が「寂しくなった」と記されていました。
確かにここ十数年で、緩やかな下降線で祭りに集まる人たちは減っているように思います。
それでも私がその場にいて思うのは、祭りを担う方たちの思いは決して寂しくはない!ということ。

以前は百済王伝説がもっと大きく取り上げられ、総代の方たちもその伝説と祭りを語っていました。
私も百済王伝説が調査のきっかけでした。
いま、神門の方たちからはそんな話はあまり聞かれなくなりました。

それでもこの祭りに、入り厄の方たちは魅せられていました。
こんな体験ができてよかったと話していました。
総代の方たちはこの祭りを自分たちが次の世代に伝えていきたいと話します。
炊事係の女性たち、たぶんこの祭りで一番大変なのはこの炊事係なのですが
それでもこの祭りのためだと思うと頑張らなきゃと思うと話していました。

今回、長年この祭りを支えてきた生き証人とも言える比木神社の元宮司が初めて参加できませんでした。
祭りそのものは滞りなく進みましたが、それでも神職・伶人のかたたちにとっては
大黒柱が不在の祭りを自分たちで成し遂げていく責任感と達成感とで今年は特別の年だったように思います。

この師走祭り、この南郷神門、そのこれからは決して寂しくないと思います。
だからこそ、この祭りのこのなんとも言えない暖かさや穏やかさを
私と同じように心で感じてほしいなとおもいます。

他所者だけれど決して他所者でないこの思い。
祭りのあとのなんともいえない寂しさを感じながら
また明日から頑張ろう!とおもいます。
がんばろう!その思いの後にはたくさんの本当にたくさんの支えがあること、
神門に行くと、ああ私は一人ではないなと思います。
たくさんの顔を思い出して、ああ、来年もみんなと元気な顔で会おうと思います。

師走祭りを終え、新年きっといいことがありますように!
みなさん、本当にありがとうございました!!



















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師祭り2日目

2015-01-25 09:33:34 | 百済王伝説
2015年1月24日( 土)
神門の朝は寒い。
零下5度、朝10時でも車の窓は真っ白だった。
そういえば、昨夜飲んでいるとき、車の窓が凍ってこないか
ご一緒したMさんは何度か外に様子を見に行ってたのだった。

午前中の祭事は神職の方たちによるものなので、
祭事の始まりを確認して、私は神社下の「いっつもや」で農産物をあれこれ。
そして神社上まで一気にあがり南郷温泉山霧へ。
ここの温泉はとろとろで、温泉はもちろん、
私は基礎化粧品でもここの温泉のお世話になっているのです。

ツルピカになって祭事の後の昼食に合流。
お餅をたらふく食べる。

午後からの祭典はまたまた歩く。
例年歩く方が、今年は神社で待ってるわなどと聞くと、
こうやって担い手が変わっていくのだなあと思いながら
いつまで私も歩けるかなと思う。
いやこの話、80 才台のひとがいってるのだから、
私はまだ相当歩かねばならないだろう。

直会を終え、夜神楽へ。
ここでは私の顔を見つけて、今年も来ていたかと声をかけてくださる。
大正10年生まれで神楽せり歌の名手Kさんは、
一昨年、いつも来てくれてありがとうと素敵なネックレスを祭りのあとに送ってきてくださった。
今回、つけてきましたよとお見せしたら、送ってくださったことを忘れていた(笑)
でも私のことは覚えていてくださって、会えてよかったと喜んでくださった。

神楽を見ながらいろんな話をする。
この祭りが新たな試みをはじめて今年で29年、
当初は大変な人数だったと聞く祭りが、着々と人を減らしている。
今回はその点での危機感もいろんな方からお聞きした。
ただ人数をという問題ではなく、この祭りがどのように維持されていくか、
ここからの奮闘は決して他人事ではないと思う。

ここに帰ってくるとたくさんしゃべって、食欲と飲み欲も倍増する。
今夜もよく飲んだ。
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師祭り1日目

2015-01-24 09:37:12 | 百済王伝説
2015年1月23日(金)
宮崎ブーゲンビリア空港に10時過ぎについて日向市駅に向かう。
変わらない笑顔のシホちゃんが迎えてくれる。
彼女と初めてこの祭りであったときは彼女は中学3年生。あれから10年以上が経ち、
すっかり素敵な女性になって、車中楽しくあれこれと近況報告。
間に合わないと思っていた あぶら田渕での昼食に合流できた。
そこからは久しぶりー!と当たり前のように食べる、飲む(湯呑みで焼酎!)

祭りに参加している入り厄の方たちは昭和50(1975)年生まれ。
師走祭りがまさに 小さな村の大きな挑戦!時代に入る頃の世代。
東京からもこの祭り参加に帰省しているという方もいる。

これまでのこの地域の方々の努力がこうして次の世代を動かしていることを考えると
この長くきっと終わらない編年調査も、
師走祭りの記録として意味を持つときがくるかもしれない。
なんてゴールを遠くにしないで、書くことでお礼としなきゃなあと思う。
去年韓国で出版された師走祭りの報告も、
この地域人たちの目に触れることはないのだから。

でもみんな全然そんなこと気にしてない。
昨日は長年写真を撮りに来ていらっしゃる方から、
去年会えなかったからとたくさん写真をくださった。
祭事のあちこちで再会の挨拶をした。
そして昨夜は深夜まで、初めての祭りで出会った友人とおおいに飲んだ。

ああ神門(みかど)に帰ってきたなとおもう。
おおいにくつろいでます。




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