ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

携帯電話

2008-03-29 15:15:12 | シホのホ(雑記帳)
昨日の朝のこと、サホだけ朝寝坊して、いつもどおりに起きた3人で朝食を囲んでいたところ、今日は遅くまで寝ると宣言していたはずのサホの部屋からいつもの時間に最大音量の「目覚まし」の音が聞こえてきた。仕方がない、消してやろうと部屋に行くといつものところに「目覚まし」が無い。
サホは誕生日に友だちから本物の目覚まし時計をプレゼントしてもらっているのに、このところ私の古い携帯電話(通話不能)をこまめに充電して目覚ましとして使っている。本物の携帯電話が欲しいのは目に見えている。

驚いたことに、目覚まし音は前日友だちと出かけた時に持っていったバックの中から鳴り響いていた。えーっ、このボロ携帯電話を持って出かけていたの?

目覚まし音を止めて、食卓を囲むパパ・サトルと兄・ワタルに報告。ワタルが「買ってやってよー。」と叫ぶ。
我が家は欲しがり続けたワタルを中2の秋まで我慢させた。それでも早いと思う人がいるかもしれないけれど、パソコンなどの情報機器に興味あるワタルにとっては欲しくてたまらないモノだった。中2の秋の試験前に「頑張ったら買ってあげる」と言ったら、かなり頑張っているようなそぶり(!)だった。「成績上がらなかったらモンゴルに帰るから」とその頃の相撲界を示唆するような発言までしていた。…さぞかし成績は上がったことだろうと思い、試験の最終日には買ってやった。「肝心なのは結果じゃないよ、それに向かう努力だよ。」…ここまでは美しい話だけれど、数日後の結果は全然上がってなくて、あれはなんだったんだ?なんていうことがあった。…つまりワタルとはそんな携帯電話獲得の親子バトルがあったというわけだ。
だからサホには「お兄ちゃんも中2の秋まで我慢したんだから、それまではみんなが持っていても携帯電話は買わないよ」と宣言していた。その姿を見ていたから、サホも納得しているようだった。

納得していると思っていたのにボロの使えない携帯電話を持ち歩くサホって…と思ったところにワタルからの「買ってやって」に、「いいのー?」と聞く。ワタルは自分がすごーーーく(かなり強調!)欲しかったから、サホが欲しいのが分かるから、買ってあげて欲しいと言った。
なんという妹想いの発言!サホって確かに地団駄踏んで買って欲しいなんて言えないところあるよね。欲しかったんだね。…というわけで、ここからは3人でいかにサホを驚かせるか作戦が早朝の食卓で練られた。

是非その現場に居合わせたいと言うワタルの要望が通り、ワタルが午前中の練習を終えて帰宅してからの決行となった。おとりは「あじ平・卒業記念ラーメンプレゼント」、直径25センチもの器のラーメンがプレゼントされるとのことで、その招待状を持ってランチに出かけるという作戦だ。問題はその店の方向と携帯電話のお店の方向が真逆なこと。でも方向音痴のサホには問題ないだろうということになった。

予定の時間になり、「卒業ラーメン食べに行こう」と車で家を出る。やっぱり方向が違うことに全く気づかない。そして携帯電話の店にキュッと右折して入る。「?」のサホに「ちょっと修理するから、付いてくる?」と平静を装う。ワタルは現場を正面で押さえるためにそそくさと店に入る。
付いてきたサホに店に入るなり、「サホ、どれにするか選んで」と言ったときのサホの顔。ワタルと大爆笑した。幸せなムンクの叫び?口がまん丸になって開いていた(開いてることはよくあるけれど)。

現場をというよりも、ワタルを連れてきてよかった。でなかったらサホは機種を選べずに終わったと思う。ワタルは自分から言い出したことでありながら「半年違うだけでこんなに携帯電話って違うわけ?」と羨ましがり、だんだんいつものワタルに戻ってきた。サホは「信じられない」と連呼した。

晩になってようやく「サホはカバンになんで古い携帯電話入れてたの?そんなに欲しかったの?」と聞いた。「あれ?時計代わり」とあっさり言われた。みんなと同じように持っていたくて使えない携帯電話を持ち歩いていたと言う我々の推理の元に、予定よりもかなり早く与えた携帯電話に、その答えは「ギャフン」という感じだった。
でも久々に家族で盛り上がった一件だった。

おまけ:
携帯電話のアドレスを何にしようかと言いながら、結局、先日ミニバスでゲームをするのにチーム分けした時に監督からサホチームにつけられた「バスケ○○」をそのまま登録していた。全国の同社携帯電話の中でこのアドレスが今まで使われていないことも驚きですが、そんなアドレスにするのも驚きです。

夢はかなう!

2008-03-28 10:59:22 | シホのホ(雑記帳)
春は別れがあり、出会いがあり、まさに新たな世界に飛び込んでいくところ、このブログを読んでくださっている方の中にも、そんな方がちらほら。

最近、嬉しい電話がありました。
Sさんは遥か昔の高校講師時代に副担任をしたときの教え子です。遥か昔だから、Sさんは既に32歳。コメント欄で盛り上がってる「にのご」の面々の3学年下、「いちのに」(TH高1年2組)だったSさんは充分におじさん域に入りつつあることでしょう。
彼は大学進学後、就職し、建築現場で指揮をとっているような話を聞いていました。時々ひょっこりと近況報告をくれるようなところがあって、そんなときはいつも、「でもやっぱり学校の先生になる夢、捨てきれないなあ」と話していました。
ある年だったか、通信教育で教員免許を取るような話をしていましたが、とにかく仕事が忙しそうで、私が非常勤講師で出かけている愛知県立大学の隣に「愛・地球博」万博会場が作られているときは現場で頑張っていたようなのですが、「今すぐそばにいるんだけれど、忙しすぎる」と会えずじまいでした。
いくら気持ちはあっても目の前にすべきことを抱えている時、それでもと踏ん張ることはなかなか難しいことでしょう。私は「小学生と接したいなら、サホのミニバスケでも覗きにきたら?」なんて暢気なことを言っていました。(本当に子ども大好きという人で、我が家に来たときにはワタルにバスケを教えてやる!と、ワタルがまだヨチヨチなのに、まとわりついていました。彼もバスケ命でしたから、彼ならきっと好きな世界だと思ったのです。)

さて、電話口のSさんは「5年もかかったけれど、なんとか免許取りました。教員採用試験はまだだけれど、とりあえずこの春から小学校で常勤講師として担任も持つことになりました」と嬉しそうに伝えてくれました。すごいなあ、心からそう思っています。わたしもまた教員採用試験には合格せずに講師という立場だった口です。「現場に立つことが肝心なことだよ。子どもにとっては変わらないよ。」と肩をたたきました。(電話なのに?)

昨日はSさんのお誕生日、32歳なんだなあと感慨深く思ったら、私も同じ歳に大学院に入学し、新たな世界を知ったことを思い出しました。 現役の若い人たちについていけるかなという心配は、案外あっさりと、これまでの経験が決して無駄ではなかったという自信にかわったものでした。

いつもクラス「いちのに」のお調子者役をこなし、いかに良いクラスにするかに心を注いだSさんでした。10年以上前になりますが、同じクラスのGさんがある大学の食堂に勤めていて、偶然再会した時に、「今思い出しても、小中高の12年間で一番あのクラスが良かったなあ」なんて言っていたことがありました。
3月の終業式の後、クラスのお別れ会をやって泣いたもんなあ。1年生の時点で泣けるなんて、ほんと良いクラスの仲間に入れてもらえたと、「にのご」もそうなんですが、そういう強運が私にはある気がしています。副担任という忘れられてしまうそうな立場でありながら、そんなクラスの仲間たちは私を忘れずに仲間にしてくれます。

考えたら、私が32歳で新たな世界に入ってから、もう10年が経っています。たくさんの仲間を得て、どんなにか自分を磨いてくれて、今があります。

思いがあれば、夢はかなう!そんな32歳に励まされながら、わたしもまた夢から10年の自分を見せられるように、頑張らなきゃなあと思います。

百済・クダラ・くだら

2008-03-25 17:26:32 | 百済王伝説
ようやくソウルの韓国学中央研究院の「日本に残る朝鮮の神々」プロジェクトに宮崎の師走祭り同行記録を提出しました。
2003年から2008年の6回の祭りの全行程を同行する中で、これまでに他の方が書かれたものに頼らず、目の前で見ることのできた祭りの所作と、その時に実際に聞くことのできた百済王伝説に絞って記すことを心がけました。
研究者であればみなさん同じだと思うのですが、こうした調査報告を記しておきたいと思っても、どこにどう発表するのがいいか、思い通りになることばかりではありません。その点で韓国で活字にしていただくことになったこと、私の百済王伝説の捉え方に注目し、機会をくださったことに感謝しています。
同時にこれまでの百済王伝説の論文も翻訳してくださることになり、拙稿によって新たなフィールドへの興味を持っていただくことになれば嬉しく思います。
なんとかハングルをものにしなくては…ここからがいつもいけません。

さて、そんな執筆に追われている間に、不思議なことに「百済」と出会いました。
正しくは百濟さんと知り合いになりました。
時にはmixiも役立つ時があるようで、母校の小学校のコミュニティーで私を見つけてくださった百濟さんが、「おおっこれはかつて見た『ほるほる』の人だ」と気づいてくださったのです。
お父さんが山口県出身という百濟さんは、現在はアメリカのボストン暮らし。
インターネットが無かったら、全く出会うことがなかったように思いますが、
私とは数歳違いで、同じ時期に同じ小学校に通っていたことを知り、縁てあるんだなあと思いました。

さあさあ、百済が身近になってきましたよ。

というわけで今年の師走祭りのことをもう一度思い出しました。
祭りの前日に比木神社宮司のところに挨拶に行ったとき、「車の中で聴いて!」と笑いながら差し出されたCD。これは比木神社のある木城町役場の職員中村さんが作詞・作曲した「福智王‐神代千年‐」という唄でした。
これがもう頭から離れない!!
「クーダラー(百済)オウ(王)オウ(王)オウ(王)」と繰り返し唄うのです。
ラジオでも流れるようで「知ってるよ」なんて人もいて、恐るべし百済王!

いまを生きる百済王伝説、ますます楽しくなってきそうです。
写真は今年の師走祭りの礼状用に作ったものです。神門神社の屋根瓦が葺き替えられて、光っていたのが印象的でした。

八丈島からフリージア

2008-03-22 16:28:32 | シホのホ(雑記帳)
いつも食べることばっかりの「ほるほる」ですが、
年に一度、八丈島のSさんから抱えきれないほどのフリージアをいただきます。
スーパーの花のコーナーで見かけるフリージアは白と黄色なのですが、
八丈島から届くフリージアは色鮮やかで香りも部屋中に広がります。
本当にありがとうございます!!!!!
部屋がこの色どりと香りで一杯になると、新年度が始まるなあという気持ちになります。
早いですね。毎日が驚くほどの早さで過ぎていきます。

ワタルの野球の試合には間に合いませんでしたが、このブログでお馴染みのsatoshiさんが息子さんのところに行く途中に立ち寄ってくださって、熊野の柑橘セットを持ってきてくださいました。(サホにはホワイトデーのお返しがありましたが、間違いなくサホは笑ってしまうお人形です。)感謝感謝!
一緒に野球の応援に行っていたお馴染みsatokoさんと初のご対面。
satokoさんはあんまり自分が描いた似顔絵そのままの人が登場したので感激し、「わたし自分の似顔絵に自信持ったわ!」と言っていました。京都に?熊野に?行けば、感激の嵐となることでしょう。
車の中は甘酸っぱい香りでいっぱいになりました。やっぱり食べるものも欠かせません。