7:00朝食。ようやく参加者の方たちと顔を合わすことができた。
8:15ホテル・黄金海岸大酒店(ホテルの前がビーチというリゾートホテル)を出発し、徐福上陸地、徐福が不老の丹薬をつくるために掘ったと伝わる丹井(井戸)、徐福が象山に滞在したことを伝える唐代の蓬莱観碑(再建)、徐福が2年滞在したと伝わる石屋などを訪ねる。既に2013年に案内いただいたところではあったけれど、今回のために細かな配慮が加えられており、手すりができていたり、道も舗装されていた。
2013年に来た時はまだ内装が完成していなかった施設も綺麗になっており、展示にもかなりお金がかかっていた(私が来たことも既に象山徐福会内ではひとつのできごとにカウントされていて、呆けた顔で聞き取りをしている姿が施設展示や案内パンフレットに紹介されていて、気を抜いてはいけないと思った。)古老から徐福の話を聞くなどの子どもたちに伝えていく取組みも象山では試みられているようで、この日は新たに作られた「徐福講堂」で子どもたちが大きな声で道徳の書物を読み上げていた。
11:00にはホテルに戻り、昼食をすます。
リハーサルもあったので早めに大会議室に行くと、再会の記念写真が続く。会えなかった間に出版した本をサインを入れてプレゼントしてくださる方も多く、感謝感謝。なかでも古くからお世話になっている張良群さんは1950年から2015年の『当代中日韓徐福文化交流図志』(2016年)という写真で見せる徐福交流史の本を出版。そこには私が大学生時代に徐福伝説を知った経緯が紹介され、当時の写真が中国のどなたかから提供されていて驚いた。また古い友人Fさんは先祖が唐代の詩人だったとかで、先祖も徐福のことを唐詩に詠んでいたことがわかり、その詩を収めた本や昔収集したという日本の1936年の『方言』(東京・春陽堂発行)をくださった。どうやって入手したのだろう。
14:00象山フォーラムスタート。司会は地元・寧波テレビ局のアナウンサー。中国の大会の開会式では恒例の現地の役人たちの挨拶のあと、中国徐福会会長・張雲方氏、日本は羽田孜元総理の息子・羽田次郎氏が祝辞代読、韓国は元北京・名古屋総領事の柳洲烈氏が続く。登壇のたびにファンファーレみたいな曲が流れて、大袈裟な感じがしたけれど、この日は最後までこの感じが続いた。
開会式に続いて、2012年の象山大会で予定されていた表彰式がおこなわれた。表彰は3種あり、徐福文化貢献賞の個人賞と団体賞、そして徐福研究優秀論著会長賞=特別賞。私は徐福文化貢献賞個人賞と徐福研究優秀論著会長賞をいただいた。2012年の時には会長賞は各国1人で賞金もあると言われていたので、今回、日本の方たちから「今夜は逵さんのおごりだね−!」なんて声もあったのだけれど、残念、今回は賞金はなかった。でも今後も3年毎に表彰していくという話だったので、ぜひみなさんがんばりましょう。
そのあとホテル前で記念写真を撮り、15:00から基調講演。基調講演はそれぞれ15分程度で、6人が登壇した。
今回の大会の特徴がとてもよくわかるラインナップとテーマだったと思うので書いておきます。
司会:中国:陳勤建:国家非物質文化遺産保護工作専家委員会委員、中国民俗学会副会長、華東師範大学対外漢語学院終身教授
1)中国:羅来興:中国共産党象山県委員会常務委員、宣伝部長「徐福文化の伝承と国際交流の拡大に向けて」
2)中国:姜躍春:中国国際問題研究院世界経済研究所所長、研究員「中日韓の協力を図るチャンスとチャレンジ」
3)中国:劉魁立:中国社会科学院栄誉学部委員、中国民俗学会栄誉会長「地方風物伝説の人的視覚」
4)中国:湯重南:中国社会科学院世界史研究所研究員、博士課程指導教官「徐福東渡と東アジア文化」
5)日本:逵志保:愛知県立大学講師、博士「徐福伝説を中韓日で語り継ぐために」
6)韓国:柳洲烈:韓中投資交流協会諮問大使、徐福国際文化研究協会顧問、韓日協力委員会事務総長、元北京・名古屋総領事「徐福ロード」
今回の特徴は中国民俗学会の方々が徐福の会議に登場したこと。これは今まで全く無かったことだ。中国徐福会は世界文化遺産登録にすすめるには伝説でいくしかないと主張しているが、もう次の段階に入っているのだと理解できた。
日本からも肩書ある人に入ってもらいたかったのではないかと思うけれど、中国徐福会・象山徐福会のみなさんがこうした機会を与えてくださったこと、ただただ感謝しかない。私は今回、2012年に象山で発表することにしていた小論をこの大会がいつか開かれる時まで他では発表しないことにしていたので(開催への願掛け)、当然その話をしようと思っていた。だけれど、主催者からいま一番周りに伝えたいことを原稿にして欲しいと言われ、ならば2012年に尖閣諸島問題で象山大会が期限なしの延期になったこと、当時どのようなやり取りを中国徐福会としたか、その時の主催者の詫び状とともに、当時「徐福縁たより」として私から徐福関係者に連絡した文章を使って、あの時のことをこの大会の席で確認しておこうと決めた。それはきっと今後の徐福伝説を取り巻く交流史に残しておくべきことだと思ったから。
今回、この発言について、あとから日本の方に「よくあの場で言えましたね」と言われたのだけれど、私が徐福関係者だけでなく地方政府の方たちが多くいる前でこの発言をすることについて躊躇しないですんだのには何よりも同時通訳の方たちへの信頼があった。今回もまた北京から4人の国レベルの同時通訳の方たちが乗り込んでくださっていたのだけれど、そのうちリーダーで日中担当のYさん、日韓担当のKさんは私の古くからの友人で、二人は私が発表するときは必ず二人が担当して私の発言を確実に伝えるから、どんなアドリブも大丈夫!と言ってくれていたのだ。それは本当にありがたかった。
18:00基調講演が終わるとすぐにホテルの会議室から離れにある大ホールに移動。「2016中日韓徐福文化象山フォーラムの夕べ「山と海の伝説」」と題して徐福の音楽舞台があった。背面の映像とパフォーマンスに圧倒された。
そのまま円卓での大宴会が始まり、大盛り上がりで散会。