ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

『中華遺産』(中華書局)に徐福

2007-01-31 12:30:26 | 徐福伝説
中国で発行されている雑誌『中華遺産』(ISSN1672-8971・中華書局)で、「徐福の故郷」江蘇省連雲港市贛楡県が取り上げられることになり、ここ2週間ほど、渡来伝承地として取材先の日本国内の各伝承地の関係者と打ち合わせに明け暮れています。

ハードな来日スケジュールの中、「想定外」のことがどんどん飛び出し、昨日は午前中に和歌山県新宮市で取材をしていたのですが、急遽、午後は波田須で取材ということになりました。私は愛知からY波田須区長にSOSを出しました。ところが既に仕事で外に出ていらっしゃる。そこで徐福茶屋を到着時間にあわせて開けていただいて、そこを目印に来るよう指示し、M前波田須区長に電話し、案内をお願いしました。
なんて勝手な話!でもそんな急な話にMさんは「あいよ!」と快く返事下さいました。そして無事に取材は波田須でも行われました。感謝!!

その後、取材班は名古屋へ。中華書局の方たちを案内する団長は中国・連雲港市徐福研究所長Zさん。このブログをこまめに読んでくださっている方ならご存知の、私の本場餃子修行の師匠宅のZさんです。
名古屋でお会いするのは初めてだったので、今夜は名古屋の味を!と張り切ってお財布にたくさん(嘘!)お金を入れていったのですが、Zさんたちはホテル着までの間に食事を済ましていて、というか、そんな暢気な状態ではなく、明日以降のスケジュール確認に必死の時間を過ごしました。再会の喜びもつかの間、ホテルでひたすら各地と連絡を取り合い、その姿は即席秘書でした。

なぜそんなことになっているのかというと、今回は取材旅行ということで既に手配された旅行社が作っているスケジュールが先にあり、でも各地では歓迎の宴や市長等への表敬訪問がある。旅行社はこのような計画までは手が出ないわけです。

来日が予定日から遅れたこともあって、各地の方と「どうなってるんだあ」と連絡をとり、数日前から取材班を各地で受け渡していく中で、新宮のSさんが「なんか徐福のネットワーク、できてきとるやないですか(=できてきているではないですか)」とおっしゃいました。確かに人と人の間を取材班が渡っているのです。
今朝、取材班は東京へ。私はその後の韓国での日程確認をするために国際電話。そして連絡。ネットワークは海を渡っても続きます。

日中韓の徐福文献に関する原稿分担執筆の依頼を受け、私からもいくつかの近況報告を済ませ、Zさんと別れました。今度は名古屋の味をゆっくり食べにきてくださいね。
一路平安!彼らの取材旅行は続きます。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
え・・・ (satoshi-k)
2007-01-31 21:15:46
熊野に来てたんですか?
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私は愛知で (シホ)
2007-01-31 21:22:23
愛知から電話でお願いしていたんです。
本当に申し訳なかったです。
波田須に行くのに、satoshiさんに隠れて行こうと思っても無理でしょう。
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ではなくて・・ (satoshi-k)
2007-01-31 22:14:35
中国の方がいらしてたんですよね? もしお手伝いできることがあれば、使ってもらえばよかったのに・・でも、波田須に関してはシホさんの方が顔がきくかもしれませんが・・
それにしてもパワーがありますね。2泊3日の宮崎行きの後これだけの激務?を果たすとは・・私だったら、たぶん2、3日何も手につきませんよ。
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ありがとうございます (シホ)
2007-01-31 22:24:52
今回は新宮市役所の方がそのまま熊野まで送ってくださり、一緒にまわってくださいました。
事前にわかっていたら、また海からの波田須をお見せしたかったですね。今年は日中国交正常化35周年で、まだまだこういう機会はありそうです。
そのときはお世話になります!
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