ほるほる

矢作川のほとりで枝下(しだれ)用水を、
徐福・百済王で中韓日の渡来人伝説を楽しむ
逵(つじ)志保のページです

三浦周二朗さん(高橋ますみさんの息子さん)が本を出しました

2018-12-07 14:02:31 | シホのホ(雑記帳)
演劇人・三浦周二朗さんが母親の介護をきっかけにペンを持ち、『記憶は消えてしまうから-認知症の母と暮らしながら書いたエッセイ-』を自費出版しました。
私のまわりの方には「高橋ますみさんの息子さんの」と頭につけたほうが、うんと共感を呼ぶことでしょう。



私が子育て時代、20年くらい前になるでしょうか、名古屋地域で(いやもっと広範囲だったと思いますが、私たちの地域という意味で)女性グループを牽引してくださっていた方がありました。
高橋ますみさん、おっかさんという感じの親しみやすい方で、私は彼女が代表をつとめるグループ・ウィン女性企画に出入りしていました。出入りしていたというのは、私たちは妹分のようなSKIPという託児付きイベント企画のグループで活動していて、ウィン女性企画はその姉貴分、子育ての次の女性の自立や、高齢社会への眼差しをもって活動していましたので、機会があれば勉強させていただいたり、わたしにもできる仕事があればその時は仲間に入れていただいたりしていました。上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』の読書会。なかなか集まってはできないからとウィン女性企画内での読書会とともに紙面読書会を重ね(その小冊子の編集を担当していました。SKIP会報『やっほぉ〜』、豊田土地改良区資料室ニューズレター『枝下用水日記』など、形を変えて通信発行をしている私です。)、最終回には上野千鶴子さんを囲んでの湯谷温泉読書会なんていう贅沢な集まりもありました。素敵な先輩たちの心地よいグループでした。そのグループの心地よさは高橋ますみさんの人柄がみんなにじわっと広がっている感じでした。
いまでも思い出すのは初めてウィン女性企画に行ったときのこと。ますみさんは誕生日を聞くのです。それは覚えておいてプレゼントをあげましょうというのではなく、誕生日を聞いた私(ますみさん)のことを覚えておいて、年になったら自分の誕生日に私を訪ねてね、そしたら私のところには毎日人が来てくれるからとおっしゃっていました。ところが私が「2月2日です」というと、ますみさんは「ああ、それは私の息子と一緒だわ。かぶるわね」とおっしゃいました。そうか、息子さんは2月2日なのかと、それはますみさんのおっしゃる通り、忘れない出来事となって頭の中にありつづけました。

ますみさんが認知症になったときいたのはもう10年も前になるでしょうか?年賀状が息子さん・三浦周二朗さんから届き、また後にはNHKの番組に母がでますという知らせをいただきました。認知症のことを扱う番組でした。お母さまに寄り添い、献身的に介護なさっていることがこんなやり取りからも伝わってきていました。
その三浦周二朗さんから、『記憶は消えてしまうから-認知症の母と暮らしながら書いたエッセイ-』が送られてきました。
こんなことを書くと不謹慎でしょうが、これまで他からいただくこうした本は亡くなってから出るものが多く、手にしたとき、はじめドキッとしました。ですが同封のメッセージを読んでああよかったと思いました。「母がアルツハイマー型認知症になってもう15年ほどの時間がたちました。」周二朗さんはいまも「認知症の母と暮らしながら」この本を書いたのでした。
私たちが当時接してきた高橋ますみさんとは全く違う、いや全く変わっていないところも、周五朗さんの文章から伝わってきました。そしてこの本は介護と向き合うばかりの本ではなくて、そんな母と暮らしながら自分のこれまでを思い出し、書くことできっとときには嫌なことを忘れたり、その後にもう一度目の前のことに取り組む元気を自分で奮い立たせてきたんだろうなと感じられるエッセイでした。

私はまだ介護と向き合うというところまでは行っていないのですが、それでも両親の日々を気にかけながら過ごしています。毎日仕事帰りの車の中で母から父の様子を聞き、またそれを話す母の様子を確認しています。でもそれは過ぎていく日々で、今回、一冊になった日々のエッセイを手にし、書くこと記録していくことの大切さが身にしみました。周二朗さんが何気なく書いたであろう母の様子のことが、ああそういうことかと私にはよく分かることなどがありました。

周二朗さんからいただいたメールにこんな一文がありました。
「介護に関しては、先に教えておいてくれたら良かったのに!と思うことはたくさんあります。認知症初期には同居家族はやることがたくさんありすぎて、情報収集をしているヒマがないんですね。私自身が認知症関連の本を読み出したのは、志穂美さんと結婚して、介護にかなりゆとりがでてきてからなのです。知っていればなんということもないことがたくさんありました。」
本当にそうです。私も父の病気を見つけるのにずいぶん時間がかかりました。かといって私たちは日ごろそんな話をあれこれ周りの人と話してはいないのです。

そうそう、周二朗さんに文頭の誕生日の話をしましたら、驚くような返事でした。
「私は1月8日生まれです。誕生日の話は多分、ますみさん自身と同じ誕生日なのではないかと思います。母は2月11日生まれという事になっていますが、実際はそれよりも前で、祖父母が建国記念日に合わせたのだという話を聞いたことがあります。昔はそこら辺ゆるかったんですね。」

なーんだ、息子と一緒じゃなくて、自分だったんだ。私は高橋ますみさんと同じ誕生日だったのかもしれませんね。そう思ったらうんと元気がでてきました。だってあんなに周りを奮い立たせ、素敵な仕事をなさってきた高橋ますみさんと同じ誕生日なのですから。

ぜひみなさん、読んでみてください。ご注文は下記まで。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/shujiro/
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豊田土地改良区資料室ブログ「枝下用水日記」を更新しました。

2018-11-27 16:00:11 | 豊田土地改良区資料室
豊田土地改良区資料室ブログ「枝下用水日記」を更新しました。
ぜひ御覧ください。→ http://blog.goo.ne.jp/shidareyousui

2018年11月27日 「2018年11月15日 豊田鉄工 植物工場「アグリカルチャーR&Dセンター」を見学しました」
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2018年11月3日 徐福学習講演会(京都府与謝郡与謝野町)に行ってきました

2018-11-24 15:09:15 | 徐福伝説
2018年11月2日・3日、丹後徐福研究会主催の徐福学習講演会(京都府与謝郡与謝野町)に出かけました。
京都駅から「特急はしだて」に乗り、前に来たのはいつかと思いだしてみると、2011年2月6日に京都府地域力再生プロジェクト支援事業として、丹後徐福研究会主催の講演に呼んでいただいた時以来です。同じ丹後徐福研究会という名称ですが、2011年のときは伊根町・石倉昭重さんが頑張っていらっしゃいました。これまで丹後半島で徐福伝承地といえば京都府与謝郡伊根町であり、新井崎神社であり、石倉さんでした。ですから今回は同じ丹後半島でも初めての伝承地訪問、研究会の方とも初めてお会いすることになったのです。
新生の丹後徐福研究会はこれまでの研究会を引き継ぐかたちで昨年2017年11月に新たに設立・参加を呼びかけ、その年11月3日に「徐福サミットin与謝」を開催し、今年2018年1月に京都府日本中国友好協会、与謝野町日本中国友好協会の会員を中心に設立された新しい集まりです。とはいうものの、ここは度胸、今年は北京から中国徐福会会長・張雲方さん、連雲港から中国徐福会顧問・張良群さんを招いて講演会をおこなうといいます。準備時間も少なく予算も少なかったらしいこの会の、なんとか成功させたいという思いと中国側との調整に入るかたちで準備段階から関わったこともあり、そしてなによりも大きな目的があって、今回、私も出かけてみることにしました。
その大きな目的とは、与謝野町の高野山真言宗 滝山施薬寺で毎年11月3日だけ公開されるという与謝蕪村の「方士求不死薬図」(六曲屏風一双)の絵を見ることです。ここでいう方士とは徐福だということで、どんな絵かは以前から知っていましたが、実物を拝観できると聞いて、行かないわけにはいかないと思ったのです。

11月2日夕方、京都駅から2時間で天橋立駅着。迎えに来てくださった会の方の車で会場・与謝野町温江「かや山の家」へ。公共の宿が出発点のようなのですが、そんな味気なさがない、なんだかとっても素敵な空間で嬉しくなりました。http://www.kaya-yamanoie.com 丹後徐福研究会のみなさん、日本と中国の徐福仲間と丹後地方の美味しい料理を囲んで話が弾みました。宿泊は京都府野田川ユースセンターへ。(ここもとても美味しい朝食で、覚えておこうと思ってわざわざ名前を書き込んでいます。)



11月3日午前、「かや山の家」で徐福学習講演会がおこなわれました。今回、まだ徐福のことを知らないという方が対象と思い、ご講演者のおふたりにはそのことを伝え、中国で、そして徐福の故郷と伝わる連雲港でこれまでどのような徐福を取り巻く動きがあったかをお話しいただくことにしました。

「中国の徐福文化研究」中国徐福会会長・張雲方さん
「連雲港の徐福研究及びその成果」中国徐福会顧問・張良群さん

おふたりのご講演は丹後徐福研究会のみなさんに刺激的だっただけでなく、これまでの活動の背景を知ることにもなり、とても貴重な時間でした。不慣れでもなんとか成功させたいという会の思いに、ご自身たちが長い間尽力し、苦労してきた方々だからこそ応えてくれたようにも思いました。

「かや山の家」での昼食後、念願の高野山真言宗 滝山施薬寺に向かいました。与謝蕪村「方士求不死薬図」(六曲屏風一双)を初めてこの眼で観ることができました。(撮影禁止ですのでこちらをご覧ください。→http://www.town-yosano.jp/wwwg/info/detail.jsp?common_id=2683





以下、祖父から3代目となる二谷住職のお話から
この絵は今から260年前、蕪村が宝暦4-7(1754−57)年に丹後に滞在していたときに描かれたものです。蕪村の40歳ころの作品で、作品としては初期にあたります。この絵の入手経緯はよくわかっていないのですが、蕪村は小さいころ施薬寺に預けられていたそうで、度々ここを訪ねてきたのだそうです。しかし蕪村はあまり生い立ちを語ろうとはしなかったそうです。
「方士求不死薬図」は墨絵に朱が入っている絵で、東西に薬を求めて新井崎に漂着した徐福の話が描いてあるものと思われます。左に子ども2人と徐福。右に子どもと薬と仙人。仙人は薬を持っていて、徐福が仙人に敬意を示しています。徐福のそばにいる子どもは竿に小銭をぶら下げている者と籠を持っている者がいます。仙人のそばにいる子は中国らしく頭を丸めています。薬の番をしているはずが寝入ってしまっています。左に雅号・四明と書かれていますが、印はありません。
明治時代、施薬寺は全焼したのですが、この絵は大きな屏風だったので蔵に入れてあり助かったのだそうです。
施薬寺は桓武天皇の病気を治したということで当時の空霊上人が施薬寺の名前をいただいたそうで、薬師如来があります。1985-86(昭和60-61)年に修復したときに加悦町指定文化財から京都府指定文化財(1986年4月15日)となりました。京都府指定文化財となると公開の義務もあり、当時4回だった公開は今は11月3日の1回にしました。

与謝蕪村ははたしてどこで徐福伝説を知ったのでしょう?なぜここでこの絵を描いたのでしょう。知りたいことはまだまだたくさんあります。そして与謝蕪村が「方士求不死薬図」を描いたことを知らない人、知っていても年に一回11月3日にこの絵が公開されていることを知らない人はたくさんいると思います。私も去年初めて知りました。ぜひ多くの人に知ってもらいたい、そして自分の眼で見てほしいと思いました。



その後、丹後半島の伊根町まで車を出していただき、新井崎神社を再訪しました。中国からおこしになった方たちには徐福伝承地の新井崎神社ぜひ見ておいてほしかったのと、ここまできたのだから石倉昭重さんを訪ねたいと思いました。





新井崎神社は徐福を祭神とした神社です。疫病がこの地で流行っていたとき、徐福が当地に辿り着き人々を救ってくれた、そのために祀られているのだと伝わっています。数年ぶりに訪ねましたが、整備もされており、海側から神社を確認することができました(上の写真、わかるでしょうか、右側の背の高い木の奥に鳥居があります)。また看板の案内文は気の利いた文章で、大切にされているなあと感じました。
ここまできたら石倉昭重さん宅に行かないわけにはいきません。石倉さんはこの地で長く徐福を語ってきた人物です。商工会議所時代には薬用入浴剤「蓬の香」や清涼飲料水「蓬・健康ドリンク・仙丹」を商品化していました。どちらの商品も与謝蕪村の「方士求不死薬図」の絵がパッケージに使われていたので商品名に徐福とは入っていなかったのですが、徐福のこととわかりました。地元の祭でも徐福の仮装をしている姿がインターネット上で出ていましたし、ご自宅の前には「蓬莱庵」と立て札をたて、徐福のことで訪ねてくる方を歓迎していらっしゃいました。



7年ぶりにお会いする石倉さんは92歳、懐かしいとそばによる人たちと、この人が石倉さんかと丹後半島で徐福を語り続けてきたその人に会えたことを喜ぶ方がありました。こういうとき、私はどれほどか沢山の徐福の先輩たちに育ててもらってきたことかと思います。杖をつきながら、それでも訪ねてきた方々に瓢箪や中国で拾ってきた石を土産にくださるところは昔と全く変わっていませんでした。



そうそう石倉さんの娘さんから素敵なイヤリングをいただきました。「よく見て!あずきなのよ」と言われてびっくりしました。この地域で穫れる薦池(こもいけ)大納言がついていました。伊根町で地元の特産を工夫している人たちがいることに感激でした。

みなさんに別れを告げ、車で天橋立駅まで送っていただきました。
駅は外国人観光客でいっぱいでした。夕方発、天橋立駅から「特急はしだて」で京都まで、そこから新幹線に乗り換えて帰宅しました。
ついつい徐福のことでは熊野・新宮に足が向きがちですが、丹後半島のこともきちんと調べなくてはと思いました。
翌日、丹後徐福研究会のHさんからお土産にといただいた新米のなんとも美味しかったこと。美味しいものがあるところに身も心も寄せられてしまう自分に改めて気づきました。

昨日、丹後徐福研究会から電話があり、来年の11月3日には与謝蕪村のこと、そして新井崎神社のことを研究して話してくださいとの依頼がありました。調べなくてはなあと思いながら、伸ばし伸ばしになりがちの私を知っているかのようなお電話で驚きました。

来年11月3日、ぜひ丹後半島でお会いしましょう。
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2018年10月20−21日 第1回 韓中日徐福国際文化祭/第17回 韓中日徐福文化国際学術セミナー(韓国済州島)

2018-10-29 00:57:32 | 徐福伝説
2018年春、済州徐福文化国際交流協会の理事長改選があり、ここ数年様々なことを乗り越えて一緒に取り組んできた金亨受理事長が交代しました。
元西帰浦市長だった金さんは、それでも今年度の徐福事業をより大きく推進できるようにと済州特別自治道と西帰浦市役所から多くの予算を獲得してきてくださいました。
新理事長は済州戦争歴史和平博物館館長・李英根さん。新とはいっても、もう何度も理事長経験があり、信頼できる方です。
役員交代はスムーズではありましたが、それでも一つの行事を中韓日の人たちが集っておこなうことはなかなか大変な作業があり、
直前までいや当日まであれやこれやと準備・確認作業に追われ、今はすべてが終わり、ようやくホッとしているところです。



今回は例年どおりの開催でカウントすれば第17回 韓中日徐福文化国際学術セミナーでした。
私はその第1回、2002年4月26日から断続的に参加しています。
第1回のセミナーは西帰浦徐福文化国際交流協会(当時)と済州学会との共催でした。
このときのことをよく覚えているのは、当時済州学会長だったソウル大・全京秀教授が国立民族学博物館にいらして、徐福を研究している方を探しているということで連絡があり、その時ちょうど書き上げた修士論文を持って大阪まで出かけていったのでした。
すると済州島で徐福をテーマにした学会があるから招聘する、ただもうプログラムが決まってしまっているのであなたに討論の時間をあげるから、あなたはその時間をフルに使って「日本における徐福伝説の現在」を発表しなさいと言ってくださったのでした。
あのときこの機会をくださらなかったら、そう思うほどに、このときの発表がきっかけとなり、多くの人との出会いが生まれ今に至っています。

そしてそれから16年、今年はセミナーに加えて第1回 韓中日徐福国際文化祭をおこないました。
新たに文化祭を開催することにしたのは、研究者交流に閉じることなく、今後日中韓のより若い世代に、広く伝承していくための文化交流をしようという主催者の思いがありました。その主旨に韓国済州特別自治道と西帰浦市役所も支援する形となったのです。

とはいうものの、徐福伝承地の芸術団ですか、はいはいというほど簡単に芸術団はみつかりません。
夏に韓国側と打ち合わせたときには、古い日本のイメージは戦争を想起させて受け入れ難いというような話もでて、これは難しいなと思いました。
そして徐福伝承地の宮崎県にある創作エイサー高鍋しんかんちゃ〜にお願いすることにしました。

  創作エイサー 高鍋しんかんちゃ~ 
  Creative EISA~ TEAM TAKANABE SHINKANCHA~ 
  済州島公演責任者 黒木輝彦
  日本の宮崎県は、九州の南東に位置し、海に面する市や町が多く、古くから様々な人物の渡来伝説があります。
  徐福伝説はその筆頭で、上陸の際に船を繋いだと伝わる徐福岩が、今も延岡市にあります。
  徐福と同じように、禎嘉王(父)・福智王(長男)・華智王(次男)・しぎの王妃(母)の百済王族の渡来伝説があり、
  それぞれを祀る神社が美郷町・木城町・高鍋町にあります。
  師走祭りは、この親子が再会する祭りとして、1300年以上も前から行われ、現在も受け継がれています。
  海の向こうからやってくる人々を、宮崎の人々は、古くからあたたかく迎え入れてきたのです。私たちはこの高鍋から来ました。
  「高鍋しんかんちゃ~」は、2007年に結成し、三世代に渡る会員(60名)が所属し、年間約50公演ほどの演舞をおこなっています。
  2014年からは世界エイサー大会にも出場し、グランプリ部門特別賞など、受賞を重ねています。
  私たちの演舞するエイサーは、沖縄では、先祖とその子孫を会わせるための供養踊りです。
  三線、大太鼓、パーランクーの三つの楽器で、踊り継がれている伝統エイサー、現代風にアレンジした創作エイサーを、海に思いをはせてお楽しみください。

公演責任者のKさんは長年私が宮崎県美郷町の師走祭りでお世話になっている方です。無理なお願いをエイヤッと引き受けてくれました。
終わってしまえばヨカッタヨカッタで終わりますが、中国からは世界中で演奏旅行を重ねている江蘇女子民族楽団の出演が決まり、高鍋しんかんちゃ〜のみなさんは日本の代表として演舞するに恥じないものにしようと練習に励んでくださったとお聞きしました。
それは演舞で十分に伝わりました。また日中韓の文化交流という使命感をもって、会場を一つにしようと全力で演舞くださいました。
歴史的背景から、まだ日本と聞くと嫌悪感をもつ方もあるのが実情です。そのなかで笑顔と懸命な姿は言葉の壁を軽々と超え、本当に心を打ちました。
会場は大いに盛り上がり、演舞後、実行委員長の姜永植さんがすぐさまアンコールの指示を出したほどでした。
翌日には演舞スケジュールそのものを変え、高鍋しんかんちゃ〜を最後に持っていきました。演舞前後で記念撮影をしようと声をかけてくる方たちもありました。その一つ一つに丁寧に対応する姿にもまた多くの方が感激しました。

徐福研究者の交流は着々と年を積み重ねてきています。でもそれは深まっても次の新しい出会いを生んではいませんでした。
次の世代に私たちが何を残せるのかというとき、今回、徐福を通してなにかができると感じることができました。
本当のところ、文化祭だけでなく、これを私たちは徐福のセミナーの中でもやっていかなくてはならないだろうと思います。
今回、セミナーの午後の討論の中で、これまでの研究の問題点などがでてきて、それはかなり激しい発言でもありましたが、
持ち寄った発表に対して真剣に意見を言う場面はなかなかこれまでになく、こういう場面が作れるようになったとも思いました。

国と国との前に人と人との交流があり、それがいかに大切かを徐福文化祭で感じ取ってくださったかたもあったかと思います。
今度はこれをセミナーの場にも持っていきたいと、主催者はもう来年のことを考え始めています。
私もまた現場と研究の場を行き来しながら、徐福研究に励み、成果を出したいと思いました。


第1回 韓中日徐福国際文化祭/第17回 韓中日徐福文化国際学術セミナー 
日時: 2018月 10月 20日(土)~ 10月 21日(日) 2日間
会場: 大韓民国済州特別自治道徐福公園(徐福展示館屋外イベント会場)/西帰浦KALホテル

日本からの参加者14名
田島孝子:日本徐福協会会長・神奈川徐福研究会会長
伊藤健二:日本徐福協会事務局長・神奈川徐福研究会事務局長
赤崎敏男:八女徐福会副会長
亀山 勉:徐福さん振興会(延岡)会長
逵 志保:愛知県立大学講師・済州徐福文化国際交流協会諮問委員・日本徐福協会顧問
創作エイサー高鍋しんかんちゃ〜:黒木輝彦、税田誠一、日高千晴、日高瑚乃香、倉掛智美、倉掛夢菜、黒木瑞穂、黒木煌、加藤瑞貴
(通訳:国立青少年教育振興機構青少年教育研究センター客員研究員・金光明)

2018年10月20日
第17回 韓中日徐福文化国際学術セミナー(西帰浦KALホテル)
テーマ:徐福と済州 ①歴史的考察 ②エコツーリズム開発
10:00-10:10 2018韓中日徐福国際文化祭の紹介 済州徐福文化国際交流協会理事長・李英根 
10:10-10:30 基調講演「済州における徐福文化」中国徐福会会長・張雲方
10:30-12:00 研究発表
座長:済州徐福文化国際交流協会前理事長・金亨受
「韓国の徐福伝説とその実体化について−済州を例に−」中国徐福会顧問・連雲港市徐福研究所長 張良群(中国)
「不老草テーマパーク造成及び徐福展示館観光活性化の提案」(株)地域文化観光研究センター代表・李慶煥(韓国)
「徐福の東渡を活用した済州観光活性化対策−エコツーリズムとグリーンツーリズムを中心に−」前済州観光学会会長・高承益(韓国)
「神仙と徐福」日本徐福協会事務局長・神奈川徐福研究会事務局長・伊藤健二(日本)
「済州島の徐福文化とエコツーリズム開発」八女徐福会副会長・赤崎敏男(日本)
「漢川流域磨崖銘に投影された神仙思想の考察−神仙の道を提案しつつ−」李進榮(韓国)
12:00-13:00 昼食休憩
13:00-14:00 討論と質疑応答
座長:済州徐福文化国際交流協会前理事長・金亨受
 大阪観光大学客員教授・金昌植(韓国)
 済州道文化財委員・洪琦杓(韓国)
 愛知県立大学講師・逵志保(日本)
 済州国際大学教授・呉昌命(韓国)
韓国地域代表挨拶(南海、咸陽)

第1回 韓中日徐福国際文化祭(徐福公園(徐福展示館屋外イベント会場))
14:00−18:00
韓国の歌と舞踊
徐福祈願祭
江蘇女子民族楽団(中国の演奏)
創作エイサー高鍋しんかんちゃ〜(日本の演舞)
開会式挨拶
 済州道知事
 西帰浦市長
 中国駐済州総領事・馮春台
 済州徐福文化国際交流協会理事長・李英根
韓国の各徐福会(済州、南海、咸陽、巨済)締結式
カラオケ大会

2018年10月21日
15:00−18:30
韓国の歌と舞踊
江蘇女子民族楽団(中国の演奏)
創作エイサー高鍋しんかんちゃ〜(日本の演舞)
カラオケ大会





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10月27日宮本雄二さん講演会

2018-10-19 10:42:12 | その他の研究・調査
岐阜県日中友好協会が10月27日(土)午後1時30分から、
朝日大学で日中関係学会会長・宮本雄二さんの講演会を開催するとのこと。
私も行こうと思っています。

宮本雄二さんと言えば、
日経新聞2018年8月18日の「リーダーの本棚」で『西遊記』を子どもの読み物と思っている人がいるけれど、それは大きな勘違いで、「悠久の中国社会を知るには『西遊記』ほどの古典はありません」、「中国社会学のテキスト」だと話していました。
西遊記→孫悟空→ドリフターズのニンニキニキニキニンとなってしまう私は大きな勘違いをしていたのでした。
中野美代子訳の岩波文庫全10巻ものです。
大いに反省し、読み始めています。
お会いするまでに先ずは一巻読了くらいはしておかないと。

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