煙台の夜
中国山東省煙台市・魯東大学の接待所で、2泊3日の徐福三昧のミッションを終えて、パソコンに向かっています。
今回の魯東大学訪問は、次のような経緯がありました。8月末に徐福研究で知り合った中国の方から、魯東大学(旧煙台師範学院)にある張煒文学研究院(万松浦書院、胶東文化研究院、文学博物館)で、新たに徐福研究のプロジェクトを始めようとしていて、日本の研究者を推薦してほしいと言われたので、推薦していいでしょうか?というメールがありました。私は徐福のことは基本断らないことにしているので、喜んでと答えました。
まもなく魯東大学の担当者の方からメールをいただきました。11月に山東省に申請し、2020年から魯東大学で徐福研究のプロジェクトを立ち上げようとしている。通ったら「徐福研究大系」を出したい。そのために徐福研究会も企画していきたいので、機会があればぜひ魯東大学にお越しくださいということでした。
魯東大学は初めて聞いたのですが、万松浦書院は龍口徐福研究会で行ったことがありましたし、呼びかけ人の中国の著名な作家・張煒さんともそのときお会いしているようでしたので、全く知らないわけではありません。また、万松浦書院編『徐福辞典』(2014年、中華書局)は、たぶん日本の研究者のチェックがなかったために間違いがあったけれど、ここに日本の研究者が入ることで、なにかできることがあるかもしれないと興味が湧いてきました。
しかし、今年は私のもうひとつの仕事である枝下用水(愛知県豊田市を流れる農業用水)の本の編集作業が大詰めなのと、今年は例年に増して講演の仕事が多く、なかなかいつ行けるかを言うことができない状態でした。少し先ではあるけれど、中国徐福会・連雲港市贛楡区人民政府・連雲港徐福研究会が共催する「徐福文化と海上シルクロード」国際フォーラムが10月17日〜20日にあるので、それには駆けつけますので、すぐに魯東大学に行くことはできないけれど、会場でお会いしましょうと返事をしました。
ところが数日経って、「徐福文化と海上シルクロード」国際フォーラムが同日に水晶祭りがあるため、開催を一週間あとにしますと連絡がありました。参加予定の方はチケットを買い直したようなのですが、私は一週間あとは既に予定が入っていました。東海日中関係学会で元中国徐福会会長・張雲方さんをお招きし、講演会、研究会、そしてその後は熊野市、新宮市にそれぞれ市長がご招待くださっているので、同行することになっていたのです。
チケットをキャンセルするため手続きしようとしたら、青島空港行きの安価なチケットは、キャンセルしてもほとんど戻って来ないことがわかりました。もったいないな、ならば青島で週末を一人過ごそうかと考えたとき、魯東大学のことを思い出しました。事情をお話し、青島で時間ができたので、大学に伺うか、青島で話をする時間が取れそうですとメールを送りました。
今回来て初めて知ったのですが、魯東大学ではこのとき私を受け入れるためにわざわざ会議を開き、急遽準備をしてくださったようです。あっという間に話が決まり、18日深夜に青島空港に到着したところから、全て魯東大学で対応してくださり、そこから徐福三昧の3泊4日がスタートしました。
10月19日
青島から煙台までは、距離にして約230km、魯東大学から迎えに来てくださった車で高速道路をひた走り、2時間半ほどで到着しました。車中で内容を詰めて、昼食後、さっそく日本語専攻の学部生、徐福研究日本チームの方に向けて、講演「中国・韓国・日本 海を渡る徐福伝説」をおこないました。学生からの質問は興味深く、またかつては中国の学生と日本の学生は違うと強く感じましたが、いまはもう変わらないと感じました。
http://www.fl.ldu.edu.cn/info/1071/3604.htm
晩は徐福研究日本チームの方たちと夕食。リーダーは文化人類学の方だったので、中国で徐福を語るとき、どうしても古代史のなかに位置づけられ、私のように民俗学の立場から伝説として考えることに理解が得られないように感じているのですが、同じ関心をもって話せることは、何よりも面白く感じました。
10月19日
朝、魯東大学博物館の王樹春書画館や文学博物館を見学し(とてもいい!)、午前中は徐福研究シンポジウムというかたちで、大学副校長など大学関係者や徐福研究チームの方たち、また龍口市徐福研究会の老朋友たちが2時間ほど車を走らせて来てくださって、会議をおこないました。研究を大学研究者に閉じたものにしないというのが私の研究スタイルなので、こうして地域の研究者が魯東大学の徐福研究プロジェクトに関わっていくことは、とても嬉しく思いました。
会議では魯東大学の徐福研究プロジェクトの説明がありました。そのなかで、今回の私の突然の魯東大学訪問を、これは「宿命」と思ってくださって、私を迎えるために会議をしてくださっていたことを知りました。大げさですが、確かに降って湧いた訪問が、プロジェクトのスタートのタイミングとぴったり合っていたことは、私も伺ってよかったと感じました。
今回、私は「魯東大学兼職教授」としての証書をいただきました。これは今後の徐福研究プロジェクトを考えてのことと思いますが、この「宿命」を受け、私のできることを誠意をもってつとめていきたいと思います。
会議では、私は現在の中韓日の徐福研究を取り巻く状況についてお話し、同時に魯東大学で徐福研究をおこなうことの意味をお話しました。
昼食後、今度は徐福研究日本チームの方たちと徐福研究交流会をおこないました。それは具体的で、徐福研究日本チームはなにをすべきかの話し合いをしました。日本チームとは言っても、徐福研究の人たちが集まっているのではなく、それぞれに日本をフィールドにしている研究者たちが、これから徐福研究を始めるのですから大変なことではありますが、それでも自身のこれまでの研究を下敷きに、視点を変えていけば新たな発見があるだろうと思います。私が提供できること、これまで自分がしてきたこと、ほかにどのような研究があるかなど、質問を受けながらお話ししました。
夕方までみっちり話をして、それからずっとここまで大学内にいたので、夜は煙台市内にでて、海辺のイルミネーションを見にいくことになりました。イルミネーションは19時半からということで、それまでみんなで火鍋を楽しんで、青島ビールで研究会のこれからに乾杯し、イルミネーション(圧巻!)が始まると、延々と続く海辺の散歩道をみんなで歩きました。
10月21日
朝食をとって、大学内を案内していただきながら散歩しました。大学内には山もあって、そのいただきには孔子像がありました。やはり山東省は孔子の故郷です。
短い時間でしたが、徐福の縁があって、こうして煙台に来ることができたこと、本当にいい経験でした。申請が通って、本格的に始動することができれば、きっとこれから通うことになると思います。どうか申請がうまくいきますように。そして中韓日の徐福研究者、仲間たちとともに、このプロジェクトを成功させることができるよう、私自身も新たな課題を胸に帰国しました。