演劇人・三浦周二朗さんが母親の介護をきっかけにペンを持ち、『記憶は消えてしまうから-認知症の母と暮らしながら書いたエッセイ-』を自費出版しました。
私のまわりの方には「高橋ますみさんの息子さんの」と頭につけたほうが、うんと共感を呼ぶことでしょう。
私が子育て時代、20年くらい前になるでしょうか、名古屋地域で(いやもっと広範囲だったと思いますが、私たちの地域という意味で)女性グループを牽引してくださっていた方がありました。
高橋ますみさん、おっかさんという感じの親しみやすい方で、私は彼女が代表をつとめるグループ・ウィン女性企画に出入りしていました。出入りしていたというのは、私たちは妹分のようなSKIPという託児付きイベント企画のグループで活動していて、ウィン女性企画はその姉貴分、子育ての次の女性の自立や、高齢社会への眼差しをもって活動していましたので、機会があれば勉強させていただいたり、わたしにもできる仕事があればその時は仲間に入れていただいたりしていました。上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』の読書会。なかなか集まってはできないからとウィン女性企画内での読書会とともに紙面読書会を重ね(その小冊子の編集を担当していました。SKIP会報『やっほぉ〜』、豊田土地改良区資料室ニューズレター『枝下用水日記』など、形を変えて通信発行をしている私です。)、最終回には上野千鶴子さんを囲んでの湯谷温泉読書会なんていう贅沢な集まりもありました。素敵な先輩たちの心地よいグループでした。そのグループの心地よさは高橋ますみさんの人柄がみんなにじわっと広がっている感じでした。
いまでも思い出すのは初めてウィン女性企画に行ったときのこと。ますみさんは誕生日を聞くのです。それは覚えておいてプレゼントをあげましょうというのではなく、誕生日を聞いた私(ますみさん)のことを覚えておいて、年になったら自分の誕生日に私を訪ねてね、そしたら私のところには毎日人が来てくれるからとおっしゃっていました。ところが私が「2月2日です」というと、ますみさんは「ああ、それは私の息子と一緒だわ。かぶるわね」とおっしゃいました。そうか、息子さんは2月2日なのかと、それはますみさんのおっしゃる通り、忘れない出来事となって頭の中にありつづけました。
ますみさんが認知症になったときいたのはもう10年も前になるでしょうか?年賀状が息子さん・三浦周二朗さんから届き、また後にはNHKの番組に母がでますという知らせをいただきました。認知症のことを扱う番組でした。お母さまに寄り添い、献身的に介護なさっていることがこんなやり取りからも伝わってきていました。
その三浦周二朗さんから、『記憶は消えてしまうから-認知症の母と暮らしながら書いたエッセイ-』が送られてきました。
こんなことを書くと不謹慎でしょうが、これまで他からいただくこうした本は亡くなってから出るものが多く、手にしたとき、はじめドキッとしました。ですが同封のメッセージを読んでああよかったと思いました。「母がアルツハイマー型認知症になってもう15年ほどの時間がたちました。」周二朗さんはいまも「認知症の母と暮らしながら」この本を書いたのでした。
私たちが当時接してきた高橋ますみさんとは全く違う、いや全く変わっていないところも、周五朗さんの文章から伝わってきました。そしてこの本は介護と向き合うばかりの本ではなくて、そんな母と暮らしながら自分のこれまでを思い出し、書くことできっとときには嫌なことを忘れたり、その後にもう一度目の前のことに取り組む元気を自分で奮い立たせてきたんだろうなと感じられるエッセイでした。
私はまだ介護と向き合うというところまでは行っていないのですが、それでも両親の日々を気にかけながら過ごしています。毎日仕事帰りの車の中で母から父の様子を聞き、またそれを話す母の様子を確認しています。でもそれは過ぎていく日々で、今回、一冊になった日々のエッセイを手にし、書くこと記録していくことの大切さが身にしみました。周二朗さんが何気なく書いたであろう母の様子のことが、ああそういうことかと私にはよく分かることなどがありました。
周二朗さんからいただいたメールにこんな一文がありました。
「介護に関しては、先に教えておいてくれたら良かったのに!と思うことはたくさんあります。認知症初期には同居家族はやることがたくさんありすぎて、情報収集をしているヒマがないんですね。私自身が認知症関連の本を読み出したのは、志穂美さんと結婚して、介護にかなりゆとりがでてきてからなのです。知っていればなんということもないことがたくさんありました。」
本当にそうです。私も父の病気を見つけるのにずいぶん時間がかかりました。かといって私たちは日ごろそんな話をあれこれ周りの人と話してはいないのです。
そうそう、周二朗さんに文頭の誕生日の話をしましたら、驚くような返事でした。
「私は1月8日生まれです。誕生日の話は多分、ますみさん自身と同じ誕生日なのではないかと思います。母は2月11日生まれという事になっていますが、実際はそれよりも前で、祖父母が建国記念日に合わせたのだという話を聞いたことがあります。昔はそこら辺ゆるかったんですね。」
なーんだ、息子と一緒じゃなくて、自分だったんだ。私は高橋ますみさんと同じ誕生日だったのかもしれませんね。そう思ったらうんと元気がでてきました。だってあんなに周りを奮い立たせ、素敵な仕事をなさってきた高橋ますみさんと同じ誕生日なのですから。
ぜひみなさん、読んでみてください。ご注文は下記まで。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/shujiro/
私のまわりの方には「高橋ますみさんの息子さんの」と頭につけたほうが、うんと共感を呼ぶことでしょう。
私が子育て時代、20年くらい前になるでしょうか、名古屋地域で(いやもっと広範囲だったと思いますが、私たちの地域という意味で)女性グループを牽引してくださっていた方がありました。
高橋ますみさん、おっかさんという感じの親しみやすい方で、私は彼女が代表をつとめるグループ・ウィン女性企画に出入りしていました。出入りしていたというのは、私たちは妹分のようなSKIPという託児付きイベント企画のグループで活動していて、ウィン女性企画はその姉貴分、子育ての次の女性の自立や、高齢社会への眼差しをもって活動していましたので、機会があれば勉強させていただいたり、わたしにもできる仕事があればその時は仲間に入れていただいたりしていました。上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』の読書会。なかなか集まってはできないからとウィン女性企画内での読書会とともに紙面読書会を重ね(その小冊子の編集を担当していました。SKIP会報『やっほぉ〜』、豊田土地改良区資料室ニューズレター『枝下用水日記』など、形を変えて通信発行をしている私です。)、最終回には上野千鶴子さんを囲んでの湯谷温泉読書会なんていう贅沢な集まりもありました。素敵な先輩たちの心地よいグループでした。そのグループの心地よさは高橋ますみさんの人柄がみんなにじわっと広がっている感じでした。
いまでも思い出すのは初めてウィン女性企画に行ったときのこと。ますみさんは誕生日を聞くのです。それは覚えておいてプレゼントをあげましょうというのではなく、誕生日を聞いた私(ますみさん)のことを覚えておいて、年になったら自分の誕生日に私を訪ねてね、そしたら私のところには毎日人が来てくれるからとおっしゃっていました。ところが私が「2月2日です」というと、ますみさんは「ああ、それは私の息子と一緒だわ。かぶるわね」とおっしゃいました。そうか、息子さんは2月2日なのかと、それはますみさんのおっしゃる通り、忘れない出来事となって頭の中にありつづけました。
ますみさんが認知症になったときいたのはもう10年も前になるでしょうか?年賀状が息子さん・三浦周二朗さんから届き、また後にはNHKの番組に母がでますという知らせをいただきました。認知症のことを扱う番組でした。お母さまに寄り添い、献身的に介護なさっていることがこんなやり取りからも伝わってきていました。
その三浦周二朗さんから、『記憶は消えてしまうから-認知症の母と暮らしながら書いたエッセイ-』が送られてきました。
こんなことを書くと不謹慎でしょうが、これまで他からいただくこうした本は亡くなってから出るものが多く、手にしたとき、はじめドキッとしました。ですが同封のメッセージを読んでああよかったと思いました。「母がアルツハイマー型認知症になってもう15年ほどの時間がたちました。」周二朗さんはいまも「認知症の母と暮らしながら」この本を書いたのでした。
私たちが当時接してきた高橋ますみさんとは全く違う、いや全く変わっていないところも、周五朗さんの文章から伝わってきました。そしてこの本は介護と向き合うばかりの本ではなくて、そんな母と暮らしながら自分のこれまでを思い出し、書くことできっとときには嫌なことを忘れたり、その後にもう一度目の前のことに取り組む元気を自分で奮い立たせてきたんだろうなと感じられるエッセイでした。
私はまだ介護と向き合うというところまでは行っていないのですが、それでも両親の日々を気にかけながら過ごしています。毎日仕事帰りの車の中で母から父の様子を聞き、またそれを話す母の様子を確認しています。でもそれは過ぎていく日々で、今回、一冊になった日々のエッセイを手にし、書くこと記録していくことの大切さが身にしみました。周二朗さんが何気なく書いたであろう母の様子のことが、ああそういうことかと私にはよく分かることなどがありました。
周二朗さんからいただいたメールにこんな一文がありました。
「介護に関しては、先に教えておいてくれたら良かったのに!と思うことはたくさんあります。認知症初期には同居家族はやることがたくさんありすぎて、情報収集をしているヒマがないんですね。私自身が認知症関連の本を読み出したのは、志穂美さんと結婚して、介護にかなりゆとりがでてきてからなのです。知っていればなんということもないことがたくさんありました。」
本当にそうです。私も父の病気を見つけるのにずいぶん時間がかかりました。かといって私たちは日ごろそんな話をあれこれ周りの人と話してはいないのです。
そうそう、周二朗さんに文頭の誕生日の話をしましたら、驚くような返事でした。
「私は1月8日生まれです。誕生日の話は多分、ますみさん自身と同じ誕生日なのではないかと思います。母は2月11日生まれという事になっていますが、実際はそれよりも前で、祖父母が建国記念日に合わせたのだという話を聞いたことがあります。昔はそこら辺ゆるかったんですね。」
なーんだ、息子と一緒じゃなくて、自分だったんだ。私は高橋ますみさんと同じ誕生日だったのかもしれませんね。そう思ったらうんと元気がでてきました。だってあんなに周りを奮い立たせ、素敵な仕事をなさってきた高橋ますみさんと同じ誕生日なのですから。
ぜひみなさん、読んでみてください。ご注文は下記まで。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/shujiro/